延原時行歌集「命輝く」(第2264回(ぶらりお出かけー新開地・湊川公園)

           
  延原時行歌集「命輝く」(第2264回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(225−10)宇宙真中の真の歌、黙々の歌、朝毎にの歌、御友尊しの歌、今朝もまたの歌、地球の法の歌、米国やの歌、ふとの歌、文明論の歌、我妻や燦の歌、脱皮の歌、開眼新たの歌、朝餉の祈りの歌、何ともやの歌、原爆神学の罪の歌、楽しの歌、道や明らむの歌、我見しの歌、「神Ecozoics」あらましの歌、昨日もの歌、国甦るの歌、妻も祖国もの歌、世の国やの歌、朝夢にの歌、朝からやの歌、別問題の歌、事の次第の歌(2015年8月11日〜20日)。

       〇(8月20日)別問題の歌二十二首

   我やしも憲法法源原爆と詠ひしぞそも真なりけり

   平和のや憲法誠その法源正反対の核なりと知る

   かく言ひて我やひたすら歌世界築きおるにやあるにしてこそ

   我や詠むここ二世紀のぞ日ノ本や誠異なるの憲法の国

   普通にや法源成すや神命よ日ノ本にてや原爆や是

   日ノ本が未だ独立成せる前異国よりぞ憲法や出ず

   それをぞや平和憲法呼びてぞや誉れとなすやこの国哀れ   (備考:そこに日本の戦争責任への深き懺悔動機成すなり)

   これつまり神命をぞや戴きて憲法を書くの動機なき国

   我や言ふ「神空にそも至誠なる」神命出ずる根源なるや

   かかる事米日両国真に承けず核支配とや被支配のみぞ

   而してぞ被支配のぞや究極を「平和」と呼ぶや日ノ本の癖

   これはしも究極兵器原爆を投下せし国ありてこそなり

   何時までも人神命に逆らふや不可なればこそ良心疼く

   他の理由故にや非ず罪責に米国没落不可避と覚ゆ

   しかしてや日ノ本国の許しぞやなくば良心浮かばれぬ如

   かかる故核体制や神罰にのたうち回るほかぞ無きなり

   暫くは日ノ本戦争責任を突きはすれども主問題別

   原爆を偽宣教学よりしてや投下せしことこれ主問題(備考:基督教絶対主義ぞ偽宣教学なり。米国の原爆投下の罪「世俗的罪」を超へて「宣教学的罪」なり。しかも、この罪核時代の開幕をかくも悲惨なる形にて宣言せし点桁外れなり。「世俗の罪」も深く反省すべきなり。されど、「宣教学的罪」や如何)

   主問題意味するところ何なるか「福音宣教純正なるや」

   米国の宣教何ぞ原爆ぞ日ノ本我ら篤と見しなり

   我らはぞこの基教捨て「神空に至誠御心」喜びて生く

   これやこそ佛基対話の新基教我や呼ぶなり両学の一

        事の次第の歌二十二首

   基教のぞ究極真理御神の空至誠にぞそも在りにけり

   この真理争ひ根源滅すなり我これを言ふ両学の一(備考:仏教的空に基督教的神「至誠」と解くや我が解法なり。そこに至誠命法宇宙に現成。これ我「両学の一」と申すや)

   神と空実在二形非ずして実在及び至誠原理ぞ

   至誠のや原理言ふやは御神や空至誠ゆえ至誠なれとぞ

   己がや在る様態を示してや「汝もかくなせ」命ずや原理

   かくしてや原理そもそも存在と当為を含む繫がりの事

   この事情解せぬ者あり米のル氏空や許さじ神のみ念ず

   空をばや神にて代置せずばぞや東亜の世界不純なりとす

   原爆の投下思ふは元々や彼の哲学稚拙に発す

   印度のや発見せしの「空」にぞや御神至誠成すや神秘ぞ(備考:「空」基督教神学にてや「内三位一体的神性のNichts」(マイスター・エックハルと)なり)

   龍樹言ふ空は自ら空ずなり無自性ぞ是神根底や

   神空に至誠なる故至誠なれかくて宇宙に命法生まる

   ル氏命法解し得ずして秩序をば偽宣教の原爆と化す
(備考:秩序とは「神空に至誠なる故、世に向けて汝も至誠なれ」と言ふ命法に在るも、ル氏命法の土台踏まず、結果の命法の暴力的仮構を「原爆」に求む。甚だしく愚かなるなり)

   要するに形而上学貧困や存在知らず当為急げり(備考:当為「日ノ本殲滅すべし」との偽宣教学の事なり。この当為主義ル氏の場合共産主義的急進主義と相性良かりき。彼の最高部下にソ連のスパイ多かりしと今では周知なり。このためスターリンヤルタ会談にて譲歩ありたり)

   さりながら宇宙の秩序定かなり(一)神空至誠(二)汝至誠なれ

   御神や(一)に在りてや(二)で命法行じたるゆえ秩序ありたり

   それがぞやル氏や焦りて偽宣教基教絶対原爆託す(備考:後任トルーマン受け継ぎて投下――ダレス、アイゼンハウアー反対す)

   ここにはや(一)すっ飛ばし(二)しか無し土台無視せる偽命法

   かくしてや御神秩序破壊され平和憲法法源や核

   それ以来地球上にや偽秩序核体制や跋扈せるなり

   偽宣教原爆基教誰がぞや日ノ本にてやそも信ずるや

   今朝もまた我西瓜をや食しつつ神至誠歌詠みつ思索す

       嬉しくもの歌四首

   嬉しくも空に至誠の御神や至誠なれやと命法やあり

   御神の空至誠をぞ見し上で命法告ぐや御友真実

   その一事玉音天籟聴きし折心に畳み日ノ本や生く

   何程や米の作りし憲法の原爆平和草の種かや

       ♯              ♯

今朝も上の歌(8月20日)に加えて「今日の歌」を・・・と進むべきところ、昨日お知らせのとおり、延原さんは明日まで北海道・札幌の北海道大学で開催中の「日本ホワイトヘッド・プロセス学会』第37回大会にお出かけ中で、メルマガは届いていません。

昨日夜の札幌(?かな)からのお電話では――早朝より乗り換え乗り換えして青森から函館へ・・、次々と新しい歌が産まれて・・・ブラッケン師のお薦めをへて英文論稿が愈々公開されてゆく・・・ノーちゃん益々働いとるな・・・といった喜びの弾んだ声を聴かせてもらいました。

英文稿 Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection
Metaphysics は、日々の省察の歌と照応する、注目の延原形而上学です。

今年のホワイトヘッド学会も刺激の多い充実したものになることでしょう。新しい歌も楽しみですね。







昨日はチャリンコに乗って、神戸駅近くの馴染みの散髪屋さんでサッパリと・・・帰路新開地の北側にある「湊川公園」に立ち寄りました。

この公園はいまきれいに整備され、市民の広場として親しまれています。

公園入口には、あの大震災から10周年を記念して、作家の藤本義一さんの書「ここに ねむる いのち ここから はばたく」が刻まれた立派な石碑が据えられています。


そして公園の中央には新しいシンボル『時計塔』新開地の美しいカリヨン(4個のベル)があります。

この場所には、大正13年3月に建てられた有名な「神戸タワー」が聳えていて、100メートル近いとても高い塔でした。

昭和41年に神戸市民となった私は、昭和43年に壊されるまで、よく眺めた懐かしいタワーです。

本日は新しい「時計塔」をハトや花たちと共に並べておきます。