延原時行歌集「命輝く」(第2303回)(第87回明石公園菊花展覧会(続き))

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2303回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(230−1)法源原爆遥か超ゆの歌、再びやの歌、文明三態の歌、ふと夢にの歌、昨日今日の歌、「神Ecozoics」成るの歌、今宵はやの歌、英文稿校了すの歌、驚きぬの歌、祝ひせんかなの歌、なきや御友心の歌、二真理の歌、摂理尻上りの歓び悟るの歌(2015年10月1日〜10日)。

    10月1日
           法源原爆遥か超ゆの歌七首

 一 憲法法源原爆言ひしはやホイットニーぞ「陽光」とぞや
   (備考:堤堯氏「ある編集者のオデッセイ 文藝春秋とともにーー魔都上海の街で考えたこと⑯」に書けり:「知ほらぬが仏の松本(丞治憲法担当相)は(1946年)2月8日、松本案をGHQに提出した。これを棚上げして作業は続く。作業開始から一週間後、GHQ草案が完成する。その間、おそらくGHQと幣原(喜重郎)、吉田(茂)との間で連絡があったであろう。
 2月13日、外相官邸で日米の会合が持たれた。ホイットニー少将からGHQ案を提示され、日本側は驚愕狼狽する。日本側の出席者は吉田、松本、白洲次郎らで、なかでも松本の驚きはひときわだ。幣原は出席していない。松本案が無惨に潰される事態を知っていたからだ。
 ホイットニーは、まず松本案の非を告げ、GHQのコピーを配る。一同が読み進む間、ホイットニーと三人の幕僚(ケーディス、ラウエル、ハッシー)らは庭に出た。そのとき、上空をB29が音高く通過した。轟音が日本側に与える効果を、ホイットニーはその著『日本におけるマッカーサー』に記した。
 「計画してもこのようにうまく行くものではない」
 さらには、「もう一発、心理的な矢を放つべきだと考え」、読み終えて庭に出て 来た白洲に向けて言った。
 「われわれはここで原子力の陽光(the warmth of atomic energy)を楽しんでいるのです」」『Will』2015年11月特大号、280頁参照)
 二 幣原のマックに内示せし案や九条かくて法源原爆
 三 法源や「神Ecozoics」にぞ在るなりと形而上学我や今書く
 四 かくてこそ核の陽光遥か超ゆ「空神至誠」「汝至誠なれ」
 五 思ふにや形而上学怠りて思索せぬ故核代替す
 六 これこそや「核時代」のぞ正体ぞ思索あらばや核ただの物
 七 今こそや英文拙稿現れて法源明示核超ゆる秋 

           再びやの歌一首

 一 再びやOxfordより招きあり思索固めて我や答へん
   (備考:Oxford Round Table 2016への招待メールなり)

       ♯              ♯

今朝も上の歌(10月1日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。

   10月28日
            対話嬉しきの歌三首

 一 先達の思索の跡を辿りてや対話なすほど嬉しきはなし
   (備考:9月13日小野寺功先生よりご芳書あり、深謝無尽も:「9月11日発行の「風の便り」は、米国の原爆投下の核心問題に触れていて、深い感銘を受けました。武田恒泰氏の著書を読んだばかりでしたので、心をゆさぶられました。基督教絶対主義的宣教学に対する「対話論神学」の意義を再認識させられました。「至誠心の神学」の登場の時ですね。
 若い頃の暗中模索の論考をまとめてみました。未熟なものですが、目次のみでも眺めていただければ幸いです。延原神学に一番近いのは、日本では私かもしれませんね、9月13日 小野寺功
 延原時行様」 御返事、10月27日付:「9月13日付御芳書、御恵贈の御高著「随想 西田哲学から聖霊神学へ」誠に有難う存じました。心より厚くお礼申し上げます。有難い御言葉を「風の便り」九月中旬号に賜り誠に恐縮に存じました。有難う存じました。
 御高著はゆっくりじっくり拝読いたしました。何と言っても年月をかけて日本の哲学ーーことに西田哲学ーーを日本神学創出に向けて腰を据えて御書きになったもの、満喫いたしました。幾多の著者の思索を読みぬいて綴って来られましたもの、さながら日本現代哲学史の通覧でありつつ、それらに先生独自の「聖霊神学」創出の御探求が主体的に併さり、とても興味尽きざる読後感であります。
 私は日本国の憲法は、日本国の哲学思索が物語として成立していない所では、書かれ得ない、ーーことに前文は書く土壌・背景がそもそも欠如している、と、永く確信して来た者でありますが、御高著こそそれに相応しいと感嘆いたしました。ーーその焦点が「聖霊神学」の形成であります。
 三位一体の於いて在る場所ーーそれが西田の「絶対無の場所」であると言う御考究は、私は私独自のエコロジー的関心から申しまして、世界的に独一無比に存じます(英文稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics” presented at Claremont, June 4-7, 2015; soon to appear at Open Theology online参照)。それと申しますのも、人々は「世のエコロジー」を論じ、新しい文明は”an Ecological Civilization”であると賛同しつつも、それが何であるかと言うと、「世のエコロジー」が成り立つための不可欠の前提・根拠である「神のエコゾイックス」については何も考えていないのですから。それは後者成立の不可欠の場ーー即ち西田の、絶対無の場所ーーを露知らぬからであります。
 さて、先生は我が恩師は、絶えず原点指示を成すものの、自覚の成ることのプロセスが無い、ーーと批判明示されました(292−293頁)。
 これは何故なのか?
 恩師は、純粋神人学は、インマヌエルの原事実に向かうが、史的具体的なイエスの姿には「縛られない」、それを内容としてはそもそも含まぬ、――と生涯の最後に明言されました(『純粋神人学序説』272頁)。
 此処に判明いたしました。恩師に取って重要なのは、認識上原点であるが、原点とイエスの関係については、明確な考察なしと。これではそもそもキリスト教信仰の真理性が明らかにされ得ません。私は断然、その関係は認識以前、関係存在的に「御友である」(ヨハネ15・15)と明言いたします。この明言が英文稿の中軸でもあります。
 そもそも「イエスはキリストである」という告白は、「イエスは御友なり」とイエスご自身が明言されました。
 御友は、宇宙の繋辞そのもの、ホワイトヘッドに言わせれば、《Reciprocal Relation》(PR, 351)にてまします御方です。原点だけではキリスト教は成り立ちません。原点だけではそれを認識する者の独壇場となります(滝沢の様に「イエスに縛られない」ならば尚更です)。否も応もなく「御友」がいます事程確実な事は有りません。これが「滅して不滅」(We perish and are immortal.[PR, 351, 82])とホワイトヘッドが言う所以であります。
 宇宙の一般観は成立した途端に御友によって修正厳密化される、と私は最近ヨハネ15・15とマタイ5・48によって知らされました。両論が無くてはなりませんが。
 御高著に深謝しつつ、最近の愚昨ーー「風の便り」10月中下旬号、英文稿ーー謹んで同封させていただきました。御礼方々 草々不一   2015年10月26日          延原時行拝
 小野寺功先生」

 二 この道や恩師辿りて原点と示せるやこそ吟味往かむも
   (備考:前掲小野寺著、292−293頁:「滝沢の「インマヌエル論」の具体化である『仏教とキリスト教』(法蔵館)によれば、神と人の第一義の接触は、ラーナーの「超自然的実存規定」と同じように、キリスト教徒であろうとなかろうと、無条件に自己成立の根底に所与として与えられているという。
 しかし実際には、日常的にすべての人がこの「原事実」にめざめ気付いているわけではない。多くの人は、人生の矛盾や限界状況に直面して、種々の挫折を経験し、はじめて第一義のインマヌエルへの開眼がおこる。これが宗教的生のはじまり、ないし回心である。そしてこの事は、第二義の接触といわれる。
 その場合滝沢が強調するのは、神と人の関係が「不可分」「不可同」「不可逆」であるということで、これはイエスと基督との間でも例外ではないとされる。
 そしてさらに滝沢神学によれば、キリスト教も仏教も、それは第一義の原事実をもとにした第二義の接触の二つの異なった自覚形態なのである。滝沢のこのような解釈によって、仏教とキリスト教は、はじめて対等な「開け」の場所に立ち、本格的な対話が可能になってきたと考えられる。これは確かに滝沢神学と固有名詞をつけて呼ぶに価する画期的業績である。
 しかし私の立場から見るならば、滝沢のインマヌエル論は、西田と同じく自己と世界成立の根底を正確に把握し、西田をキリスト教の側に乗りこえているにもかかわらず、その著作のほとんどが原点指示に終始しており、自覚の深まりゆくプロセスを無視する傾きがあると思う。
 またもう一つの問題点は、滝沢自身晩年しきりに問題にした「イエスはキリストである」という場合の「である」という繋辞契機についてである。彼はこの脈動点の重要性をよく認識していたと思われるが、繋辞の論理を三位一体の場所の論理として総合的に捉えていなかったために、単なる説明に終わっているところがある。」参照)

 三 我やしも「原点/イエス」御友とぞ明らめらるるこの日嬉しや
   (備考:「/」(スラッシュ)が御友なり。純粋神人学によれば、イエスは第二義の接触なり、我はその前に、それが出てくる前に、御友いますと言ふなり)








半月ぶりでしょうか、昨夜はしっかりとした恵みの雨が降りました。

今朝は再び晴れ渡った秋の空です。


昨日も先生から届いた二冊の写真帖(「我ら感謝の日々―笑みと友垣:病院・在宅・大学」と「米欧学会友垣の旅Theologia Viatorum<旅人たちの神学>」)に収められた72枚を、ただいま先生のもとで準備中の『復活の省察』(中巻)におさめるべく、ゆっくりと楽しませてもらいました。本日中には終わりそうです。


本日の写真は、「第87回明石公園・菊花展覧会」の続きです。まもなく築城400年を迎える明石城(ひつじさるやぐらとたつみやぐら)です。






公園に入るとすぐ「とき打ち太鼓」のある場所に、メインの「意匠花壇」があります。ちょうどこのときは、太鼓がうちはじめられました。

そしてそこから「日時計」にむかって、道を挟んで両側に八つのテントが張られて「盆栽花壇」「盆景花壇」「大菊鉢組」「ミニ盆景花壇」などが並んでいます。この日はまだ受賞の対象も決まっておりませんでしたが、やはり特別に注目させられる菊たちがあって、勝手に特別賞を決めて置きました。