延原時行歌集「命輝く」(第2276回)(賀川記念館の往きかえりー清流の生田川)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2276回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(227−1)この機にぞの歌、地球法源窮の歌、麗しやの歌、復活内観の歌、昨日やの歌、古稀フォトの歌、原爆教超ゆる神の歌、地球神学四原則の歌、御復活の道の歌、過日もやの歌、驚きぬの歌、嬉しもの歌、甦り「主も我も」の歌、心友げにもの歌、今日の思ひの歌、稀の歌、やはりぞやの歌、この秋やの歌、歓び尻上がりの歌、有難きかなの歌、時代最大問題の歌、いささかの的の歌、揺らぐことなしの歌、あと三頁の歌、げに新時代の歌(2015年9月1日〜10日)。

      〇(9月1日)この機にぞの歌六

   オンライン英文拙稿採りたしとメール来るや何やら嬉し

   この機にぞあやかりてこそ二書改題推敲進むさてもさてもや

   一書はぞ「滝沢哲学とともにー省察と再創造」や佳し

   もう一書「建学・対話・エコ神学」エピローグⅡぞ付加せんとすや
   (備考:エピローグⅡ「世界への愛」と御友神学)

   暫くや地固めの書や出し続く「復活省察」(中)新趣向

   時代のぞ先端をぞや切り拓く短歌神学いと面白し

       ♯              ♯


今朝も上の歌(9月1日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。奥様の絶後、ご葬儀の司式の依頼を受けて、急遽神戸から新発田のご自宅にふっとんゆき、前夜式と告別式、そして斎場の場において、先生と共に奥様のあの奇跡的な「笑み増し」を直に見届け、嬉しい経験をさせていただきましたが、日を追うごとに、先生の日々と歌は、ゆったりとして、大安心の妙があふれ出ていて、こちらまでもがほっこりさせられています。


       〇(9月28日)昨日もの歌四首

   昨日もジュンク堂にや赴きぬ復活本や至極健在   (備考:相変らず三ヶ所に展示さるるなり)

   軍事本出ずる時代の趣やただ抑止力高めんとてや

   抑止力宗教対話なくばぞやト氏の原爆如く逸脱

   英文稿「空神至誠」「至誠あれ」法源出ずる書きたるや我

       〇(9月29日)笑み増し奥深しの歌十首

   我妻や絶後笑み増し不思議やも岸辺の御友共にいませば

   笑むは佳しただ無心のぞ心意気実体論の世界に非ず

   誠にや笑みや法源空至誠まします天父称へ往くなり

   このところ佛基対話の三旧著健在にして時代示すや(備考:『仏教的キリスト教の真理ーー神人決定の新時代に向けて』京都・行路社、1987年、2007年;『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年;『対話論神学の地平――私の巡礼のなかから』横浜・春風社、2006年 なり)

   この基盤ありてこそなり英文稿エコ神学の先端を行く

   我妻や絶後笑み増す嬉しさやぽつりぽつりと仕合せの果て

   何にせよ我妻信子幸せの語り絶頂往きて笑み増し

   我妻や歓び人生尻上り御友御神至誠に順ず

   誠にや笑みに我見し御神の至誠御国の証しやげにも

   我覚る我妻の笑み奥深し天父誠ぞ御友と示す

       〇(9月30日)写真をばの歌二首

   写真をば繰りゆくほどにかの日々や甦りてや心満たすも

   汝が日々や天父に在りて我に在り人命(ひといのち)そも甦りなり


追記


先生のメルマガ「風の便り」で、ただいま目を見張らせる次の新たな歌がとどきましたので、早速「追記」させていただきます。

先生の「復活形而上学としての短歌神学日記」の妙、ここで再び Oxford のお招きですか! 奥様の御声を聴きつつ、さてどうされましょうか。


      〇(10月1日)法源原爆遥か超ゆの歌七首

   憲法法源原爆言ひしはやホイットニーぞ「陽光」とぞや
(備考:堤堯氏「ある編集者のオデッセイ 文藝春秋とともにーー魔都上海の街で考えたこと⑯」に書けり:「知ほらぬが仏の松本(丞治憲法担当相)は(1946年)2月8日、松本案をGHQに提出した。これを棚上げして作業は続く。作業開始から一週間後、GHQ草案が完成する。その間、おそらくGHQと幣原(喜重郎)、吉田(茂)との間で連絡があったであろう。
 2月13日、外相官邸で日米の会合が持たれた。ホイットニー少将からGHQ案を提示され、日本側は驚愕狼狽する。日本側の出席者は吉田、松本、白洲次郎らで、なかでも松本の驚きはひときわだ。幣原は出席していない。松本案が無惨に潰される事態を知っていたからだ。
 ホイットニーは、まず松本案の非を告げ、GHQのコピーを配る。一同が読み進む間、ホイットニーと三人の幕僚(ケーディス、ラウエル、ハッシー)らは庭に出た。そのとき、上空をB29が音高く通過した。轟音が日本側に与える効果を、ホイットニーはその著『日本におけるマッカーサー』に記した。
 「計画してもこのようにうまく行くものではない」
 さらには、「もう一発、心理的な矢を放つべきだと考え」、読み終えて庭に出て来た白洲に向けて言った。
 「われわれはここで原子力の陽光(the warmth of atomic energy)を楽しんでいるのです」」『Will』2015年11月特大号、280頁参照)

   幣原のマックに内示せし案や九条かくて法源原爆

   法源や「神Ecozoics」にぞ在るなりと形而上学我や今書く

   かくてこそ核の陽光遥か超ゆ「空神至誠」「汝至誠なれ」

   思ふにや形而上学怠りて思索せぬ故核代替す

   これこそや「核時代」のぞ正体ぞ思索あらばや核ただの物

   今こそや英文拙稿現れて法源明示核超ゆる秋 

        再びやの歌一首

   再びやOxfordより招きあり思索固めて我や答へん
   (備考:Oxford Round Table 2016への招待メールなり)








ただいま賀川豊彦大正7年に開設した「イエス團友愛救済所」に共鳴して献身した「馬島福医師」のことを、もたもたしながら調べています。

お借りしていた重要書類をリュックに背負い、賀川記念館までお返しに上がりました。いい運動になりました。

馬島福」は大正12年関東大震災のあと賀川夫妻などと共に東京本所での救済活動に当たり、神戸の救済所の働きは、賀川ハルの妹「芝ヤヘ医師」が引き継ぎました。

これまであまり調べがすすんでいない「芝ヤヘ医師」の関係文献をお借りして、またそれらをリュックに収めてヨッコラヨッコラ・・。

「芝ヤヘ医師」は戦後、東京での診療活動を経て、岡山の国立療養所・邑久光明園で10年ほど働いていましたので、昨夜は長島愛生園の歴史館へ「芝ヤヘ医師」のことをメール便で問い合わせをさせていただきました。ぼちぼちとこちらも進めてみます。

本日は、昨日お借りしてきた文献ー兵庫県大正8年11月に刊行した『社会救済事業写真帖』−にある「イエス團友愛救済所で診察する馬島福医師」の写真一葉と記念館の玄関、そして昨日の「生田川」(公園)の数枚を収めます。