延原時行歌集「命輝く」(第2260回)(ぶらり散歩ーー松本せせらぎ通り」)
延原時行歌集「命輝く」(第2260回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(225−6)宇宙真中の真の歌、黙々の歌、朝毎にの歌、御友尊しの歌、今朝もまたの歌、地球の法の歌、米国やの歌、ふとの歌、文明論の歌、我妻や燦の歌、脱皮の歌、開眼新たの歌、朝餉の祈りの歌、何ともやの歌、原爆神学の罪の歌、楽しの歌、道や明らむの歌、我見しの歌、「神Ecozoics」あらましの歌、昨日もの歌、国甦るの歌、妻も祖国もの歌、世の国やの歌、朝夢にの歌、朝からやの歌、別問題の歌、事の次第の歌(2015年8月11日〜20日)。
〇(8月16日)朝餉の祈りの歌一首
朝餉のぞ祈り天父に捧ぐ時我妻の笑み感ず嬉しも
何ともやの歌十首
何ともや奇異なる光景元首相異(こと)国と共反安倍「宣言」
これやこそ大東亜のや共栄圏その中にての野党連合(備考:[ソウル共同]「終戦70年を迎える15日を前に、村山富市元首相や韓国の李洪九元首相らが連名で、日本の憲法9条改正への反対や朝鮮戦争の終結などを訴える「東アジア平和宣言」を発表した。村山氏は安倍晋三首相が14日発表する戦後70年談話を注視するためとして訪韓せず、鳩山由紀夫元首相と李氏がソウルでの集会で朗読した。宣言には「憲法9条を保持してきた日本国民」のノーベル平和賞への推薦を発案した主婦鷹巣直美さん=神奈川県座間市=や中国の李肇是元外相ら計97名が名を連ねた。」『新潟日報』2015年8月14日付)
あたかもや成長鈍化中国や焦りて元の切り下げやなす
(備考:『新潟日報』2015年8月14日付)
安倍談話発表ありて「村山」の引用論や注目の的
我感ず「共栄圏」の政治ぞや開始せる如興味津々
かつてはや「共栄圏」の戦あり今や反省政治季節や
かくてぞや「村山談話」季節から「共栄圏」の政治始動す
ここにてや文言重要ひょっとして憲法安保よりも流通
面白し首相の書きし「談話」はぞ米国書きし憲法進む(備考:東亜の事を日本国首相自らが反省し「村山談話」を基に論評の上、決意表明したる点、「和平憲法」進むものなり)
しかもぞや東亜面々論評す政治対話ぞじりじり微進
原爆神学の罪の歌二十七首
人はぞや世界を「神の体」とぞ見る故にこそ御神崇むや(備考:Sallie McFague, The Body of God: An Ecological Theologyのように、世界を「神の体」と見るだけでは、神への深き尊崇やなし)
否逆に御神空に至誠なる御方と知り御神崇むぞ(備考:神ご自身に神根底への至誠心ありと見るところより、深き畏敬やあるなり)
何故ならば空の場(Eco)にぞや至誠なる御神にあれば招喚し給ふ(備考:至誠を自ら経験されたる御神のみ、我らに至誠心の招喚為し給ふなり)
従ひて招喚なくば人如何に神の体なる世界知れるや
況やぞ一国にぞや原爆の投下許さることやあらうや
米軍や広島長崎如何なるの召命ありて原爆投ずや
歴史的新教神学召命観用ひて殲滅成せし非ずや
さりながら米軍投下御神のぞ空への至誠崇めはせざる
召命の基教原理を用ひてや殲滅なせし明白なりし
これはしも基教絶対主義による殲滅投下旧き神学
現今の佛基対話の神学や絶対主義や否認するなり
先ずはぞや御神空に至誠なる御方として崇むべきなり
この崇敬米国基教欠きたるや信仰未熟言ふべきやこそ
然る故原爆投下問題や惨禍甚大のみに非ずや
従ひて米国原爆投下はぞ核と共にや誤神学あり
ここにぞや核体制は恐るべし基教絶対誤神学付す
これこそや後続諸国核体制欲する理由神学魔境
されどもや神学魔境今ではや対話時代に旧きや旧き
それ故に佛基対話を通じてや「神Ecozoics」ぞ地の法なれり
神学の旧き魔境に呻吟す世の核諸国哀れなりけり
宗教間対話の実を知るにつけもし人ならば無明恥なむ
如何にもや核開発に励めども神学魔境脱せねば不可(備考:現在の「抑止力なる核」は、神学魔境脱しおらねば、成立不可なり)
神学の旧き魔境を脱せねば核戦略や恥の又恥
而してや偽神学で三度目の投下なす国狂気の沙汰ぞ
人類が聊か正気持するなら今や対話の時代とぞ知れ
汝が国が三度目投下なすならば天と文明蔑(なみ)す罪人
要するに仏教空を受容せぬ召命観の基教や恐し(備考:他教他文明を殲滅する召命観を有すればなり。因みに、仏教的空キリスト教にてや「三位一体的神性=ペリコレーシス=」の事なり。この神性、マイスター・エックハルトNichtsと言ヘリ。神Nichitsに至誠なり、故に、被造界に至誠心喚起するなり。我が至誠心の神学三つの原理にて成れり:①神は空に至誠なり;②空は空自らを空ず;③神は宇宙に在りて我ら被造物に至誠心を喚起し得る、また現に喚起なさる、唯一の御方なり。近時、第四の原理発見せり:④「父から聴けることを、汝ら(弟子達)に告げたる故、汝らを我は友と呼ぶ」(ヨハネ15・15)と申されし御友なくば、神至誠にして至誠喚起さるること我ら認識すること能はず。原爆偽神学は③の原理(召命原理)のみにて立てり。四原理のすべてを充足せねば、宇宙的神学としては不十分なり。廣島と長崎に原爆を投下したる、トルーマンの背後に在りし神学、実に制約されし、誤謬神学なりしこと、現在の対話論神学状況から十分批判的に反省すべきなり。さもなくば、核戦略なるや歪なり。とてもや21世紀の文明に相応するものに非ず。一言でもってすれば、「非文明的」なり。非文明的核戦略を世界の重要諸国が欲するのは、「抑止力」のゆえと言はるるが、「本当の抑止力」は、知るべし、広島・長崎にて惨禍に遭いし幾十万の「人達」の実在なり。それを言はねば、人道に悖るならむ。しからずや。逆説的なるが、被爆の日本国ある故に、核戦略は核戦略たり得たるなり。実際の惨禍の恐ろしさなしに、兵器の実行力など、知るべくもなからう、と言ふものなり。それに堪え得てある、日本国、日本の市民を、世界の国々、人々は何故讃美賛嘆感謝せざるかや?呆れるほど不誠実なり。御神許されざることと思はる。まず米国は原爆投下を恥じよ、それを支へし基督教絶対主義的殲滅偽神学を恥じよ。しからざれば、「米国純正のキリスト教国なり。」とは真っ赤な偽りなり。知るべし。我が神学的立論は、公開せしなり:See "The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity" and “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”)
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今朝も上の歌(8月16日)の歌に加えて、メルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。
〇(9月15日)大仕事の歌十二首
生涯の際に至りて汝やしも大歓喜笑むこれ大仕事
これこそや延原信子生涯の祈りほめたる主の御祝福
(備考:生涯の祈り汝が古き新約聖書の扉にやありたり:「あさな ゆうな 主のみあと を たどりて 身をおしまぬ ひつじかいと ならせたまえ わが主よ」)
人如何に苦難経しとや言ひたるも復活なくば笑みやなきなり
長崎の被爆体験永井師や「燔祭」言ひし大歓喜欠く
(備考:「たしかに燔祭説のロジックがアメリカの原爆投下責任を追及するものではないということは、永井隆が占領軍に広報され、占領軍の検閲下で燔祭説を含む被爆体験記が出版を許可された大きな理由のひとつだと言える。永井の原爆の語りは、占領軍のお墨つきを得たものであり、それゆえに、1948年半ばまでの長崎において。原爆被害を意味づける語りは永井隆の燔祭説に収斂した。しかし、これは従来のようにただ永井一人と占領軍との関係において説明できるものではない。占領軍に加担したという永井の思想への批判は、当時の長崎の言説全体を視野に捉え直す必要があると考える。」四條知恵『浦上の原爆の語りーー永井隆からローマ教皇』(未来社、2015年)、94頁、参照)
大歓喜御復活のぞ真中なる宇宙語るや贖い非ず
いかにして原爆教を被害者や贖い得るや御復活見よ
原爆教如何に脅せど御友在り苦しめる者復活なさる
英文稿「神Ecozoics」明らめつ命法満つる宇宙歓喜や(備考:英文拙稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics”「空神至誠」宇宙法源なること証言す)
推敲や成りたる祝し真夜中に友のメールや来る嬉しや(備考:Joseph Bracken師英文拙稿いざオンライン上梓へと祝詞賜る)
我妻の絶後笑み増し見し我や「神Ecozoics」のぞ想得しやこそ
今やこそ妻大歓喜呼応せる英文拙稿世に出でんとす
栄や見しの歌八首
我が所説「神Ecozoics」こそ初めてや地のエコロジー超ゆる栄見し
原爆教戦後七十年間や法源の顔せしも無残や
罪は罪「獣や撃て」とぞ号びしもト氏の時代や去りにけりかも
かくて今原爆基教絶対の偽宣教や虚仮不実なり
我が所説「神Ecozoics」のぞ開陳ぞ法源地をば超ゆる告げんと
核時代兵器よりもや文明の形而上学学びて一新
気づかばや原爆教やかつてのぞ一億玉砕恐れし悪夢
悪夢をば形而上学一掃す「神Ecozoics」ぞやその名なりけり
今朝も澄んだ秋の空が美しく広がっています。
上の写真は昨日の朝のもので、ベランダより「高取山」「須磨アルプス」「瀬戸海」、そして書斎より「六甲の山」を望んで撮りました。
本日の写真は、昨日のぶらり散歩ーー「松本せせらぎ通」のいまです。
20年前の大震災でこの辺りも広範囲に焼け落ち、あの時の猛威の様は記憶からさることはありません。
いまは困難を乗り越えて、新たな家々が再建され、市民のひろばもつくられ、なだらから傾斜を活かした「せせらぎ通り」も、街の景観を豊かにしています。
まちの人々によって、木々や花々のお世話も行き届いていて、新潟の山越の被災地より贈られた立派な錦鯉たちも、元気いっぱいです。
メダカたちも多く育っています。