延原時行歌集「命輝く」(第2261回)(ぶらり散歩ーー牧野富太郎植物園研究所跡)

            
  延原時行歌集「命輝く」(第2261回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(225−7)宇宙真中の真の歌、黙々の歌、朝毎にの歌、御友尊しの歌、今朝もまたの歌、地球の法の歌、米国やの歌、ふとの歌、文明論の歌、我妻や燦の歌、脱皮の歌、開眼新たの歌、朝餉の祈りの歌、何ともやの歌、原爆神学の罪の歌、楽しの歌、道や明らむの歌、我見しの歌、「神Ecozoics」あらましの歌、昨日もの歌、国甦るの歌、妻も祖国もの歌、世の国やの歌、朝夢にの歌、朝からやの歌、別問題の歌、事の次第の歌(2015年8月11日〜20日)。

       〇(8月17日)楽しの歌二首

   何がぞや楽しと言ひて我妻の古稀フォトを見るほどぞ無きなり

   天来の喜びの笑み零るるや我妻の面いと麗しき

        道や明らむの歌二十四首

   神学の手法で観れば核戦略必ず切れる場所ぞあるなり

   それはぞや佛基対話の何面か問ふにあるなり「三」のみや不可

   一面や神空にぞや至誠なり言ふにあるなり神学基点

   二面はぞ空自らを空ずなり言ふにあるなり基点深奥

   三面や御神のみや宇宙にて至誠心喚ぶ基点逆出

   四面や神至誠をぞ見る者ぞ喚ぶ者なるや御友真実   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   核兵器造り出だすも投下にや邪教殲滅召命要す(備考:これそもそもローズベルト大統領ハーバード時代からの強烈なる念願なりし如し。彼の日本人友人より神道の話聴きて、これ絶滅させんとの猛願萌せりとのことなりき)

   米国やここに神道絶滅の召命神学用ひたるなり

   三面の真実なるや基点のぞ逆出(逆説的表出)なるや「一」なくばなし

   されどもや米国日ノ本殲滅を急ぐ余りに偽召命賭す
(備考:即ち「一」無しの「三」のイデオロギー的抽出なり。「ジャップ」との蔑称にその念明示されたり)

   今にして思へばこれや無惨なる宗教対話欠損の罪

   近代の宗教改革以後のぞや基教のゆがみ代表せしぞ

   他宗教「代置」の対象なりとすや偽宣教学戦と化せり(備考:恩師ジョン・カブ著、拙訳『対話を越えてーーキリスト教と仏教の相互変革の展望』京都・行路社、1985年、43頁:「おそくとも1910年エディンバラで開催された第一回世界宣教協議会(World Missionary Conference)の頃までは、海外宣教策定者たちは、非キリスト教諸宗教の瓦解とそれらのキリスト教による取り代わり(注。"replacement")を予期していた。ユリウス・リヒターのベルリンでの就任演説のクライマックスとなったせりふは、この独特の構想を表す。――『宣教弁証論は、非キリスト教的諸宗教に対抗して、キリスト教こそが唯一の道、唯一の真理、唯一の生命であることを示し、非キリスト教的諸宗教を立ち退かせ代わって異教の国民生活の土壌の中に福音主義的信仰をキリスト教的生活とを植えこむことを追い求める、神学の一分野である。』」かかるキリスト教絶対主義的宣教学の背景の理解なしに、ローズベルト=トルーマン米政権の対日「原爆投下作戦」の動機を察することは不可能なり)

   人方や原爆投下烈しさの元と成れるの神学知らず

   真実や太平洋の戦とは戦と化せる宣教学ぞ

   宣教学外してみれば自衛戦マ将軍さへかく証言す(備考:「マッカーサーが昭和二十六年(1951年)五月、アメリカの上院軍事外交合同委員会で、日本の先の戦争の原因は主に自衛の目的であった(Their purpose, therefore, in going to war was largely distated by security.)と証言したことを、私は雑誌『Voice』(PHP研究所)で、原文を引用して論じた。雑誌論文にこの原文を引用したのは、これがおそらく日本で最初だったろう。」渡部昇一『「戦後」混迷の時代から』東京・ワック株式会社、2015年、40頁)

   知るべしやその結果ぞやグローバル核体制ぞ偽神学ごと

   この惨果日ノ本の人米国を信じすぎてや直視せぬ如

   宗教間対話の時代来たりてや摂理の時と我や思ふや

   緻密なる神学分析なしてこそ国際政治罪や明らむ

   廣島も長崎もぞや報復と言はれおりしも御神許さじ

   御神や空に至誠の御方ぞ殲滅戦に加担なさらず

   我信ず神学匡すことにより国際政治道や明らむ

   我が理法「神Ecozoics」ありてこそ地球の法や燦たる如し(備考:拙論"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity" in: Roland Faber and Santiago Salbotsky, eds. Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in Multireligious Community(Lexington Books, forthcoming)参照)

        我見しの歌七首

   人はぞや一日ほんの少ししか賢くならぬされど我見し

   原爆教見破りて我嬉しくも空に根差せる至誠教知る

   至誠なる御神誠日ノ本に働き給ふ御友告ぐるや

   我妻の絶後笑み増し往きしぞは御友岸辺に立ち給ふ幸

   この幸や日一日と日ノ本の国の幸とや結びゆく哉

   日ノ本の国や岸辺に御友在り甦りてや今日の日を生く

   我妻の絶後笑みにぞ絆(ほだ)されて始めし歌に国甦る


       ♯              ♯

今朝も上の歌(8月17日)の歌に加えて、メルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。ブラッケン先生との往復メール便を添えた喜びの歌です。いよいよですね!! 嬉しい朝です。


       〇(9月16日)驚きぬの歌二首

   驚きぬ最終稿に我が友や筆加へてや推薦せしと(備考:Joe Brackenより深夜メールあり、9月16日早朝:"Dear Toki: I made some further revisions in the text of your article and sent it to Katarzyna with a recommendation that it be published in Open Theology. Thanks for your hard work. Joe B” 我が返書メールこれなり: “What a joyful surprise! It's so kind of you. I have come to the present locus of completing this small piece through an experience full of vicissitudes. But this locus is not only mine. What a blessing for a communal thinking with you! Cordially, Toki”)

   かくてぞや我が畢生の論考や友佑くあり世にぞ出でんも
(備考:Prof. Dr. Joseph Bracken of Xavier Universtiyは米国にて最も有名なるプロセス哲学者・神学者の一人なり。我の米国宗教学会(AAR)内に設置せし部会”Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective": 1985−1991の重要メンバーなりき。何なる光栄ぞ。我が会心作”Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics”今やOpen Theologyに掲載刊行されむ)


          妻ぞ命の歌

   幾多のや詠み来たりける我が歌を振り返り知る妻ぞ命と

   我妻や絶後笑み増す詠ひたる我が歌やこそ妻が息吹ぞ

   日々に詠ひ来れる妻が笑み我が笑みなるや歌と顕る

   復活の省察何ぞ歌のほか日々に詠ひて妻日々やこそ






ぶらり散歩ーー今回は久々の「会下山遊園」の「牧野坂」登り口にある「牧野富太郎植物園研究所跡」です。

兵庫県の花ノジギクなど1500種以上の草花を命名し、六甲高原植物園の開園を指導した牧野富太郎(1862〜1957)の人気は、名著『植物記』(正続、昭和26年)の復刻もあって静かな広がりをみせています。

この場所には年に数回訪れますが、秋の虫たちの声と共に、名残惜し気にツクツクホーシの美しい声が聞こえてきました。

富太郎の妻・壽衛(通称・寿衛子)にちなんで名付けた「スエコザサ」などと共に「花在れば吾れ在り 牧野結網(けつもう)」の刻まれた石碑が据えられています。

下の写真は、1925年に日光で撮影されたとみられる牧野富太郎で、西宮市の芝田本子さんの保管されていたもので、神戸新聞の2012年11月14日に掲載されたもので、大正期の牧野の写真は珍しいそうです。

ここでは、牧野の名付けた「ハマカンゾウ」の花と、この研究所跡のすぐ上にある公園の立派なクスノキなどを収めておきます。












加えて「牧野坂」を上る途中の立派な邸宅があり、そこも立ち止まって数枚パチリ、撮らせてもらいました。