延原時行歌集「命輝く」(第2247回)(NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察メモ1)

          

  延原時行歌集「命輝く」(第2247回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−3)
朝の思ひの歌、横心と縦心の歌、誠のやの歌、原爆とエコ神学の歌、驚くやの歌、命歌の歌、復活やの歌、よくもまあの歌,ホ氏がぞやの歌、宇宙にぞの歌、信の歌、これだけで佳しの歌、今宵こその歌、もしもぞやの歌、歓び先行の歌、万物再編の歌、一驚の歌、入歓喜の歌、暑しともの歌(2015年8月1日〜10日)。

      〇(8月3日)原爆とエコ神学の歌二十首

   米国が原爆二回落とせしや悲惨の限り以来罪責

   罪責を逃れんとぞやするならば自らをぞや神とするなり

   恐るべき自己欺瞞はや核の持つ人類精神破壊魔境ぞ

   この魔境遁れんとせる米国人ひとりふたりと日ノ本帰化

   これはしも人は人なる良心の在処求むるゆえぞこそなれ

   人はそもオバマ弱腰大統領呼ぶも知るべし魔境の苦悩

   人類よ広島長崎三度目を犯す恐怖や抑止力なり

   知るべしや和平憲法他ならぬ広島長崎ありてぞ力(備考:「平和憲法」と我呼ばず、「和平憲法」なり。平和未だ来たらず。和平のプロセスを地球人類ゆくべし)

   我らはぞ本土決戦心決め五千万人消へんとせしぞ
   (備考:これ誠、七十年前、昭和20年8月15日正午の真実なり)

   玉砕の光景あらばと戦慄しトルーマン氏や原爆決意   (備考:勿論、米軍死傷者も厖大ならむも)

   真珠湾報復言ふは口実ぞ五千万人玉砕恐し(備考:真珠湾報復の原爆投下、ダレスもアイゼンハワーも反対せしも、トルーマン決行せり。真珠湾攻撃の無謀さも十分反省されねばならぬ)

   大君や「国体護持シ得テ」こそやポツダム宣言受諾せしとや
(備考:昭和20年8月15日正午玉音放送告げしはこれなり。即ち「民の心」を国体となし、「これ護持するの決意固めし」とのことなり。「護持」とは「生きよ」とのことなりーー「時運の趨く所、堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び・・・」

   民や「死す」君や「佑くや」この一瞬これぞ日ノ本至純の初め

   米中ソなにゆえ靖国恐れしや国民(くにたみ)命捧ぐ見しゆえ

   オバマ氏の世界の警官あらずとや言ひし時にぞ米覇気死せり
(備考:民の「一心」と指導者の「護持」見られぬ限りのこととて)

   されどもや米国民の情熱やエコ神学に今やあるなり
(備考:厖大なる自然環境の死滅配慮せざるべからず。この宇宙的命法、国際法の無視、民族の辱め、等々の否認をを含むなり)

   我もぞや一文書きて友方と一書秋には出ださんものと
(備考:Roland Faber and Santiago Slabodsky, eds., Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in a Multireligious Community [Lexington Books, forthcoming]に拙論"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague”寄稿す)

   我やそも佛基対話を基軸にぞベリー論をば徹底せしも
(備考:Thomas BerryのEcozoic Eraの時代論をDivine Ecozoicsなる形而上学的エコ神学に深化せるもの拙稿の主旨なり)

   思へばや絶対無のぞ場所にぞや至誠なる神西田に承けし

   敗戦の日の静まれる一瞬やエコ神的に此処に在らむか

       ♯              ♯


予告なしに三日間のお休みをいただきました。実はあとで少し触れますが、NPOまちづくり神戸の第5次東日本大震災支援・視察のとりくみで、仙台市内及び石巻市に出かけておりました。

延原先生からは、この間もかわらずにメルマガ「風の便り」は毎日届いています。この間の歌はもちろんすべて追ってここのブログにおいてもUPさせていただきます。

ここでは、いつものように上の歌(8月3日)に加えて、最新の「今日の歌」を収めさせていただきます。


      〇(9月2日)地球法源窮むの歌十五首

   この秋や英文拙稿二篇出ず孰れも地球法源窮む(備考:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity” and “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”)

   画期的意義や奈辺にあるやそも法源原爆超ゆるものなり
(備考:何となれば、我の窮める「神Ecozoics」は世界のエコロジー超ゆる故なり。原爆は世界の領域内における究極兵器の投下に過ぎず。なお、上記英文拙稿二篇内にて我「原爆」に言及せず。我の言及なすは、「世界のエコロジー」に対してなり。「原爆」は「世界のエコロジー」の埒内に所属すべき問題なり。「神Ecozoics」及び法源の問題はそれを超ゆるものなり)

   米国の原爆投下最大の目的何ぞ法源獲得(備考:武田恒泰『アメリカの戦争責任ーー戦後最大のタブーに挑む』(PHP新書)に言ふ、「一、ソ連に対して優位な立場に立つため 二、マンハッタン計画費用を正当化するため 三、ルーズベルト政権で作られた『空気』 四、人道精神の欠如 五、人種差別意識」の五点にもまして《六、基督教絶対主義宣教学の「原爆」による実証による地球支配の法源獲得》が重要なりと我思ふ)

   「獣にはや獣としてこそ対処なす」ト氏の言ひしは偽宣教ぞ(備考:この侮蔑的観点は、もともと、基督教絶対主義的宣教学に由来するものなり。日本の神道をはじめとする他宗教に対して侮蔑的観点から対処なす場合、基督教絶対主義によりて他宗教を「代置」するタイプの宣教学を前提とせり。ユリウス・リヒタ―その代表者なり。ジョン・カブ著、拙訳『対話を越えてーーキリスト教と仏教の相互変革の展望』(京都・行路社、1985年)、40頁参照。この「代置」《replacement》の宣教学こそ、日本占領の際、米国が採用せる統治方式なり。占領下において日本国憲法(いわゆる「平和憲法」)をGHQが日本政府に施与せるは、一般の政治学者や憲法学者は認知せざる如くなるも、神学・宣教学の観点からすれば、明らかに「代置の宣教学」の実践なり。現在、「代置の宣教学」は時代遅れなり。「宗教間対話」(ことに仏基対話)の宣教学の時代なればなり。米国による広島・長崎への原爆投下の問題は、旧式の基督教絶対主義的宣教学の枠内において生起したことを、我々は知るべきなり)

   法源や原爆にして地球上獣を空爆これ米基教(備考:「獣を空爆する米国」の姿は、日本全土への絨毯爆撃と広島・長崎への原爆投下にも、ベトナム戦争時の空爆にも、イラク戦争にも、ISへの空爆にも、見らるる如し。その際、この行為を正当と看做す法的根拠、法源は何処にありや。「基督教絶対主義的宣教学」(ないしはそれを体現せる米国政府の判断、またそれに追随する国連安保理等の判断)にあると見らるるなり。現在の対話論神学の見地では、全くのアナクロニズムなるも)

   この基教宗教対話なくしてや時代領導今や不可能

   仏基のぞ対話在りてぞ法源や「空神至誠」「至誠なれや」と(備考:我が至誠心の神学によれば、四原理あり:①神は空に至誠なり;②空は空自らを空ず;③神は宇宙において我々被造物に至誠心を喚起することができ、また実際に喚起する御方なり;④この神をかかる御方として見、かつそのごとく至誠なれと呼びかくは御友なり。至誠心の神学は「至誠なれ」との御神の命法を一切の法の法源とみなすなり。従って、一切の法の法源は、「原爆投下」と言う物理的強制力・破壊力にあるなどと言ふことは一切必要なきなり)

   かくしてや核文明や神至誠仰ぐ御友に抑へられんや

   地球上御友神学華やぎて天上へとぞ甦り往く
   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

   要するに核体制の基教はや地上空爆なす性(さが)やあり

   我ら知る仏基対話の中からや空神至誠新基教出ず

   しかしてや「神Ecozoics」ありてこそ平和憲法法源やあり

   知るべしや平和憲法裏事情原爆教や偽法源

   我が二篇世界の識者論ぜんとなさる秋ぞや将に来にけり

         麗しやの歌二首

   我妻や絶後笑み増し麗しや反論やなし蔭すらもなし

   近き神信じて笑むやいかばかり岸辺の御友佑くありてや









上にも記しましたが、予告なしにブログを三日間お休みいたしました。

標記のように、「NPOまちづくり神戸」の東北支援−−私たちのNPOでは特に仮設住宅自治会活動の支援を柱にした交流支援――の今回は第5次の取り組みに参加していました。

まもなくあの大震災から4年半を迎えます。最初の厳しい避難所生活から応急の仮設住宅へ移り、長い仮設での生活を経て、それぞれ自立再建や復興住宅への入居などが進んでいて、仮設住宅における自治活動もいま大きな節目を迎えています。

上の写真は、8月30日早朝、神戸空港を発つときの2枚と、仙台空港でレンタカーを借りて移動を始めた時のものです。

神戸から自動車で仙台に向かうのには片道およそ12時間以上かかりますが、今回のように空を飛べば1時間少々で、あっというまに仙台です。その分たっぷりと視察・交流ができました。

昨夜遅く戻りましたので、まだ記録の整理もまったくできていませんが、初日の仙台市内の岡田西町の仮設訪問と新たな再建の進む南蒲生町、二日目は同じく仙台市内の東通仮設住宅と午後の石巻市仮設連合自治会、そして最後の三日目の「あすと長町」の仮設と午後の仙台市役所生活再建推進室の方々との懇談など、このブログにも短い私的なメモを残しておこうと思っています。正式なものはNPO事務局の森元さんと内海さんによって仕上げられて公表されることになっています。


次の写真は、初日の仙台市内の岡田西町のものです。