延原時行歌集「命輝く」(第2292回)(須磨離宮公園―月見台・ふんすい・薔薇)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2292回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(229−7)
げに新時代の歌、人心やの歌、今朝の思ひの歌、宇宙愉快の歌、何処方への歌、尊きやこその歌、嬉しきとてやの歌、命とはの歌、文字ありての歌、推敲の歌、大歓喜の歌、大仕事の歌、栄や見しの歌、驚きぬの歌、妻ぞ命の歌、ジュンク堂にての歌、一仕事の歌、北旅道中喜びの歌、新時代見ゆの歌、友の問の歌(2015年9月11日〜20日)。

       〇(9月17日)ジュンク堂にての歌十四首

   過日もやジュンク堂にて妹背本眺めつつ我心和めり   (備考:9月14日(月)のことなり)

   悠然と佇みおるや復活本なじみの顔になれる驚く
   (備考:『復活の省察[前巻]』なり)

   傍にはや風神学も展示さる揃踏みもやはや一年か
(備考:『宇宙時代の良寛再説ーーホワイトヘッド風神学と共に』なり)

   ふと手にや『浦上原爆』取りて読む語り変れる時にしあるや

(備考:四條知恵『浦上の原爆の語りーー永井隆からローマ教皇へ』(未来社、2015年)なり。「燔祭説」からローマ教皇ヨハネパウロ二世の初めての日本訪問(1981年2月23日―26日)における平和アピール「戦争は人間のしわざです、戦争は人間の生命の破壊です、戦争は死です」(広島平和記念公園における「平和アピール」冒頭の日本語挨拶)へと。恵みの丘長崎原爆ホームにおける教皇メッセージ:「みなさんがきょうまで耐えてこられた苦悩は、この地球に住むすべての人の心の痛みとなっています。皆さんの生きざまそのものが、すべての善意の人に向けられた最も説得力のあるアピールーー戦争反対、平和推進のため最も説得力のあるアピールなのです。
 今わたしは、最初の原爆炸裂の日より二年目に、時の広島市長が、「戦争のもたらす苦痛と罪悪性を己が身をもって体験し尽くした者こそ、戦争を最悪の悲劇としてどこまでも告発し、最大の情熱を傾けて平和を希求するであろう」と言った言葉を思い出します。皆さんは絶え間なく語りかける生きた平和アピールであり、わたしたちはみんな、皆さんのおかげをこうむっているのです。」同署73頁、参照。いわゆる「核の抑止力」は、教皇メッセージの明示せるごとく、「広島・長崎の被爆者のおかげ」なしには語り得ざるものなり)

   ちゃぶぜんで刺身定食中ジョッキー楽しみつつや心浮く我

   なににせよ英文拙稿推敲の成れることぞや妻と喜ぶ

   我妻や絶後笑み増し大仕事我が英文も大仕事かな

   汝と我合してこそや妹背業如何に嬉しき復活讃歌   (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)

   このところジュンク堂にて書参毎復活歓喜いや益すがごと

   中巻も日に日に次いで整ふや「笑み増し」「御友」「空神至誠」   (備考:我が歌の三大主題なり)

   空に神至誠まします故にこそ至誠なれとぞ神命やあり

   かくてこそ宇宙法源明らなり原爆教や虚仮不実そも

   偽宣教核に託して殲滅戦演じたるやも基教や自滅

   英文稿著しけるや誠さち新基教のぞ初め記しぬ

       ♯              ♯


今朝も上の歌(9月17日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


      〇(1017日)京の地での歌二首

   京の地で同志社校祖新島の校内聖書読まずは辛苦(備考:北垣宗治先生名訳、A・M・コビルスキ著『近代への挑戦――ベイルートアメリカン大学と京都の同志社』(東京・新教出版社、2015年)に以下の一節あり:「宣教の現場の現実と地元の要望に押されるとき、かつて「シャイアン(注。ミシシッピー州の奥地)に招かれた」とか、「日本という現場に導かれた」と感じてきた人物は、自分の召命感を異なる仕方で実践し始めた、1875年11月、新島は京都府知事の槇村正直から呼び出され、新島の予定している学校のカリキュラムの中にある聖書の問題を議論することになった。新島が知事の所に出掛ける前にデイヴィスは、「どんなことがあっても、校内で聖書を教えないといった約束をしてはいけません」と、忠告した。そんな約束をするくらいなら、学校はなくてもよいし、[京都の]町から撤退する方がましだと強調した。しかし新島は彼に同意せず、署名するか、それとも開校不可を選ぶかに直面した時、学校内で聖書を教えないとする誓約に同意したのであった。
 新島がデイヴィスの意見に賛成しなかったのは、彼がそのような誓約を求めるに至った槇村のジレンマと、槇村ほどの実力者の味方を見つけることの困難さの両方を理解したからであった。デイヴィス(そして彼を信じる多くの歴史家)と違って新島は、槇村の心配が、強力な本願寺の僧侶の代表たちが毎日のように知事室にやってくるためであることを、心得ていた、新島は京都に生まれた人ではなかったが、京都における槇村の府政は、本願寺の仏教勢力を離反させないことにかかっていることを、よく承知していたのである。しかし新島は、彼の計画した学校を開校することは、東京遷都のために荒廃した京都を復活させるという、槇村の計画の一部であることもまた、知っていた。このように、新島はデイヴィスよりもずっとよく、槇村は用心すべき人であっても、味方であることを理解していた。宣教師たちとも交渉しなければならなかった。だから両者が、計画された学校のカリキュラムの中の「聖書」の意味を論じた時、両者の頭には恐らく妥協の道があった。すなわち新島の方は機構をめざして進み、知事の方は聖書を外したことで仏教勢力をなだめる、という取り決めの妥協が、それであった。」(162−163頁))

   これはしも佛基対話の必ずや秋来たるべし含みたるにや

           新時代の歌四首

   新時代世界観はぞ覇権より「神Ecozoics」言ふ我が英文稿
(備考:空なるEcoに神至誠います故「汝も至誠なれ」との命法(Zoe)宇宙に御友告ぐなり)

   我妻よ英文稿やオンラインOpen Theology載り地球果てまで

   その時に汝また言ふやあらむかな父さんのため佳かったなあと

   恐らくや数知れぬ人拙稿を読みて法源地超ゆる称へむ











曇天の予報と違って、今朝も爽やかな秋晴れです。新しい朝の日の出も素敵でした。

本日の写真も「須磨離宮公園」の続きです。昨日のすいれんの群生する「新池」から見事な石組みの石段(なんでもこの石段は天皇夫妻愛好の道だとか)をのぼり、須磨の海を見張らせる「月見台」へ・・・。

ここで遠くに浮かぶ船をデジカメでのぞきパチリ・・・・。

この辺りには、在原行平の月見の松跡や「傘亭」(傘型の六角形屋根)などがあります。ススキも美しく・・・・。








ここから「本園」の「大噴水」と「王侯貴族のバラ園」があります。

丁度今日(10月17日)から「2015 Autumn Rose Festival 」がスタートします。180種4000株が咲き誇る、薔薇のお祭りです。今年は11月29日まで開催されます。