延原時行歌集「命輝く」(第2248回)(NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ2)

            

  延原時行歌集「命輝く」(第2248回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−4)朝の思ひの歌、横心と縦心の歌、誠のやの歌、原爆とエコ神学の歌、驚くやの歌、命歌の歌、復活やの歌、よくもまあの歌,ホ氏がぞやの歌、宇宙にぞの歌、信の歌、これだけで佳しの歌、今宵こその歌、もしもぞやの歌、歓び先行の歌、万物再編の歌、一驚の歌、入歓喜の歌、暑しともの歌(2015年8月1日〜10日)。

      〇(8月4日)驚くやの歌七首

   驚くや幾日経つともこれだけは父さん最高仕合せと妻

   かかる事世に在るやとは我知らず怪我してや妻幸せの増す

   幸せの絶頂にてぞ往きし妻絶後笑み増す幸せいよよ

   我言ひぬ反論要らぬノーちゃんや近き御神になべて委ねよ   (備考:リウマチセンター療養中2011年春のことなり)

   脳挫傷悲惨の限り御友にぞ委ね行きたり我妻信子

   かくて我何を得たるや復活の我妻信子物語げに

   幸せの反転増大ノーちゃんやこれぞ復活物語なり

        命歌の歌七首

   この世にて何を胸打つ業言ふも我妻絶後笑むほどぞなし

   我妻や御友と共に復活ぞ如何で万物かくあらざるや
(備考:エフェソ1・10、熟読参照。ホ氏も言ふ:”The creature perishes and is immortal.” [PR, 82] )

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ原爆超ゆる命歌出ず

   笑みひとつ原爆世界超へ往きて基督活くる幸や告げしや   (備考:ガラテヤ2・20、熟読参照。笑み=命歌)

   命歌御復活こそ我ら皆支え給ふと称へ往く哉

   この日より日ノ本基教原爆の呪縛解かれし誰や知るらむ
   (備考:2014年3月11日よりなり)

   我妻や絶後笑み増しほの燃ゆる御国の力現れにけり

        復活やの歌五首

   復活や人の幸ぞや尻上がり我妻絶後笑みしめし往く

   さらばこそ今生抜きて命あり我もはやなく基督や活く

   命はや滅して不滅なるゆえに原爆の惨人や超ゆるや

   誠にや復活無しに世の和平如何にあるかや我知らざるに

   朝毎に歌詠み我や思ひなす宇宙人生燦たるやこそ


       ♯              ♯


今朝も上の歌(8月4日)の歌に加えて最新のメルマガ「風の便り」で届いた「今日の歌」を収めます。


      〇(9月3日)復活内観の歌十首

   空にぞや神至誠にてましますや汝もまたかく在れ御友喚ぶ   (備考:御友呼ぶ:マタイ5・48、熟読参照)

   空とはぞ神人不可分境位にて神も人もや至誠ありたり
   (備考:これ原初の「空即縁起」なり。存在論的至誠の姿なり)
   
   元々の至誠存在ありてこそ神これ覚り汝も覚れと   (備考:自覚的至誠の境位次にあり)

   夢のうち無明脱せよ我聴きて包まれたるに我委ねゆく
   (備考:内観発す)

   見る間にぞ歓喜世界や開けゆく何の恐れもあるぞなきなり
   (備考:恐れなしの歓喜世界なり)

   かくて知る包まれたるに委ねゆき恐れなきこと甦りなり
   (備考:復活世界なり)

   我妻や絶後笑み増す不思議やも包まるる幸喜びてこそ
   (備考:これ誠いと近き神に包まるる復活世界に妻や在りたり)

   かくて我妻の笑み増し内観す包まるるまま委ねゆく幸   (備考:我内観す)

   熟睡に内観の我甦る我妻や笑み心響くや

   原初のや空即縁起存在論在りて覚れる御神尊し
   (備考:縁起即至誠なりと観ず)


        昨日やの歌七首

   昨日や秋の学会旅程組む中巻推敲しつつ行かむも
(備考:近くのJTBにて9月19日ー20日北大での日本ホワイトヘッド・プロセス学会の旅程組む。ようやく拙著『復活の省察 [中巻]ーー御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神ともにます見れば微笑ぞ』成りし故、道中推敲しつつ行かん。げにげに楽し)

   いと近き御神委ね往きたるや妻の修行や絶後笑み生む
   (備考:妻の闘病委ねの修行成りき。箴言三十作りて復唱しつつ)

   これぞこそ御友岸辺におはす幸父さんおおきに謝して汝見る

   人生の際をば見しに笑み世界妻と我とや味合はむとは

   過日我夢の中にて包まれし無辺御神に在る内観す

   その歓喜これぞこそなり妻の笑み湛えたるかや我や覚りぬ

   かかること中巻末尾御友学包みてあるや実にも嬉しも











昨日のブログで「NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ1」を短く収めました。今回はその2回目です。

8月30日朝、神戸空港を発って仙台空港よりレンタカーで最初に訪問したのが仙台市の岡田西町仮設住宅で、昨日はその仮設のいまの景色を数枚収めました。

本日の上の写真は、仮設集会所の入り口とお部屋の中です。

年に一度とはいえ、5年近く交流を重ねてきたこともあって、お互いになじみの再会ですが、大規模な仮設住宅のなかにいまはわずかに15世帯、25人の方々が生活しておられました。

海沿いにあって津波で壊滅した南蒲生から、それぞれ避難所を経て、この仮設にまとまって入居の出来た方々で、震災の翌年(2012年1月には町内会の総会で南蒲生復興部を創設し、「要望書」を仙台市へ提出するなど、自治的な力がうまく発揮されてきたところです。

この日は、国勢調査などでご多忙の中、仮設住宅の二瓶勝男会長の歓迎を受け、3人のご婦人方々と、和気あいあいに交流の時を持ちました。つくりたてのお漬物やお菓子とお茶、そして手作りの編み物などの贈り物までいただいて・・・・。

神戸から今回は3人で訪問しましたが、ひとりはNPOまちづくり神戸の事務局長・森元憲昭さんで、もうひとりは事務局の若手・内海恵太さん(前回のブログで撮っているのはおふたりで、レンタカーの運転などすべて内海さんが引き受けられました)で、ぼくは副理事長ということになっています。

理事長の本多昭一先生は京都府立大学名誉教授で、建築・まちづくりの専門家で新建築技術化集団の現役の会長さんですが、今回はあいにく体調を崩されて、急遽ぼくが代役を引き受けることになりました。

森元さんがぼくを「牧師」であることを添えたことから、同席のご婦人がわざわざご自宅にもどってアルバムを持参してこられ、遠路外国のキリスト者の若者たちが支援に来てもらった時の喜びをお話になり、ひとしきり「あの日」の津波の恐ろしい体験やこれまでの仮設生活のお話を、ゆっくりと聞かせてもらいました。

この仮設は来年5月を以て閉鎖されますので、私たちはここを見るのは今回が最後になります。

今回も少々の支援金と神戸のお土産をお渡ししてご婦人方とはお別れし、会長さんの自動車に先導されて、「新しい田舎」をめざして取り組みの進む「南蒲生」の新しい集会所に向かいました。(以下は次回につづく)












最後に、昨日の私たちの住宅の花壇と、また美しく咲いていたサボテンの花たちを添えておきます。