延原時行歌集「命輝く」(第2275回)(秋の空・猫・スズメ・花たち)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2275回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(226−11)対話学の時代の歌、御声よの歌、御友示さるの歌、本や成すの歌、如何にもやの歌、驚けり、平和理法の歌、二つの力の歌、日ノ本基教復活の歌、超ゆの歌、新基の歌、なにかしらの歌、脈々の歌、補遺の歌、朝まだきの歌、法源やの歌、ひと時の味の歌、一文の歌(「風の歌に因んで」添付資料:8/25)、御友摂理の歌、人はそもの歌、神至誠の歌、御復活燃ゆる炎の歌、歓びの道の歌、一生仕事の歌、かりにもやの歌、皆の歌、委ねの日の歌、書の機嫌伺ふの歌、神御友学の歌ーー「滝沢原事実論」を超えて、成るの歌、面白しの歌、手直しの歌、歓び途切れなしの歌、「在る」「成る」一致の歌(2015年8月21日〜31日)。

      〇(8月31日)歓び途切れなしの歌八首

   我妻や汝生涯を顧みて最高に幸謝して笑み往く

   驚きぬ其処に歓び途切れなし今生絶後幸や一途や:
   God blessed the good day of self-reflection and self-dedication
   これこそや御友実在証しなり今生絶後その間歓喜

   誠にや岸辺の主ぞや歓喜主や故に我妻途切れず歓喜

   生くるにや歓喜一筋死にてもや笑み増す妻や歓喜主仰ぐ

   かくてぞや我妻のこと一語にて「輝き」とこそ申したきなり

   その心御友輝く人こそや延原信子言ふにありけり

   復活や今生絶後切れ目なき輝きのわざいと麗しや(備考:ホ氏も言ふ:”We perish and are immortal,” [PR, 351, 82])

        「在る」「成る」一致の歌十五首

   御友のぞ深き御恵み佑くあり我今日の日も命賜る

   昨日や恩師の論を詠ひけり我が青春歌「原事実」げに

   恩師学如何にバルトと合致すやその脈絡や詠ひしや快

   恩師言ふインマヌエルの原事実バルト「イエスに初生起」とや(備考:重要典拠以下の如し;「ここまでくると自然、われわれにとって、イエスにかんするバルトの考えのどの点に、基本的な曖昧が潜んでいるかが明らかになる。すなわちかれは、イエス自身に帰属する「神の決定」の二つの意義を十分はっきりと区別していないのである。一方ではインマヌエルの事実、神人の絶対に不可分・不可同・不可逆な関係は、他の何ものによってもこれを基礎づけることのできない「神の決定」だといいながら、他方では、あたかもこの原決定(A)が、人間の歴史の内部における顕現たるナザレのイエスの出現(B)によって始めて成り立ったかのごとく考える。後者の生成もコンティンゲントな事実として、他の何ものからも引き出すことができないようにーーただこれを認めるほかはないようにーー決定されたものであるために、この決定とかの原決定とを、無造作に同一視してしまっているのだ。こうしてかれの場合、「言は肉と成った」(ヨハネ1・14)ということは、たしかにナザレのイエスを念頭に置きつつも、もっぱら永遠に現在的な、かの決定の事実的成立を意味するものとして解釈されることとなる。そのかぎり、かれがイエスにおいて見るのは、もっぱら、永遠に現在的な神人の存在ないしはたらきに限られる。イエスという人間的主体の、それ自体その正確さを問わるべき、自己決定の内容ーーつまり史的イエスの言動ーーの確認と評価とは、完全にかれの関心の外に脱落する。イエス自身の服従(Gehorsam)といっても、それはいつもただ、それ自身神なる永遠の「子」の、「父」に対するそれであって、肉なるイエスの、父の御意、神の言ないし義に対する服従ではないこととなるのである。」『自由の原点・インマヌエス』(東京・新疆出版社、1969年)、213-214頁、参照)

   この把握存在生成混同と解きて明らむ我が御友学
(備考:因みに、滝沢の(A)と(B)の関係の学が我が御友学の主旨なるなり)

   バルトがや包括神を述べし時三一神性にてやありけり

   神性や「神人一体原事実」その一体を成すや示しぬ

   従ひて神も人もや「一体」に至誠なるほか在るを得ざるや

   一体や神の属性非ずして神と人との根底にぞ在る

   この根底世の根底の神のぞやその底のこと言ふや誠ぞ

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

   底の底太初の栄ロゴスがや笑む我妻と飛翔御友よ   (備考:ヨハネ17・24、熟読参照)

   原事実その底や翔ぶ我妻と嬉し御友の御父帰りや

   この飛翔「成る」の極致ぞ原事実「在る」の根底破る冒険

   かくてこそ滝沢「在る」やバルト言ふ「成る」にひたすらつながりゆくや   (備考:ただし、十首の所論をろ過してこそなり)

        御友道の歌十首

   恩師はや原決定(A)とイエス(B)とを区別せよ言ふ繋ぐ言はぬや

   両者をや繋ぎて友よ言ひけるや誠御友の成したまふこと
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   御友にぞ在りてや繋ぎ天父まで辿り往くこそ甦りなり

   我妻や絶後笑み増し示せるや誠岸辺の御友道なり

   御友道甦らする甦り示しにけりやいと有難し

   恩師はや原決定とイエスのや違ひ語るも繋ぎ示さず

   繋ぎぞや誠天への御友道友よと語り招かるるこそ

   御友道共に往くこそ基教なりAとBとの学び未だし

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ
   (備考:復唱)


       ♯              ♯


今朝も上の歌(8月31日)に加えて、先生のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。奥様の意欲と期待ーー「本つくる、父さんやって」−−に応えて進んでいる『復活の省察』(中巻)は、いよいよ煮詰まりつつあるようです。ゆっくりとじっくりと・・・。


     〇(9月25日)今聴くの歌十四首

   我妻や尊きとてや何あらむ病苦抜けたる古稀の笑みほか

   この笑みや人生最高幸せやいまわの際に解き明かせるも

   我訊けり何でやとこそ汝答ふ皆やって呉れる父さんやしも

   これほどの燦たる言葉我聴きて心歓び満つるほかなし

   歓びの満つるうち汝忽然とみまかりしとや誰や知るらむ

   されどもや絶後笑み増す汝やしも岸辺の御友示し往く哉

   時にぞや汝口開けつ我を見し御友おはすを言ひたげなりき

   己をば退きて隠して生きたるも汝が証しをばしかと我見し

   もうちょっと人前出るも良かりしを我言ひし時そうかもねとぞ

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

   我妻や汝が笑みにぞや励まされ英文稿や今や世に出ず

   汝が笑みの示せし御友輝きを「神Ecozoics」まで我や書きしや

   汝がしも皆やり呉れる言ひし如皆とは誠御神栄へぞ

   ノーちゃんやぽつりぽつりと汝言ひし仕合せやなあ我や今聴く

      〇(9月26日)昨日やの歌一首

   昨日や一気に六章仕上げしや中巻げにも進捗の時   (備考:『復活の省察』中巻なり)

        驚きぬの歌四首

   驚きぬ「対話神学」急上昇教義神学七位とござい
(備考:九著『対話論神学の地平――私の巡礼のなかから』横浜・春風社、2006年;アマゾン「教義神学」只今1,018点中7位なり)

   このことの示すものぞや何あらむ佛基対話ぞ時代先端

   旧式の基神学のみ穿ちたる処方は古し今まさに過去

   バルト学御多分にぞや洩れずして佛基対話を知らず胸張る

      〇(9月27日)推敲中の歌一首

   推敲中いやが上にも感動の溢れ来るあり妻喜びぬ   (備考:中巻推敲中なり)

   本作る父さんやって期待感生くるや妻の今や尊き












昨日も座右にある『復活の省察(上巻)』を紐解き、facebookでこの著書について送信したり、いま難渋している調べ物の問い合わせをしたり、書斎の図書資料の整理をしたりして・・・、午後は歯の治療で行きつけの歯医者さんに・・・・。

昨日の外出はこの一度だけ・・・。
一日中、ほとんど雲一つない秋空で、我が家から望む景色を、ぐるりと写したものが上の写真です。


一度だけの外出で出会った花たちや猫たち、そして公園の砂場でスズメたちが「砂浴び」をしていて、その写真などを、以下に数枚収めます。