延原時行歌集「命輝く」(第2249回)(NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ3)

            

  延原時行歌集「命輝く」(第2249回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−5)朝の思ひの歌、横心と縦心の歌、誠のやの歌、原爆とエコ神学の歌、驚くやの歌、命歌の歌、復活やの歌、よくもまあの歌,ホ氏がぞやの歌、宇宙にぞの歌、信の歌、これだけで佳しの歌、今宵こその歌、もしもぞやの歌、歓び先行の歌、万物再編の歌、一驚の歌、入歓喜の歌、暑しともの歌(2015年8月1日〜10日)。

      〇(8月5日)よくもまあの歌四首

   よくもまあ気力一日切れることなくぞ箴言修行三年

   これがぞや脳挫傷のや人なるか確かに正気満々の妻

   何しろや日に二度食後箴言ぞ我妻我と作成嬉しも                                            実録を今日も推敲妻と我交せし会話心満たすや(備考:新潟県立リウマチセンター:2011年2月4日〜6月13日入院時の実録推敲なり。楽しも)

        ホ氏がぞやの歌十首

   ホ氏がぞやpragmatic言ふ時にゃ御友のことが含意さるるよ
(備考:”The pragmatic use of the actual entity, constituting its static life, lies in the future. The creature perishes and is immortal.” [PR, 82] 「滅して不滅」の「て」("and")御友の事なり)

   物が今事終りてや滅すとも有用性や未来に在りと

   これ深き真理にてありいや果てに不死なるやこそ未来なればや

   これこそや命反転幸増すの理なるや如何に尊き   (備考:我妻の反転幸増す、万物再編の希望示すも)

   エフェソ書に万物再編(Re-capitulatio)書きたるの理こそや御友なりけり   (備考:エフェソ書1・10、熟読参照)

   人よ何故深き望みに生き得るや一般真理御友撞着(備考:すべからく一般真理一般真理に終わることなく必ず御友に撞着する故、人生き得るなり。而して御友宇宙における有用性の原理なり。これ我が最近の新発見なり。短歌神学の新機軸なり)

   恩師がや純粋神人学示し史的具体を抜きしや過誤ぞ(備考:重要テキスト是なり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向うのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからののであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、272頁、熟読参照)

   九条も平和憲法理想論ただ言ふならば実用奈辺や
(備考:一般論的平和にやいまだ「未来」無きなり。日本国の法制全体におきては、実用性の局面は安保条約がこれを規定せるなり。いずれにせよ、一般理論は必ず実用性の原理に撞着せざるべからず。かく考ふや、九条「和平」憲法と見做すべきなり)

   宇宙がぞ万物再編(Re-capitulatio)往くがこそ我らが希望確たるやべし

   御友こそ宇宙の希望にてやます御父を現に示す御方

            ♯              ♯


今朝も上の歌(8月5日)に加えて「今日の歌」を収めます。延原先生の「地球神学」はどっしりとして晴朗に響き渡りますね。


       〇(9月4日)古稀フォトの歌

   我妻の古稀フォト見るや度ごとに得も言はれぬや天来の笑み

   反論や捨て去りゆきていと近い御神なべて委ねたる妻

        原爆教超ゆる神の歌十五首

   我妻や絶後笑み増す見し我や原爆教をつくづくと超ゆ   (備考:原爆教=原爆を絶対視する立場)

   人命(ひといのち)今生にてぞ絶ゆるなら原爆超へて笑む者やなし

   されど妻生涯謝して笑む時にゃ原爆超ゆる御国輝く

   罪深き偽基教の恐ろしさ原爆教やル氏ト氏合作

   日ノ本の国民(くにたみ)我らピカドンを見し時やこそ偽基教知る

   これ程の偽宣教も史上なし米国勝ちて基教滅びぬ

   我はしも真実基教仏基のぞ対話回復只中に知る(備考:ジョン・カブ著、拙訳『対話を越えてーーキリスト教と仏教の相互変革の展望』(京都・行路社、1985年)。この点、最重要文献なり)

   空に神至誠まします故にこそ至誠なれやと喚び給ふなり
(備考:拙著『至誠心の神学ーー東西融合文明論の試み』(京都・行路社、1997年)参照)

   しかしてやこの神告ぐる御友こそ我妻絶後笑みに顕る
   (備考:拙著『復活の省察』上中二巻参照)

   米国や知るべきことはこれなるよ原爆で勝ち神偽証せり

   現代における神学述作や英文二篇我著しぬ(備考:”The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity” and “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”なり)

   その主題「神Ecozoics」とは名づくなり仏基対話に発したるこそ
   (備考:我が神学的立脚点は、地球神学なり)

   今やこそ「復活省察」なるはぞや御神復活なるやこそげに

   しかしてや御友神学ほかにして御神復活なきぞ尊し

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

        地球神学四原則の歌四首

   核をぞや抑止力にぞ止(とど)むにや宗教対話不可欠となす(備考:これ地球神学第一原則なり。太平洋戦争終結時に現れたる「米国の広島・長崎への原爆投下」は、全土への無差別空爆とともに、人類史上初めての「民間人への大量殺戮」として、繰り返してはならない罪悪なり。第三回目の原爆投下があれば、悲劇は、現在のような環境破壊への鋭敏な地球規模の関心のある時代には、許容されるものではあり得ない。あの原爆投下により、地球は核時代に入りたり。それがいかなる時代であるかを地球人類は十分な反省をもって熟知すべきなり。トルーマン大統領が「日本による真珠湾の不当な攻撃と連合軍捕虜の殺害には許せないと思った。日本をこらしめるには爆撃をするしかなかった。獣に対処するには相手を獣として扱うしかなかった。大変残念のことだが真実である。」(全米キリスト教会連邦会議のサミュエル・M・カバート事務総長から寄せられた「原子爆弾は無差別に破壊する力を持ち、未来の人類に危険な前例を残すことになる」との、原子爆弾の非人道性を指摘する電報(投下三日後)への返事=武田恒泰『アメリカの戦争責任ーー戦後最大のタブーに挑む』PHP新書、256頁参照=)と述べたるは、投下の思想的根拠がキリスト教絶対主義的宣教学「代置の宣教学」《Missiology of Replacement》にありしことを如実に物語るものなり。相手国の文明・宗教性を「獣」と規定した上にて、これを殲滅し、己の国の文明・宗教性(この場合キリスト教的絶対主義)でもって「代置」せんとの意思を表明せしなり。現在の「エキュメ二カル運動と第二回ヴァチカン公会議(1962-1965)」以降の地球上の「宗教間対話」の宣教学の現況から振り返るならば、他宗教殲滅・代置の宣教学に則った「米国の原爆投下」戦略は、厳しく反省されなくてはならない。それは、地球神学からの要請なり。ユリウス・リヒタ―が表明したる「非キリスト教諸宗教の瓦解とそれらのキリスト教による取り代わり」の弁は、今日廃棄されたるものなり:「宣教弁証論は、非キリスト教的諸宗教に対抗して、キリスト今日こそが唯一の道、唯一の真理、唯一の生命であることを示し、非キリスト教的諸宗教を立ち退かせ代わって異教の国民生活の土壌の中に福音主義的信仰とキリスト教生活とを植え込むことを追い求める、神学の一分野である。」(ジョン・カブ著、拙訳『対話を越えてーーキリスト教と仏教の相互変革の展望』京都・行路社、1985年、43頁)地球神学の立場から顧慮するならば、トルーマン米大統領によって日本国に対して行われたる「広島・長崎への原爆投下」の宣教行為は、間違った「代置殲滅宣教学」によるものなりき。このことを深刻に反省するならば、今日焦眉の的となりたる「核抑止力」の問題は、「宗教間対話」の地球神学現況を反映するものでなくば、事態の真相を徹見し得るものには非ず。国際政治当局者はこのこと知らざるべからず)

   空に神至誠まします見てやこそ至誠なれやと御友喚びます(備考:現在の地球神学の観点からするならば、仏教とキリスト教の対話の頂上において「至誠心の神学」重要なり。四原理あり:①神は空に至誠なり;②空は空自らを空ず;③神は宇宙において被造物に至誠心を喚起することを得、現に喚起する唯一の御方なり;④この御神の至誠をそれとして見、かつ自らもそれに倣ひて至誠なれと喚起さるるは御友なり(マタイ5・48)。「空に神至誠なる故、至誠なれとの、宇宙的命法生ぜし」とは、地球神学の真実把握なり)

   地球のぞ法源此処に発すると宣ぶるや誠神学びなり
(備考:地球のエコロジー法制は、ここに法源を見るなり。日本国憲法(いわゆる「平和憲法」)の法源もここに発す。独立前にGHQによりて施与されたる故、この憲法法源は、米国の強権、ことに「原爆投下」の圧力に在ると、米国当局者も日本人為政者・国民も想定なせることは一見当然なりと思はるるも、これ誤謬なり。何故ならば、「原爆投下」は偽宣教学(既述の通り)に依拠するものなれば、到底「法源」たり得ざる「大罪」なり。法源は「神の至誠と至誠の喚起」にのみあるが真実なり。よろしく知るべし)

   かくしてぞ御神復活誠あり原爆超ゆる至誠の力(備考:少なくともト大統領の「原爆投下」を基督教的決断として成したる限り、米国は神を蔑(なみ)したる大罪を犯せるなり。日本国民に対して「非人道的仕打ち」をなしたるは、罪なり(この点では、日本国も「真珠湾」の暴挙により罪犯せり)。されど、大罪たるや、御神に対するものなり。いかで「原爆投下」キリスト教的宣教行為たるや。現在の宗教間対話の地球神学の観点において御神復活し給ふなり。御名を崇めさせ給へ!)







今朝の神戸は爽やかな秋晴れです。上の延原さんの「朝の歌」も格別です。


8月30日早朝に「NOPまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察」に出かける前日、8月いっぱいかけて仕上げた宿題「賀川豊彦同志社の関係について」の下書草稿を、昨日賀川記念館の方へメール送信しておきました。いずれ記念館のHPにUPしていただけると思います。前の「明治学院」と「関西学院」との関係草稿と共に御笑覧いただければ嬉しく存じます。


ところで、本日は今回の視察メモの第3回目です。

視察初日の8月30日の午後の岡田西町仮設住宅のとは前回、簡単になメモをいたしました。

来春5月には仮設が閉じられていく段階を迎えているなかで、あと15世帯になった入居者のご婦人方3人と自治会長の二瓶勝男さんとの語らいを終えてすぐ、会長さんの自動車に先導されてレンタカーを走らせ、上の写真にある「南蒲生集会所」に到着しました。

これまで「復興は岡田西町から」という強い意欲と共に、皆さんが未来を見据えて、この仮設での生活を積み重ねてこられて、現在はこの新しい集会所を拠点にした活動が、着々と展開されています。

御覧のように「南蒲生集会所」の看板の横には「仙台市好日庵」というお洒落な名前も付けられていました。

集会所の玄関には、上の写真にある彫り物とともに、あの時襲来した大津波の大きさを(高さ)が刻めれていて、そこに神戸から行った内海恵太さんに立ってもらって撮りました。









2階建ての南蒲生集会所(好日庵)は、若者たちの知恵も存分に取り込んで、町内会に開かれた明るい作りになっていて、会議をしていても気持ちよく、テーブルや椅子の工夫もお見事でした。

開所してまだ2か月足らずですが、部屋の正面の文字やデザインも、よくできたものです。


ここでも南蒲生町内会の会長二瓶誠治さん、副会長の松岡和雄さんはじめ役員の方々の歓迎を受けました。

杜の都の田園文化を受け継ぐ「新しい田舎」を目指す≫取り組みの経過といまを、たっぷりとお聞きして、交流の時を持ちました。

二瓶会長をはじめとした男性の皆さんの魅力的なお人柄にも感服させられましたが、皆さんはっきりとおしゃっていましたとおり、ここではお逢いできなかったご婦人がたの知恵とパワーが隠れた主役で、同時にそこの若者たちの参加と頑張りが、「復興のまちづくり」のいまを迎えていることを知らされました。

愉快な語らいの後、雨の中を町内を、そして自動車に乗って広域の「新しい田舎」のいまを、会長さん自ら(岡田西町仮設住宅自治会の二瓶会長と南蒲生町内会の二瓶会長。お二人とも二瓶さん)ご案内をしていただき、恐縮してしまいました。こういうよいリーダーが生まれてくるこれまでの長い歴史があるのでしょう。たいへんに恵まれた町だとおもいました。


この町のことは、次回に続けてもう少しメモしておこうと思います。
本日はここまで。


付録として、我が家のベランダに咲いている美しいアサガオヘクソカズラの花を添えて置きます。