延原時行歌集「命輝く」(第2251回)(NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ5)

            

  延原時行歌集「命輝く」(第2251回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−7)
朝の思ひの歌、横心と縦心の歌、誠のやの歌、原爆とエコ神学の歌、驚くやの歌、命歌の歌、復活やの歌、よくもまあの歌,ホ氏がぞやの歌、宇宙にぞの歌、信の歌、これだけで佳しの歌、今宵こその歌、もしもぞやの歌、歓び先行の歌、万物再編の歌、一驚の歌、入歓喜の歌、暑しともの歌(2015年8月1日〜10日)。

      〇(8月7日)これだけで佳しの歌五首

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ宇宙歓び御友と示す

   何が有り何が無くとも我妻や絶後笑み増しこれだけで佳し

   御神や我妻佳き日祝し給ふ絶後の中に笑み増すの日を

   笑みこそや宇宙の真中示しけれ万物再編成されゆく見ゆ

   我妻や絶後笑み往き寿ぎぬ御友原爆魔境超ゆると

        今宵こその歌六

   今宵こそ会心作をサブミット上手く行きしを喜びてこそ
(備考:拙稿”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”を我 Open Theology オンラインオフィスにsubmitせり。どうやらうまく行きたる如し)

   またまたやとんでも無きの冒険を我今やなすものの如くや

   誠にや地の果てまでも英文稿送りにけりや如何に成らむか

   かつて我AARに部会をや設置に努力七年座長す(備考:1985年秋米国宗教学会[AAR]内にSeminar on “Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective”設置し、Francis H. Cook氏と共に日本人10人米国人10人の常設「西田・ホワイトヘッド比較研究セミナー」を運営したるなり。大成功なりし。かくて西田米学界にて知悉さるるに至りしなり。如何に大仕事なりしか)

   友ありて拙稿閲読なさる言ふ如何に摂理の働きならむ
(備考:Prof. Bob Mesle of Graceland University in Iowa なり。有難し)

   未来のぞ目くばせありて我応ふそれだけの事御友に在りて

        ♯              ♯


日曜日の朝です。今朝も上の歌(8月7日)の歌に加えて「今日の歌」を収めます。私たちのとっての「朝の歌」「朝の言葉」です。


      〇(9月6日)嬉しもの歌四首

   英文稿二篇書きてや神至誠我称へしや誠嬉しも

   これにてや原爆教に蔑(なみ)されし御神至誠輝くやこそ

   我妻や絶後笑み増し岸辺の主共往く幸や言ふいかことやなし

   妹背共御神称へて御友共甦る道歩むや嬉し

   人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ   (備考:復唱)

        復活や隘路なしの歌十二首

   復活や無明の我ら御友喚び飛翔なすこと得しめらる幸

   もしもぞや御友なくばや如何にして深き淵より甦るらむ

   我妻や最期の時を迎ふとも嬉しい父さんおおきにねとや

   なんでやと訊きし我にや妻応ふ「皆やって呉れる」泰然自若

   我妻や絶後笑み増す嬉しさや御友に在りて天父往く幸

   今生と絶後の間にぞ御友見ずこれぞ無明ぞ汝懺悔せよ

   如何にぞや無明烈しくあらむとも汝至誠たれ御友祈りぬ

   御友のや御祈りにぞや乗りて往く飛翔やこれぞ甦り道

   原事実史的イエスやあらうとも両つ繋ぐや御友なりけり

   両つをば繋ぐ御友の見へずはや神人学の隘路なりけり
(備考:重要テキストこれなり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」滝沢克己『純粋神人学序説』福岡・創言者、1988年、272頁参照。これに反して、御友は父から聴きてすべてを我ら具体的史的存在に語り掛けつつ、「友よ」と呼び給ふなり(ヨハネ15・15、熟読参照))

   我妻や皆謝し絶後笑む道や誠一途や隘路なぞなし

   今生と御国繋ぐや御友こそ如何で隘路の憂ひあらむや

        二論の歌二首

   自らは動くことなく諸形態動かしめんとこの論や不可   (備考:滝沢純粋神人学、アリストテレス「不動の動者」に似る)

   御友はや神に等しき座を下り我らに語るケノーシス生く(備考:ケノーシス=遜り。ピリピ2・6-11、熟読参照。因みに、ホ氏「冒険」論や、私見によれば、「ケノーシス」論なり。以下重要テキストなり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])






北仙台石巻仮設住宅自治会訪問・第5次の取り組みの記録メモ第5回です。

初日(8月30日)はホテルに戻って仙台の夜・・。ゆっくりと眠って二日目の朝は6時半朝食後、ぶらり散歩に出かけました。

さいわい雨も上がって、清々しい仙台の町をぶらりぶらり・・・上の写真はそこで出会った花たちです。


朝9時にホテルを出て、午前中は、仙台市若林区東通仮設住宅町内会に向かいました。

海辺にあった荒浜地区は津波で壊滅、避難所から2011年7月に約200戸・400人ほどの仮設団地ができて町内会が発足、あれからまる4年間が経過しています。

この日は会長の安達薫さんと副会長の早坂勝良さん、そして女性の方お一人のお話を、たっぷりと時間をかけて聞くことができました。

ここには現在71戸がお住まいで、これから10月までに移転が一気に進み、年度内にこの仮設は閉鎖される見通しだそうです。

自治会の運営にかかわって会長さんの経験された生々しいお話(ちょっとここには記録しにくいようなことなどもたっぷりと・・)に聞き入って・・・「聞いてもらってスッキリした!」とお礼をしていただいたりして・・・












今回のお話で、早坂さんのお話し――津波当日の避難先の小学校での恐怖と救出体験並びに避難所での「運営委員会」づくりの必要性を神戸の職員から指導を受けて助けられたことなどーーも、強い印象を残しました。

昨夕(9月5日)夕刻のテレビ番組「証言記録スペシャル」を見て居ましたら、早坂さんが登場しておられてビックリ・・・教室の避難者やヘリの救出などの写真も・・テレビの画面をパチリ・・





集会所ではご婦人方の大正琴の美しい演奏が行われていました。

また神戸市玉津中学校の寄せ書きも大切に貼られていました。




付録

昨日は午後、WBSC U-18ベースボールワールドカップ 全日本とキューバ戦があり、甲子園に出かけました。

中央特別自由席で、これは初体験でした。いつもは外野席で観戦しますが、これはまあ贅沢な・・・。