延原時行歌集「命輝く」(第2255回)(ぶらり散歩ー久々に花たちを・・)

             

   延原時行歌集「命輝く」(第2255回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(225−1)
宇宙真中の真の歌、黙々の歌、朝毎にの歌、御友尊しの歌、今朝もまたの歌、地球の法の歌、米国やの歌、ふとの歌、文明論の歌、我妻や燦の歌、脱皮の歌、開眼新たの歌、朝餉の祈りの歌、何ともやの歌、原爆神学の罪の歌、楽しの歌、道や明らむの歌、我見しの歌、「神Ecozoics」あらましの歌、昨日もの歌、国甦るの歌、妻も祖国もの歌、世の国やの歌、朝夢にの歌、朝からやの歌、別問題の歌、事の次第の歌(2015年8月11日〜20日)。

     〇(8月11日)宇宙真中の真の歌二十五首

   御復活取り除きたる基教はぞ宇宙真中の希望あるなし

   パウロがや「単なる望み」言ひしもの地上に繋ぐ如何に果敢無き

   この基教真理論にて果て何ぞ一語で「空洞」言ふべきぞかし

   この基教凡そ伝道出来ぬなりメッセージなし何を伝ふや

   人心満たすものなくこの基教「空洞」のまま社会奉仕す

   さらばぞや真実基教何成すや父より聴けるなべて告ぐるよ

   これぞこそ御友神学告ぐるもの超越内在矛盾相即

   誠にや西田哲学言ふ如く絶対矛盾自己同一ぞ

   表現者表現者一にして宇宙真中や御友真実

   恩師言ふ純粋神人学されど中間底なし人佑なし

   御友のぞ真実復活如何にぞや原爆撃つも滅して不滅(備考:廣島の大地にピカドン投下「影」だけ残しし御方よ、汝御友と御国にあるを、我かたくかたく信ずなり)

   これ誠敗戦の日の玉音に民も君もぞ知りし真実   (備考:1945年8月15日民族回心の時なりき)

   日ノ本の長き戦の只中で民佑く心(しん)無きぞ悲しき
(備考:これ誠「統帥権の干犯」に現れし軍部に特有の欠陥なりき)

   民がぞや一億玉砕「決心」の時を受けてや君ぞ「護持」すや(備考:この「決心」凄惨なる十五年戦争の果て、いと純真なる悔悟にてありたり。これ疑うべからず。「決心」こそ「国体」なりき。君これを見、これを考え、軍政指導者に先んじて「護持」決したり。此の一瞬は日ノ本の歴史における変貌点なりき。そののち「生きんとする格闘期」始まれり。されど、我ら「格闘期」に先んじて「あのシーンとした国民の心の一瞬」(河上徹太郎「ジャーナリズムと国民の心」)を持ちし事忘るべからず。何となれば、国民歴史の真っ只中における「御友顕現」の一瞬なりたる故なり。勿論、国民の「忠義」と天皇の「愛民」の合致するところに生起したるも、その根源「御友」なりとは我が深き確信なり。日ノ本の歴史では、良寛が彼一個の佇まいにおきて、我が後を助け給えと頼む身は 元の誓ひの姿なりけり と詠ひしと精神的に符節を合わせる事態と思はるる故なり。此の一瞬は、左右いずれの陣営に属する消息か、と詮議するべからず。天に恵まれたる民族の一瞬なりき。この後に(軍備は措きて)経済的復興の「忠臣蔵」起こりし。日本成功せり。拙著『至誠心の神学――東西文明融合論の試み』(京都・行路社、1997年)参照)

   従ひてこれぞや誠十五日宇宙真中の摂理なりけり

   米軍や平和憲法安保制地位協定と大和縛れり

   日ノ本や隷属国家ほかやなし基教傲慢絶対主義ぞ

   されどもや人の覇権や限りあり地上なす事天縛り得ず

   拙論の書き表しし如くにや神Ecozoicsのありて地やある
(備考:これ拙論の全地球に向けての復活形而上学のメッセージなり。誰破り得るや:”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Rezurrection Metapysics in Tandem with Ryokan”)

   さらにぞや御友おはして天父のぞ御心示し御復活成る

   それにせよ原爆政治にゃ恐れ入る広島長崎抑止ならずや

   これだけの惨禍を見たる人類や三度目投下いかで望むや

   これ以上天を蔑(なみ)する軍事などあるべき非ず神を畏れよ

   米日中誰がどうするこの地球御復活なく考ふや汝や

   されどもや玉音放送告げたりし滅私愛民御友活くるや 

        黙々の歌二首

   日ノ本や何を詠へどなしつぶて黙々の黙黙々の黙

   黙々の黙の内にや我聴けり黙々なれど黙々ならず

        朝毎にの歌三首

   朝毎に歌作りてや深き淵底の底より我甦る

   ピカドンに影だけ残す御方や御国にありと詠ふや嬉し
(備考:御方甦りたる我感ずや。なあ、ノーちゃん。そう、父さん。嬉しい嬉しい)

   御国にて御友と共に羊飼ふ我妻祈り佑け往くなり

       ♯              ♯


今朝も上の歌(8月11日)の歌に加えてメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」をおさめます。

昨日は、延原さんの推敲中のふたつの英文稿や贈っていただいた桃山学院大学キリスト教論集第30号の抜刷「『世界への愛』とプロセル哲学ーホワイトヘッドの冒険ないし復活形而上学をめぐって」(2015年3月)を読み返したり・・・。読書の秋ですね。


       〇(9月10日)あと三頁の歌十五首

   今日も我英文稿を推敲すあと三頁削るべしとや
   (備考:昨9日のことなり)

   そこまでに英文おきてJTB赴きてはや切符など受く
   (備考:北大でのプロセス学会行きのためなり)

   久しぶり散髪ゆきて店主とや原爆歌のぞ話なしたり(備考:「そんな歌今迄作った人いましたかね」「そりゃあいますよ。正田篠江さんとかね」)

   原爆教許しはせぬよこれはそも御神冒涜基教こぼちぬ
(備考:「しかし私の歌はねえ、クリスチャンの怒りです」「ほう、そうですか」)

   偽宣教この動機のぞありてこそト氏や原爆投下せしぞや

   かくしてぞ我見破れり核体制偽宣教を剥げば実なし

   ト氏の言ふ「獣撃つ」動機なくばぞや核は単なる物理仕掛けぞ(備考:世界人類知らずなり。偽宣教学の去りてのち、三つ目の原爆誰も投下せず)

   さてもさて仏基対話の最中より「神Ecozoics」のぞ試論我なす

   この試論Open Theology採るといふあと三頁削る最中ぞ

   エコロジー渦中の問をふと解けば原爆教やしぼみゆくなり

   なぜならば原爆教や法源の仮構話に尽きるこそなれ

   可笑しくも平和憲法その実や原爆教の息かかりおり

   見る目ある人見るやこそこの詐術天に坐する者笑ひたまはむ

   人の世の法なるものの源や「神Ecozoics」にぞ在りと我言ふ

   ただ許せあと三頁削るわざいとも楽しき推敲ぞ是








各地水害で大変なことですが、このたびの台風は神戸は大丈夫でした。

今朝は雨模様、小雨が降っています。

このところ一週間余り、仙台と石巻で経験した視察メモをブログUPするために、少し時間をかけて整理をしておきました。

あらためてこのたびの取り組みは、5年間の締めくくりという意味合いもあって、感慨の深いものがありました。


ところで昨日は、上の写真のように、ひととき澄んだ青空をのぞかせて、少しだけ秋晴れの日和を感じさせてくれました。

そこで本日の写真は久々に、私たちの花壇に咲く花たちの昨日の姿をUPします。植え替えも順調でしっかりと土になじんでくれています。


昨日のぶらり散歩はいつものコースで、市場への往きかえりに出会った美しい花たちです。

今回ザクロも久しぶりにUPしますが、御覧のように大きく立派な姿になっています。

またコブシも美しく赤みを帯びて、一本の大きな樹が全体にコブシの実で満ちています。

こういう景色はほかに見たこともなく、じっと樹の下で見上げて居ましたら、一人の少年が近づいてきて、しばらく彼とコブシ談義をいたしました。少年が見つけた地べたに落ちたコブシと共に。

この大きな一本のコブシの樹には、少年だけでなく、だれの目にも止まっていないようです。


最後に、この公園の近くの工場の塀に咲く琉球朝顔も入れておきます。