延原時行歌集「命輝く」(第2319回)(延原時行英文稿:Open Theology Up 水辺をぶらり――烏原貯水池)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2319回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(231−7)
痒み退くの歌、忽ちにの歌,中巻成る時の歌、命圏域の歌、以来の歌、実在関係の歌、知るの歌、この秋もの歌、今我やの歌、驚きぬの歌、京の地での歌、新時代の歌、妹背幸せの歌、何の徴ぞの歌、最深問題の歌、朝餉の歌、時代変貌の歌(2015年10月11日〜20日)。

    10月17日
           京の地での歌二首

 一 京の地で同志社校祖新島の校内聖書読まずは辛苦
   (備考:北垣宗治先生名訳、A・M・コビルスキ著『近代への挑戦――ベイルートアメリカン大学と京都の同支社』(東京・新教出版社、2015年)に以下のの一節あり:「宣教の現場の現実と地元の要望に押されるとき、かつて「シャイアン(注。ミシシッピー州の奥地)に招かれた」とか、「日本という現場に導かれた」と感じてきた人物は、自分の召命感を異なる仕方で実践し始めた、1875年11月、新島は京都府知事の槇村正直から呼び出され、新島の予定している学校のカリキュラムの中にある聖書の問題を議論することになった。新島が知事の所に出掛ける前にデイヴィスは、「どんなことがあっても、校内で聖書を教えないといった約束をしてはいけません」と、忠告した。そんな約束をするくらいなら」学校はなくてもよいし、[京都の]町から撤退する方がましだと強調した。しかし新島は彼に同意せず、署名するか、それとも開校不可を選ぶかに直面した時、学校内で聖書を教えないとする誓約に同意したのであった。
 新島がデイヴィスの意見に賛成しなかったのは、彼がそのような誓約を求めるに至った槇村のジレンマと、槇村ほどの実力者の味方を見つけることの困難さの両方を理解したからであった。デイヴィス(そして彼を信じる多くの歴史家)と違って新島は、槇村の心配が、強力な本願寺の僧侶の代表たちが毎日のように知事室にやってくるためであることを、心得ていた、新島は京都に生まれた人ではなかったが、京都における槇村の府政は、本願寺の仏教勢力を離反させないことにかかっていることを、よく承知していたのである。しかし新島は、彼の計画した学校を開校することは、東京遷都のために荒廃した京都を復活させるという、槇村の計画の一部であることもまた、知っていた。このように、新島はデイヴィスよりもずっとよく、槇村は用心すべき人であっても、味方であることを理解していた。宣教師たちとも交渉しなければならなかった。だから両者が、計画された学校のカリキュラムの中の「聖書」の意味を論じた時、両者の頭には恐らく妥協の道があった。すなわち新島の方は機構をめざして進み、知事の方は聖書を外したことで仏教勢力をなだめる、という取り決めの妥協が、それであった。」(162−163頁))
 二 これはしも佛基対話の必ずや秋来たるべし含みたるにや

            新時代の歌四首

 一 新時代世界観はぞ覇権より「神Ecozoics」言ふ我が英文稿
   (備考:空なるEcoに神至誠います故「汝も至誠なれ」との命法(Zoe)宇宙に御友告ぐなり)
 二 我妻よ英文稿やオンラインOpen Theology載り地球果てまで
 三 その時に汝また言ふやあらむかな父さんのため佳かったなあと
 四 恐らくや数知れぬ人拙稿を読みて法源地超ゆる称へむ
なり

       ♯              ♯

昨日は、上の歌にも詠われているオンラインOpen Theologyで、先生の会心作 Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics が公開されたという朗報をお受けしました。嬉しい朝です。

だれでも閲読・印刷可能です。ありがたいことです。

All the articles are available on-line at http://www.degruyter.com/view/j/opth.2014.1.issue-1/issue-files/opth.2014.1.issue-1.xml. I hope you will enjoy them.

今朝も上の歌(10月17日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

    11月13日
           止め難くもの歌五首

 一 いかにせよ絶後笑み増す止め得ぬ我妻の幸いかばかりぞや
 二 来る日毎幾度詠へど溢れ来る我妻の幸尽きざるやこそ
 三 我妻の歓びやそも尻上り今わの際や絶後なほ笑む
 四 かかる故絶後笑み増す学びてや我が思索もやずいと展び往く
 五 御友学法源学や笑み増しに続き往く道止め難くも
 六 いやはてに英文稿ぞ綴りてや地球の友に語り掛く我
   (備考:昨日遂に英文稿Open Theologyに出でにけり。嬉しも:”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics"誠Adventure「冒険」なり)
 七 我が稿やホ氏と並びて良寛も出で往くともや国人知らず
 八 文化のぞ境やありて日ノ本や閉づる様ありされど我往く





今回は右回りのコースで貯水池を散策しました。昨日は半周巡ったところまでをUPしました。

本日はその中間点の「みかづきばし」の辺りから、清流の流れる川に沿って、ぶらりぶらり・・・「花の休憩所」のあたりまでを、撮影順に収めます。

小さな滝があり、美しいナンテンに目が止まり、びっしりと落ち葉がしかれた広場と苔むした欄干があって・・・。

車いすの老いた母親?でしょうか、息子さん?が、ここまで自動車でお連れして、ゆっくりと手押ししながら、深まる秋を楽しんでおられたり・・・。



貯水池のいちばん奥まったこの場所は、水面も静かで、そこに映る景色は絵のようで・・・・・、鳥たちも、まあのんびりと・・・・。

しばらく歩くと「花の休憩所」があって、いつもここで弁当を開いて、ビールを飲んで・・・鳥たちの声を楽しみます。

うまく撮れませんでしたが、ジュウガツサクラも咲いていました。

湖上にはカモたちが遊んでいました。



食事をしているとそばに大きな猫がよってきて・・・・。

此処から眺めるパノラマを数枚・・・。