延原時行歌集「命輝く」(第2328回)(新幹線・新神戸駅前の「滝の広場と連翼亭」)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2328回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(232−6)
燦二つの歌,一巡りフォトの歌、実録推敲の歌、人生はの歌、今朝も又の歌年、歓喜切れ目なしの歌、まさかとやの歌、基教二つの道の歌、信子凄しの歌、夢見たるの歌、またまたやの歌、対話嬉しきの歌、有難きかなの歌、この時代の歌、昨晩やの歌、妹背本作りの歌(2015年10月21日〜31日)。

 10月26日
           まさかとやの歌一首

 一 まさかとや「ホ西」上昇驚きぬ益々佛基盛んなるにや
   (備考:旧著『ホワイトヘッドと西田鉄学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教の構想』10月25日現在アマゾン:39,863位;神学:10位なり)

           基教二つの道の歌十首

 一 我見るに基教二つの道やあり原爆教と「神Ecozoics」なり
 二 原爆教「獣を撃て」との呼号あり神の審判体するとぞや
 三 一切の法源核に在りとなす自己絶対化基教是なり
 四 凡そ是謙虚なる風知らざれば爆撃にこそ正義ありとす
 五 かかる故似たもの今や基教外かたち成すことさもやありなむ
 六 御神や空に至誠にましてこそ至誠なれとぞ御友告ぐるや
 七 我や知る御友神学絶対無場にしてこそや在る基教なり
 八 究極の法源この世超へたるや三一源の御神にてます
 九 三一の御神源空至誠然るが故に至誠なれとぞ
   (備考:小野寺功先生御新著『西田哲学から聖霊神学へ』(横浜・春風社、2015年)にて「三位一体の於いてある場所」の御提唱綴り給ふなり。尊きことなり。我「於いてある」を「至誠にいます」と取るなり。これ我が年来の「至誠心の神学」の提唱なり。(1)空とは、新約聖書的には、「言は神と共に在りき」(ヨハネ福音書1章1節第二項)のその「共に」(pros ton theon)の事なり。これ神の霊性なり、聖霊なり。(2)「空に至誠なり」とは、霊性(さういふものとして、原至誠)に自覚的に至誠なることなり。(3)そこから「至誠なれ」との命法出ずるなり。これ人に対しては「自覚の促し」なり。聖霊神学は、従ひて、①「神の霊性」(神と言との共在そのもの=原至誠)としての「聖霊」、②霊性(原至誠)に自覚的に至誠なる「対内的(intra)作用面としての聖霊」、③人に対して(対外的に・extra)作用面としての聖霊、ーーの三面を指摘せねばならぬなり)
 十 至誠なれ告ぐる御方御友ぞや「友よ」と語り愛示し給ふ
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

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今朝も上の歌(10月26日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    11月22日
           歓喜驚きの歌三首

 一 我妻や秋のわびしさ嘆きしも闘病経てや歓喜妻成る
 二 さらにぞや絶後笑み増し不思議やも歓喜驚嘆御友共にぞ
 三 驚きぬ「ホ西」またまた急上昇確かに佛基対話時代よ
   (備考:拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>――仏教的キリスト教哲学の構想』(京都・法蔵館、2001年):アマゾン11月21日現在、120,501位;神学62位。時代の構想として受容されたるにやあらむ。何たる喜び!これイスラーム世界と欧米の「文明の衝突」を緩和せんとの動きにやあらずや。我佛基対話中より新キリスト教誕生しつつありと見る者なり。その心「神Ecozoics」なり。空に神至誠なり給ふ故に至誠なれとの御友の御声聴こゆ。我が英文稿地球上に澎湃と興りつつあるan Ecological Civilizationを包みたるDivine Ecozoics(神的「エコ生命学」)なる新学問の提唱なり)




新幹線の新神戸駅は六甲山麓のふもとにあり、駅からすぐ山側には、散策の道「布引の滝」があり、ロープウエイ(「夢ふうせん」)に乗ればすぐ「ハーブ園」があって花々を愛でながら食事を楽しむことが出来ます。ハーブ園からの神戸市街と海の絶景もまた自慢のスポットです。

新神戸駅より海に向かって「新生田川」が下っています。

このたびはじめて駅前にある「滝の広場」に立ち寄ってみました。

ここには風見鶏のある大きな時計台があり、立派な歌碑もありました。



「滝の広場」のすぐ下には市民の広場がつくられていて、水を楽しみながら神戸市の友好都市・天津市から送られたたくさんの龍の彫りもの「百龍嬉水」と「連翼亭」でひとやすみ・・・。すぐ近くには「神戸芸術センター」があります。