延原時行歌集「命輝く」(第2318回)(チャリンコに乗って「烏原貯水池」へ)
延原時行歌集「命輝く」(第2318回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(231−6)痒み退くの歌、忽ちにの歌,中巻成る時の歌、命圏域の歌、以来の歌、実在関係の歌、知るの歌、この秋もの歌、今我やの歌、驚きぬの歌、京の地での歌、新時代の歌、妹背幸せの歌、何の徴ぞの歌、最深問題の歌、朝餉の歌、時代変貌の歌(2015年10月11日〜20日)。
10月16日
実在関係の歌十六首
一 恩師はや原事実にぞ向かふやもイエスにはそも縛られざると
(備考:『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)
二 これはしも御友神学よりすれば原事実とやイエス不二見ず
(備考:恩師「神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない」と言ひ給ふ。これを我「不二を見ず」と言ふなり)
三 不二と言ふ認識的に言ふやなし認識以前の不二関係ぞ
四 不二関係御友とぞ我呼びまつる第一義即第二義の故
五 恩師はや第一義のぞ認識を第二義離れ持ち得るとすや
六 あたかもや己が認識だけこそや第二義範疇外に在りとす
七 この特権「純粋神人学」とせり而してイエス「導き」と呼ぶ
八 イエスをば認識上の道標と成しつつロゴス窮めんとすや
(備考:以下の有名なる一節の文意そこにありたり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし(存在上)束縛されない。むしろ生ける道標としてのこの形態に(認識上)導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうなら、インマヌエルの原事実に永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆的な神と人間の関係に向かうのである」(同書同頁))
九 即ちや存在上の範疇にイエス属さず言ふことやしも
十 滝沢が原事実とぞ呼ぶときや絶へず「原」とは認識上ぞ
十一 イエスがや「友よ」と呼ぶは奇しくもや超越内在「即」の関係
(備考:ヨハネ15・15、熟読参照)お
十二 第一義・第二義とのぞ間にや在るものやこそ関係実在
十三 実在は関係にして超越と内在繋ぎ給ふなり
(備考:実在が単に超越ならずして、内在との関係なるを明らかにせることホ氏の天才なり:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])
十四 これをしも御友神学とぞ我や呼称するなりいと慎みて
十五 御友はや御自らが神学びなし給ふとの原義尊し
十六 イエスとは基督なりと告白すその真意はぞ御友なりけり
知るの歌一首
一 新しき歌や書き得て我やしも心の限り生きたるや知る
この秋もの歌一首
一 この秋も寄せ鍋仕込み楽しむや時ぞ来にけりシェフ多忙なり
(備考:「シェフ」とは亡き妻の我に授与したる称号なり)
今我やの歌一首
一 今我や春夏秋冬妻と我小さき歌集編む思ひたり
驚きぬの歌一首
一 驚きぬ旧著「ホ西」や急上昇やはり時代ぞ佛基対話と
(備考:『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>――仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年:只今アマゾン238、599位なり。教義キリスト教神学:77位)
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今朝も上の歌(10月16日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。価値観の大変貌、世界観の大更新の喜びの歌が続きます。
11月12日
米国やの歌十五首
一 我妻の絶後笑み増す詠ひてや我見し世界英文に書く
二 米国や日に日に原爆罪責や汝が心噛む法源救ひ
三 法源や英文稿に我窮む恐らく米や心和まむ
四 核投下せし以来ぞや汝が心痛む故にぞ日怒鳴りたり
(備考:GHQの如し。されど米怒鳴り日屈従す「永続敗北」の底に汝が罪責に病む心ありき)
五 然れども此度甘利氏怒鳴りたり彼米急所知り得たる如
(備考:TPPにてなり。甘利氏米に怒鳴りて決着に至りしは、新事態ならむ)
六 核持つや中国対等素振り見せ南シナ海陸上空母や
七 故はこれオバマ氏嘆くもはや我世の警察官務め得ざると
(備考:「自作自演」と人の言ふ9・11以来の米の横暴、欧州と中国冷ややかに見しなり。さて、今や中の横暴あり)
八 そこにぞや出でし問はやこれなるぞ核超ゆる法何処に在りや
九 米軍やラッセン派遣なしたるも航海法源極みや求む
十 我や書く「神Ecozoics」こそ法源よかく見てやこそポスト核来や
十一 核もはや広島長崎如くなし基教絶対ト氏「獣よ」去る
十二 法源や空神至誠なるやこそ汝至誠なれ御友告げます
十三 これ正に佛基対話の只中に出ずるや誠至純の御声
十四 法源や誠核には非ずして空至誠なる御神にますや
(備考:ヒロシマ以来偽法源「核」で地球を統治せし米国、複数核保有国の出現に、統治の法源逸するにいたれり。今ぞ、「空至誠なる御神」仰ぐべき秋にあらずや)
十五 かくしてやポスト核のや時代来ぬ我英文稿書きし如くや
(備考:ただし我「核投下の可能性のこと」一切本文中に書かざりき。注記一か所のみなり。それ核や世のエコロジーの範疇内の事柄にして、「神Ecozoics」の範疇内にて記すべきことに非ざるなり。つまり、それほどの大事に非ず。即ち宇宙の命原爆ぐらいで滅びず、との理なり)
昨日は穏やかな秋の空のもと、またまたクラシックなチャリンコに乗って、神戸・平野の湊山温泉の近くから、急な山道を登ってひらけてくる「烏原貯水池」に出かけてきました。
(昨日は故郷の兄から新米とすだちが届いたり、夕方は急に冷え込んできて、親しい友人たちと近くのめし屋さんに寄り合って、お食事と美酒を楽しんだり・・・)
「烏原貯水池」は年に数度でかける楽しみのスポットですが、現役の仕事から解かれたいまは、その日の天候のぐあいをみながら、一日の計画も臨機応変にきめることの出来るのもありたがく・・・。
この季節は、ぶらり散歩で、どこへでかけても、秋の深まるもみじの美しさを満喫できますが、この「烏原貯水池」は、広く豊かな湖水にめぐまれて、カモたちがのんびりと遊び、大きなカメたちが甲羅をほしていたりして・・・・また格別なお気に入りの場所です。
半周を一時間近くもかけて、ぶらぶらと・・・カメラに収めて・・・
今回は右回りのコースを回りましたが、撮影の順番に並べてみます。
周りの大自然に囲まれた山々にも見とれてしまいます。
秋のもみじと湖水が映えて・・・。
中間地点に「水辺の休憩所」があって、・・・・。
ここにも、サギでしょうか、大きな鳥がお昼寝のようで・・・。
行き交う人もまばらで・・・・半周回って「烏原貯水池花の休憩所」までは、もう少しです。それらは次回に回します。