延原時行歌集「命輝く」(第2280回)(ぶらり散歩―午前と午後と)
延原時行歌集「命輝く」(第2280回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(227−5)
この機にぞの歌、地球法源窮の歌、麗しやの歌、復活内観の歌、昨日やの歌、古稀フォトの歌、原爆教超ゆる神の歌、地球神学四原則の歌、御復活の道の歌、過日もやの歌、驚きぬの歌、嬉しもの歌、甦り「主も我も」の歌、心友げにもの歌、今日の思ひの歌、稀の歌、やはりぞやの歌、この秋やの歌、歓び尻上がりの歌、有難きかなの歌、時代最大問題の歌、いささかの的の歌、揺らぐことなしの歌、あと三頁の歌、げに新時代の歌(2015年9月1日〜10日)。
〇(9月5日)御復活の道の歌十首
御復活二現象のぞ物語我妻絶後笑むや御友と
復活本歓びの内贈れるもほぼなべてぞやなしのつぶてぞ
恐らくや一本読むに幾か月掛ると友の言ひし如しぞ
御復活深き陰府落ちありし如妹背本もやその道や往く
生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ (備考:復唱)
ことにぞや原爆教のこの世界脱し往くこそ甦り道
御神の空至誠なる甦りありてこそぞや「至誠なれ」あり
我妻や絶後笑み増し証しすや岸辺の御友甦ります
広島にピカドン落ちし時以来地球上にや黒雲ぞ垂る
御復活御光あふる華やぎて我妻の笑み輝き示す
地球神学刷新の歌十一首
米国の人方知らず核戦略初発の投下基教歪めし
それが故それ超ゆる神何らかの手法用ひて明らむべしぞ
この点に抜かりあらばや史上初涜神国家汝やそれなり
我やこそ英文二篇もちてこそ神学刷新果たしにけりや
(備考:これ地球の神学者としての責務なり)
前巻や復活誤訳指摘せり縦構造の福音歪む
(備考:ヨハネ21・15に関して「ヨハネの子シモン、これらの物一切よりも我愛するか」との御友の御声を「この人たちのなすよりも我を愛するか」との横構造・ヒューマニズム・愛の競争主義へと改変変質なしたるなり。この点、聖書協会訳も新共同訳も「世紀の誤訳」なり)
中巻や原爆教を排すなり「獣空爆」の偽宣教とぞ
神学や刷新さるる暁にゃ「神Ecozoics」にぞ立たざるを得ず
さもなくば幾多の国や「原爆教」イデオロギー(虚偽意識)と為すやあらむも
(備考:ト大統領の決断、万国が検証すべし。広島・長崎以来の「核汚染時代」を脱するためなり)
さりながら一点我ら覚ゆべしパールハーバー獣の業ぞや(備考:真珠湾の博打的戦略は、おそらく織田信長桶狭間の攻略戦法に淵源せん)
人だれも心に深く懺悔して空神至誠仰ぐべきぞや
(備考:「至誠」とは神根底に神至誠なる内省のことなり。御神の至誠を我が至誠となすこと、信仰なり)
勝たざれば国浮かばれぬ思ひてや誠に背く人類(ひと)や悲しや
過日もやの歌二首
過日もや書籍参りをなしにけり妹背三ヶ所笑みやありたり
(備考:妹背本『復活の省察』(上巻)表紙に我らふたり笑むや嬉しや。それにしても、ジュンク堂三ヶ所展示いただく。あまりのことやなあ、ノーちゃん、すごいなあ。そう、父さん。嬉しい嬉しい)
有難し有難しにや有難しジュンク堂にて妹背本笑む
驚きぬの歌四首
驚きぬカブ著「祈り」ぞ急上昇妻と訳せし日々懐かしや
(備考:ジョン・カブ著、延原時行、延原信子共訳『とりなしの祈りーー物語形式のプロセス神学』東京・ヨルダン社、1990年、アマゾンにて急上昇、9月4日付:216,714位、教義神学:56位なり)
かの時やクレアモントの寓居にて妻下訳し我推敲す (備考:翌1991年春敬和学園大学に赴任す)
ふたりして一書訳出完成を祝ひて乾杯秋の日うらら
(備考:1990年9月の或る日、クレアモントの「ヴィレッジ」(銀座)のなじみのアフガン・レストランにての事なり)
奥様の下訳こそや風味あり言ふ話やでそおああ恥ずかし
♯ ♯
今朝も上の歌(9月5にち)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。今朝の歌にあるように愈々『復活の省察』中巻の全体像が見えてきました。おめでとうございます。
〇(10月5日)今宵はやの歌二首
今宵はや中巻目次整ひていとも嬉しや鰻重にせり
(備考:昨夜の事なり。『復活の省察 [中巻]ーー御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』の総目次成れり。嬉しも)
本作る父さんやって妻言ひし笑みほころびて寛ぎおるや
今朝も秋晴れの清々しい日和です。そろそろ山あるきのいい季節です。高取山のお茶屋さんが呼んでおられるようです。
昨日は、新しいデジカメをもって、午前も午後も、御近所をぶらりぶらり・・・。
上の写真は、市場に買い物に行く行き帰りの写真です。
ミカンの樹の高いところにあとひとつ、いつ落ちてくるのかな、と毎日確かめていますが、なかなか落ちてきません。ズームをきかして撮ってみました。
下の写真は、午後の散歩で、方角をかえてぶらりぶらり・・・。
写真には収めませんでしたが、ある公園の入り口に、立派な大きな樹がありましたが、なぜかそれが、ばっさりと根っこから切り取られてしまい、見慣れた景色が、すっかり変わってしまっていました。
何が理由なのかわかりませんが、あの一本の大きな樹が、切り捨てらて姿を消してしまうのを見ると、言葉を失ってしまいます。
これまで野良猫をカメラに収めるのには、近づいて写す必要がありましたが、このデジカメはズームがきいて、少々遠距離から撮ることが出来ます。この三匹の猫は、新顔たちです。