延原時行歌集「命輝く」(第2253回)(NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ7)
延原時行歌集「命輝く」(第2253回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−9)
朝の思ひの歌、横心と縦心の歌、誠のやの歌、原爆とエコ神学の歌、驚くやの歌、命歌の歌、復活やの歌、よくもまあの歌,ホ氏がぞやの歌、宇宙にぞの歌、信の歌、これだけで佳しの歌、今宵こその歌、もしもぞやの歌、歓び先行の歌、万物再編の歌、一驚の歌、入歓喜の歌、暑しともの歌(2015年8月1日〜10日)。
〇(8月9日)万物再編の歌二首
いや果てに万物再編なくばぞや今生越ゆる歓びぞなし
御友より「我が羊飼へ」との御声「万物再編御業に就けや」
恐らくや人類(ひと)や御声に聴くよりも己が戦に我を忘れし
(備考:昨日もジュンク堂に赴き、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)購読するも、この感強し)
我はぞや我妻絶後笑み増すに御友歓び尻上がり見(まみ)ゆ
なにゆえにかくも歓び尻上がり現れたるや御友近しや
この事を伝へんとてや復活本中巻我や急ぎおるなり
万物の再編なるや御友業それを人類我が戦とす(備考:戦使命感と結びたる時いと恐し。人類(ひと)己が業に酔へるなり)
エコロジー人の仕事と過信すや神のEcozoics(エコ生命学)進む見ざるや
英文稿ここを省察極めたり御友御業に称へあれやと
面白し妹背共々本作り誠歓びここにしあれば
♯ ♯
今朝も上の歌(8月9日)の歌に加えて、メルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。延原さんの歌日記は、「朝の讃美歌」のようです。
ここ数日、若き日ゴム工場で汗を流していたころに記した「生活ノート」を、40年余りの年月を経てはじめて取り出して見ています。読書ノート、労働の経験、地域での諸体験、医療生協や解放運動、家族のことなど、時を経て今読み返してみるのも面白くて・・・。
なかでも、延原さんの主催する「神戸自立学校」に毎月出向いて学び続けていたことの喜びは、大きなものであったことを覚えさせられます。
「誰も見てはならない」と記した400時原稿用紙に書き綴った『ノート』は、これまで一度も開いて見ることはありませんでしたが、びっくりしています。
当時の延原さんの手づくりの著作やお話は、現在の「歌」と同様に、大いに刺激的なものがありました。
〇(9月8日)この秋やの歌八首
この秋や新著や出でむ「変貌論」心弾むやその時代観
時代はや原点ありてなべてぞや解決さるる風にや見へず
原点の底やありてや一切を包み往けるや宇宙ひらけぞ
我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
父子ひらけ待ち給ふ故いや果てにひらけ往くこそ我妻の笑み
ひらけにぞひらけ往くこそ変貌ぞ良寛一語散ると言ひしも
ホ氏の言ふ滅して不滅変貌ぞ死してや死の死あるや嬉しや
人生の暁にぞや絶後あり笑みて往けるや我妻自若
歓び尻上がりの歌三首
熱誠の友言ひ給ふ我妻や生涯内助今や顕現
歓びの尻上がりにや昇りつめ妻絶後笑み往くや御友と
ジュンク堂妹背笑み本一隅や照らしおるなり実に嬉々として
有難きかなの歌二首
我が主イェス十字架上に嘆きてや天父引きあぐ有難きかな
我妻や忽然として昼餉逝く岸辺に御友有難きかな
時代最大問題の歌五首
時代のや最大問題何なるか核にや非ず宗対話なり (備考:宗対話=宗教間対話)
宗対話なくば核ぞや原爆教あられもなくや姿現す(備考:原爆教=他宗教を原爆投下により殲滅するを基督教絶対主義的宣教学にて神命と誤認せし立場)
このことや広島長崎惨禍のや如実に示す教訓なるや
ことにぞやル氏ト氏合作核戦略「獣空爆」の偽宣教ぞ (備考:ルーズベルト+トルーマン合作戦略「獣空爆」なりし)
マ将軍「日本自衛の戦争」と上院証言「獣」訂正す
(備考:1951年5月アメリカ上院軍事外交合同委員会にてマッカーサー将軍開戦時の日本の状況を述べし後、「したがって日本人が戦争に入った目的は、主として自衛のためであった」(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)と重要なる証言を行なへり(渡部昇一『「戦時」混迷の時代から』WAC、2015年、320頁)
本日も「東日本大震災視察メモ」のつづき、第7回を短く記しておきます。
上の写真は、仙台駅近くのホテルに2連泊、三日目の最終日の朝も6時半に朝食を済ませて、朝の散歩に出かけた時の「五橋公園」です。
ゆっくりと朝を過ごして、9時ホテルを出発、レンタカーで仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅」に向かいました。
朝ホテルで朝日新聞の朝刊には「宮城版」に「あすと長町の仮設住宅」の現状調査が載っていましたが、今年(2015年)3月11日には仮設自治会は解散し、今年度末の閉鎖に向けて進んでいました。
上の写真は、233戸という大規模の仮設住宅に現在は60戸が残っていますが、花のある暮らしを続けておられる団地風景です。どの仮設団地の彫られているフクロウの作品と共におさめました。
ところで今回は、この地域で古くから活動を続け、2011年8月の仮設住民とかかわりを継続してこられたボランティアグループ「長町まざらいん」(代表・谷政子さん)のお世話をいただき、仮設自治会の初代の会長・鈴木さんとそれを受け継がれた飯塚さんをはじめ、いま入居中の遠藤さんと「まざらいん」の事務局長の岸田さんの5人の方々が、私たちを迎えてくださいました。
この大規模仮設に自治会がつくられていく当初より私たちも継続してかかわりを持ち続けてきたこともあって、この日は、参加の皆さんから、避難所よりこの仮設住宅に入居する折りの出来事や、自治会を作って以後の仙台市との熱い熱い交渉過程など、今だから話せる秘話の数々をお聞かせいただき、私たちの神戸の経験をからめて、話が尽きませんでした。
特に私には「まざらいん」のお二人のお話も深い印象的でした。「まざらいん」とは「まざりなさい」と優しく呼びかける方言のようですが、地元「長町」にあって毎月一度この仮設住宅での「コーヒーサロン」から始めて、時の経過に合わせながら「つかず離れず」、ずっと今日までかかわりを続けてこられた、その見事な「間のとり方」には深く感心させられました。
(長時間のこの交流の語らいも録音をさせていただいていますが、こうした記録はお宝ですね。)
最後に飯塚さんより「あすと(壁新聞)全34号縮刷版≪卒居記≫」(平成27年4月、あすと長町仮設自治会」をいただきました。手書きの写真入りの壁新聞は、遠藤さんのご苦労があったようですが、この記録も自治会のお宝ですね。
今回のおわりに、この「卒居記」と集会所に貼られていた案内ポスターなとをUPして置きます。
この記録メモは次回が最終回で、この後に訪問した仙台市役所の復興事業局・生活復興推進室との懇談を収める予定です。