延原時行歌集「命輝く」(第2291回)(須磨離宮公園ージュウガツサクラ・蓮池)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2291回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(229−6)げに新時代の歌、人心やの歌、今朝の思ひの歌、宇宙愉快の歌、何処方への歌、尊きやこその歌、嬉しきとてやの歌、命とはの歌、文字ありての歌、推敲の歌、大歓喜の歌、大仕事の歌、栄や見しの歌、驚きぬの歌、妻ぞ命の歌、ジュンク堂にての歌、一仕事の歌、北旅道中喜びの歌、新時代見ゆの歌、友の問の歌(2015年9月11日〜20日)。

       〇(9月16日)驚きぬの歌二首

   驚きぬ最終稿に我が友や筆加へてや推薦せしと
(備考:Joe Brackenより深夜メールあり、9月16日早朝:"Dear Toki: I made some further revisions in the text of your article and sent it to Katarzyna with a recommendation that it be published in Open Theology. Thanks for your hard work. Joe B” 我が返書メールこれなり: “What a joyful surprise! It's so kind of you. I have come to the present locus of completing this small piece through an experience full of vicissitudes. But this locus is not only mine. What a blessing for a communal thinking with you! Cordially, Toki”)

   かくてぞや我が畢生の論考や友佑くあり世にぞ出でんも
(備考:Prof. Dr. Joseph Bracken of Xavier Universtiyは米国にて最も有名なるプロセス哲学者・神学者の一人なり。我の米国宗教学会(AAR)内に設置せし部会”Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective": 1985−1991の重要メンバーなりき。何たる光栄ぞ。我が会心作”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics”今やOpen Theologyに掲載刊行されむ)

        妻ぞ命の歌

   幾多のや詠み来たりける我が歌を振り返り知る妻ぞ命と

   我妻や絶後笑み増す詠ひたる我が歌やこそ妻が息吹ぞ

   日々に詠ひ来れる妻が笑み我が笑みなるや歌と顕る

   復活の省察何ぞ歌のほか日々に詠ひて妻日々やこそ

        ♯             ♯


今朝も上の歌(9月16日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。先生の「小さな歌集」構想、いいですね!


        〇(10月16日)実在関係の歌十六首

   恩師はや原事実にぞ向かふやもイエスにはそも縛られざると
   (備考:『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)

   これはしも御友神学よりすれば原事実とやイエス不二見ず(備考:恩師「神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない」と言ひ給ふ。これを我「不二を見ず」と言ふなり)

   不二と言ふ認識的に言ふやなし認識以前の不二関係ぞ

   不二関係御友とぞ我呼びまつる第一義即第二義の故

   恩師はや治一義のぞ認識を第二義離れ持ち得るとすや

   あたかもや己が認識だけこそや第二義範疇外に在りとす

   この特権「純粋神人学」とせり而してイエス「導き」と呼ぶ

   イエスをば認識上の道標と成しつつロゴス窮めんとすや
(備考:以下の有名なる一節の文意そこにありたり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし(存在上)束縛されない。むしろ生ける道標としてのこの形態に(認識上)導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうなら、インマヌエルの原事実に永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆的な神と人間の関係に向かうのである」(同書同頁))

   即ちや存在上の範疇にイエス属さず言ふことやしも

   滝沢が原事実とぞ呼ぶときや絶へず「原」とは認識上ぞ

   イエスがや「友よ」と呼ぶは奇しくもや超越内在「即」の関係
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   第一義・第二義とのぞ間にや在るものやこそ関係実在

   実在は関係にして超越と内在繋ぎ給ふなり
(備考:実在が単に超越ならずして、内在との関係なるを明らかにせることホ氏の天才なり:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])

   これをしも御友神学とぞ我や呼称するなりいと慎みて

   御友はや御自らが神学びなし給ふとの原義尊し

   イエスとは基督なりと告白すその真意はぞ御友なりけり

        知るの歌一首

   新しき歌や書き得て我やしも心の限り生きたるや知る

        この秋もの歌一首

   この秋も寄せ鍋仕込み楽しむや時ぞ来にけりシェフ多忙なり   (備考:「シェフ」とは亡き妻の我に授与したる称号なり)

        今我やの歌一首

   今我や春夏秋冬妻と我小さき歌集編む思ひたり












今朝も素晴らしい秋の空です。

きょうも、仕事の合間に、暖かな日を浴びながら、カメラをポケットに、ぶらり散歩にでかけましょう・・・・。


本日の写真は、昨日に続いて「須磨離宮公園」です。

「東門」から入園して「あじさい園」「梅園」「花の庭園」から、今回は広場に出て、いま満開の「ジュウガツサクラ」を愛でて・・・

幼子たちが桜の木の下で、先生から「じゅう