延原時行歌集「命輝く」(第2267回)(史跡「旧湊川址」)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2267回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(226−3)
対話学の時代の歌、御声よの歌、御友示さるの歌、本や成すの歌、如何にもやの歌、驚けり、平和理法の歌、二つの力の歌、日ノ本基教復活の歌、超ゆの歌、新基の歌、なにかしらの歌、脈々の歌、補遺の歌、朝まだきの歌、法源やの歌、ひと時の味の歌、一文の歌(「風の歌に因んで」添付資料:8/25)、御友摂理の歌、人はそもの歌、神至誠の歌、御復活燃ゆる炎の歌、歓びの道の歌、一生仕事の歌、かりにもやの歌、皆の歌、委ねの日の歌、書の機嫌伺ふの歌、神御友学の歌ーー「滝沢原事実論」を超えて、成るの歌、面白しの歌、手直しの歌、歓び途切れなしの歌、「在る」「成る」一致の歌(2015年8月21日〜31日)。

      〇(8月23日)日ノ本基教復活の歌十五首

   日ノ本の戦後基教ぞ哀れなり原爆教の宣教背負ふ

   これひとえ佛基対話を基教のぞ出発点とせぬが故なり

   基教をば基教世界で見るならば基教絶対主義ほかやなき

   而してや原爆教ぞその形されど復活空至誠にぞ

   御神や空至誠にぞましてこそ至誠たれとの命法具現

   これやこそ御神復活道にして「神見て伝ふ」御友具現す   (備考:ヨハネ15・15、マタイ5・48、熟読参照)

   原爆教日ノ本殲滅戦略や如何にも無残佛基みざるや

   仏教の空に御神至誠ます御友「汝もや至誠なれ」とぞ
   (備考:マタイ5・48、熟読参照)

   人よ知れこれぞ日ノ本基教のぞ復活の道御友顕現

   基教はや果ての姿や原爆教いま空至誠御神御声ぞ

   これやこそ復活省察Phase 2我妻笑みて御友顕現

   くにたみの心に響くなにごとも基教持たぬはピカドンのゆえ

   これ超ゆる空至誠なる御神のますこと伝ふ御友真実

   原爆教二千年余の基教のぞ輝く伝統汝毀(こぼ)ちたり

   我らいま御神空にぞ至誠まし至誠なれよと喚(よ)ばる目覚むや 

        超ゆの歌三首

   我妻の絶後笑み増す不思議にぞ打たれしや我原爆教超ゆ

   絶後にぞ笑み増す妻や御友共原爆教の火中にやなし

   原爆教超ゆるものとて何あらむ我妻の笑み復活の笑み

        新基教の歌七首

   宗教間対話なき時いかほどや恐ろしき基教ありしかや知る

   広島と長崎にぞや原爆を続けて投下偽宣教ぞ

   これにてや日ノ本の人基教とは原爆教と肝に銘じぬ

   真実の基教や何ぞ我や知る(一)神空至誠(二)至誠なれとぞ

   佛基のや対話最中に生まれたる至誠教こそ新基教なり

   御神の「空至誠」をぞしかと見て「至誠なれや」と和するや御友   (備考:マタイ5・48、熟読参照)

   従ひて至誠教とは御友教如何に嬉しき新基教ぞや

        何かしらの歌三首

   何かしら心動きて昨日や「復活省察」友に送りぬ

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ   (備考:復唱)

   我妻の絶後笑み増し溢れ往く我らが一書贈る嬉しも

        脈々の歌十首

   このところ憲法法源思索すも御神空に至誠こそそれ

   空にぞや至誠御神おはしてや「至誠なれ」との命法や出づ

   一切の法の源これやこそかく覚りてや憲法や見ゆ

   なにゆえに国の独立先んじて我が憲法を異国(ことくに)や作(な)す

   これやこそ根本的の問題ぞ法源その際原爆なりき

   異国の有無を言はせぬ力誇示ありてこそなり憲法の怪

   されどもやこれ宇宙のぞ理に非ず御神至誠脈々と生く

   御神の至誠喚起ぞ憲法の民主諸権利含み脈々   (備考:これ原爆教にも拘らず、至誠喚起に直属すなり)

   御神の至誠喚起に民主価値直属するや憲法や善し

   米国や「憲法」施与に直属を従属へとの意志や込めたり(備考:御神の至誠喚起に「直属」せる民主諸価値を米国は「米国由来のもの」として対米従属を画したるなり。憲法前文も同様の仕掛けなり。考ふべし)


       ♯              ♯

延原先生は、北大でのプロセス学会を終えて、昨夜新発田のご自宅に戻られ、当方へもお電話を頂きました。しばらくスマホのバッテリー切れだったようです。

そこで早速、今朝はまず、9月18日に北海道に旅立たれる初日の歌をメルマガ「風の便り」の「今日の歌」として届けていただきました。

本日は上の歌(8月23日)の歌に加えて、8月18日の歌を、ここに収めさせていただきます。新発田を出発して「上毛高原」「青森」「東室蘭」「登別」までの歌です。


       〇(9月18日)一仕事の歌六

   此度のぞ英文拙稿なせるはや平和基礎論天地エコ学(備考:英文では”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics"なるも、邦語では、「ホワイトヘッドの平和基礎論」となるべし)

   最後のや一行書きて我はしも今更ながら気づけるや是

   邦語にてこの暮にはや始めんか「ホワイトヘッド平和基礎論J

   何とてもアイデア得るや学者のぞ命なりけり如何に嬉しき

   アイデアぞ金にて買へぬ貴重品天より賜ふギフト誠や

   我妻や絶後笑み増し不思議やもこれ程の燦又とあるなし
   (備考:なあ、ノーちゃん、凄いこっちゃ。おおきにね、父さん)

        北旅道中喜びの歌十八首

   今朝ほども英文拙稿最終稿詰めの連絡友になせるや
   (備考:Joe Brackenになり)

   思へばやいと面白き摂理なり新発田に退きて世界先端
   (備考:拙論Open Theologyへの掲載ほぼ決まりたり)

   これもぞや東西プロ研ありてこそ居ながらにして世界直通(備考:東西プロセス研究企画・The East-West Process Studies Project (since 1985)我が学会活動の拠点、命なり)

   今は我北大までや列車旅今年の歌を纏めて眺む(備考:新発田の家を出る直前、本年の「風の便り」みなプリントアウトの上持参、眺めおるなり)

   秋の日の日ノ本の田の色づきを愛でつつ行くや誠楽しも   (備考:只今上毛高原なり)

   なにゆえか心ほころび笑みや出ず我妻絶後笑み増し見れば
   (備考:心の中で見るなり)

   我妻や絶後笑み増し岸辺の主称へ往くかな嬉しきほどに
   (備考:只今青森なり)

   岸辺の主御友こそぞや宇宙のぞ真中ましけれいと尊しや

   真中とは父と我らを繋ぐ方父至誠ます汝もかくとぞ

   空至誠ますやこそなれ御父ぞかくの如くに汝至誠なれ

   かくてぞや宇宙法理や述べらるる法源や父宣ぶるや御友

   この法理「空」「神」至誠ますゆえぞ仏基対話の至純に在りや

   さりながら二十世紀の只中に偽基教出ず他教殲滅

   原爆をト氏投下とぞ決せしや「獣や撃て」との偽宣教よ

   かくてこそ日本国のぞ憲法やその法源を原爆に見し(備考:これ偽らざる歴史的事実なり。独立以前にGHQから施与されたる(まるで「条約」のごとき)「憲法」(しかるがゆえに、真実を言はば、「和平憲法」)に有無を言わせぬ「法源」在りとせば、そは「原爆」の圧倒的威力なりき。これ戦後日本の「根本的まやかし」なり。人々「平和憲法」と称えおるなれど、その裏事情や「原爆教」なり。真の法源にや非ず。ここにGHQと日本人民の奇妙なる同調あるなり。いずれも法源を知らざるなり。知ろうともせざるなり)

   されど我「神Ecozoics」にぞ法源や在りとの説を確立せしや
(備考:それを、我が米国の友とオンライン誌Open Theology好みおるなり。真実のためなり。ただし、我憲法論を論じおるにあらず、現代世界の最も根幹的なる地球意識「エコロジー」の源を論じたるなり。世界のエコロジ―を論ずる前に「神Ecozoics」を論ぜよ、と言ふが我が主張なり。さて、只今東室蘭なり)

   なべてぞや我妻絶後笑み増しを我見しことに始まりにけり

   誠にや御神佳き日祝します悲惨の中に神共にます
   (備考:只今登別なり)


追記

新たに「9月19日」の歌が届きました。ここに加えます。


      〇(9月19日)新時代見ゆの歌十四首

   寛ぎて目覚めたり我昨夜にや我が歌通覧楽しみしほど
   (備考:北大に近き札幌アスペンホテルにて)

   日々を歌詠みつつや過ごし来ぬ我妻絶後笑み増しととも

   ついにはや御友神学かつはまた「神Ecozoics」まで我や来にけり

   そこにはぞ一大発見伴ひし原爆投下偽宣教と

   思へばや戦後七十年間や原爆教の夢の跡げに

   まるごとに偽宣教の「平和」にぞ呑み込まれたる日ノ本の日々

   これからや「神Ecozoics」のぞ道をばやただひたすらに歩みゆかんも

   偽宣教その熱狂や核体制離るればこそ新時代見ゆ

   昨夜ぞや通りしなるも安保法同盟法源核非ず知れ

   今こそや日米同盟核超ゆる「神Ecozoics」にぞ在る旨となす

   原爆教縛りし九条その法源「神Ecozoics」にぞ在ると知るべし

   この認知日米同盟危ふきを去りて任務を勧めざらむや

   時代のぞ真相見ゆる時はぞや歌詠み思索続けしや後

   決してや時局的なるくさぐさの情報にぞや在るに非ずや







清々しい秋晴れの朝です。

上の写真は、昨日の夕焼けです。このとき、夕焼けの上には、美しい半月がありましたが、私のカメラではきれいに撮れませんでした。


本日の写真は「史跡 旧湊川址」(昭和8年・神戸市)の石碑のある「大楠公六百年祭」(昭和10年7月)に神戸新聞社が建てた「大楠公像」です。

長く神戸に住みながら、何度も仕事の関係で来たことのある兵庫区役所の真ん前にあるこの名所を、まったく知りませんでした。

ここは市民の憩いの広場で、樹の下ではおじさんたちが将棋に興じ、同輩の方々が、椅子に座って、のんびりと過ごしておられます。

長い歴史を刻んだ風格のある公園です。わたしもしばらく椅子に座って、スズメやハトをながめ、よいときを過ごしました。