延原時行歌集「命輝く」(第2262回)(ぶらり散歩――会下山善光寺)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2262回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(225−8)宇宙真中の真の歌、黙々の歌、朝毎にの歌、御友尊しの歌、今朝もまたの歌、地球の法の歌、米国やの歌、ふとの歌、文明論の歌、我妻や燦の歌、脱皮の歌、開眼新たの歌、朝餉の祈りの歌、何ともやの歌、原爆神学の罪の歌、楽しの歌、道や明らむの歌、我見しの歌、「神Ecozoics」あらましの歌、昨日もの歌、国甦るの歌、妻も祖国もの歌、世の国やの歌、朝夢にの歌、朝からやの歌、別問題の歌、事の次第の歌(2015年8月11日〜20日)。

      〇(8月18日)「神Ecozoics」あらましの歌二十一首

   我が理法「神Ecozoics」ぞ一般に受容さるれば地球の法ぞ

   これはぞや神理法なればこそ世の論理はや服すほかなし

   人がぞや世を「神の体」見做す時御神の深み見ざるなりけり
(備考:これSallie McFague, The Body of God: An Ecological Theologyの問題なり)

   このことや御神をぞや御し易き存在へとや貶むる業

   かかる無礼なくして如何に覇権主義成り立ち得るや我ら知らずや
   (備考:我ら「神学」なり)

   世界のや現況にてや神学の言葉重きを成せるよいよよ

   一番に重要なるや一面ぞ神や空(Eco)にぞ至誠なるなり

   これやこそ一宗教の言ならず佛基対話の真実なるや

   然る故仏教悟り真理受け基教至誠を重ねたるなり

   このことや仏教へのや最大の尊敬示す基教真実

   その奥にゃ空の深みや控へおり空自らを空ずなりけり
   (備考:二面なり)

   このことを含みつつもや御神や空に至誠を示しつ独自

   至誠心示す者のみ他者にぞや至誠心(命・Zoe)をば喚起なし得や
   (備考:三面なり)

   空にはぞこの資質無し神のみぞこれあればこそ世を体となす

   そこにてや初めて「体」(命・Zoe)神学や深き底(空・Eco)より是認さるるや

   しかもぞや神の至誠を見つつぞや招喚具現御友なりけり
   (備考:これ四面なり:ヨハネ15・15、熟読参照)

   誠にや「神Ecozoics」理法のぞ具現者やこそ御友ほかなし

   御友はぞ日ノ本民や滅私すや君「護持シ得テ」受諾時顕現(備考:橋川文三「『戦争体験』論の意味」、桶谷英昭『昭和精神史』、長谷川三千子『神やぶれたまはず』、吉本隆明高村光太郎』に通底する、〈大東亜戦争の戦争体験に「イエスの死」とパラレルな「日本国の死」の超越的契機を感ずる〉「天籟」の神秘主義は、遂に、一億玉砕の「民意」を1945年8月15日正午玉音放送の中で昭和天皇が「護持シ得テ」ポツダム宣言受諾に進むと告げられし瞬間、「あのシーンとした国民の心の一瞬」(河上徹太郎「ジャーナリズムと国民の心」)において、具現したるなり。その瞬間の意味を、御友の顕現と我は見るなり)

   一国の「滅して不滅」岸辺にぞ御友誠や立ち給ひけり

   御友はぞ原爆投下悲惨中道や明らむ御復活げに

   かくてぞや米原爆教に非ずして御友神学日ノ本知りぬ  

        昨日もの歌一首

   昨日もジュンク堂をぞ経巡りて復活本や三ケ所に見ゆ
   (備考:今までは二カ所なりしが)

        二道の歌一首

   日ノ本の基教の道やふたつあり原爆教か御友教かや


       ♯              ♯

今朝も上の歌(8月18日)の歌に加えて、メルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。たゆむことのない延原さんの日々の歌ーー御友と奥様の笑み増しに導かれつつ詠われる日々の歌は、哲学的で宗教的な独自の形而上学省察の歌として、深く広い宇宙的世界に導かれます。日ごとの朝の歌の歌として響き渡ります。


       〇(9月17日)ジュンク堂にての歌十四首

   過日もやジュンク堂にて妹背本眺めつつ我心和めり
   (備考:9月14日(月)のことなり)

   悠然と佇みおるや復活本なじみの顔になれる驚く
   (備考:『復活の省察[前巻]』なり)

   傍にはや風神学も展示さる揃踏みもやはや一年か
(備考:『宇宙時代の良寛再説ーーホワイトヘッド風神学と共に』なり)

   ふと手にや『浦上原爆』取りて読む語り変れる時にしあるや
(備考:四條知恵『浦上の原爆の語りーー永井隆からローマ教皇へ』(未来社、2015年)なり。「燔祭説」からローマ教皇ヨハネパウロ二世の初めての日本訪問(1981年2月23日―26日)における平和アピール「戦争は人間のしわざです、戦争は人間の生命の破壊です、戦争は死です」(広島平和記念公園における「平和アピール」冒頭の日本語挨拶)へと。恵みの丘長崎原爆ホームにおける教皇メッセージ:「みなさんがきょうまで耐えてこられた苦悩は、この地球に住むすべての人の心の痛みとなっています。皆さんの生きざまそのものが、すべての善意の人に向けられた最も説得力のあるアピールーー戦争反対、平和推進のため最も説得力のあるアピールなのです。
 今わたしは、最初の原爆炸裂の日より二年目に、時の広島市長が、「戦争のもたらす苦痛と罪悪性を己が身をもって体験し尽くした者こそ、戦争を最悪の悲劇としてどこまでも告発し、最大の情熱を傾けて平和を希求するであろう」と言った言葉を思い出します。皆さんは絶え間なく語りかける生きた平和アピールであり、わたしたちはみんな、皆さんのおかげをこうむっているのです。」同署73頁、参照。いわゆる「核の抑止力」は、教皇メッセージの明示せるごとく、「広島・長崎の被爆者のおかげ」なしには語り得ざるものなり)

   ちゃぶぜんで刺身定食中ジョッキー楽しみつつや心浮く我

   なににせよ英文拙稿推敲の成れることぞや妻と喜ぶ

   我妻や絶後笑み増し大仕事我が英文も大仕事かな

   汝と我合してこそや妹背業如何に嬉しき復活讃歌   (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)

   このところジュンク堂にて書参毎復活歓喜いや益すがごと

   中巻も日に日に次いで整ふや「笑み増し」「御友」「空神至誠」
   (備考:我が歌の三大主題なり)

   空に神至誠まします故にこそ至誠なれとぞ神命やあり

   かくてこそ宇宙法源明らなり原爆教や虚仮不実そも

   偽宣教核に託して殲滅戦演じたるやも基教や自滅

   英文稿著しけるや誠さち新基教のぞ初め記しぬ








国内外騒乱の中、神戸もいま雨の朝です。

本日の写真は、昨日の「牧野富太郎植物研究所跡」の「牧野坂」を少し上がったところにある「会下山善光寺」です。

このお寺は大正6年善光寺関西別院会下山寺としてできているようですが、境内はいつも開かれていて、美しく整えられています。

上の写真は、お寺の通用門とそこに聳える一本の大きな銀杏の木です。黄色の実をいっぱいにつけています。


ここには「聖徳太子堂」などあって、静かな境内でしばし時を過ごすのも、ぜいたくなひと時です。











昨日も新しいサボテンの花が一輪咲いていました。また、彼岸花の白と赤も見つけました。瓢箪などとともに収めます。