延原時行歌集「命輝く」(第2243回)(ご近所のお宅のサボテンの花など)
延原時行歌集「命輝く」(第2243回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−10)
いと嬉しくもの歌、和平憲法の歌、哲学歓びの歌、今朝も又の歌、地防の歌、これやしもの歌、今日の日の歌、地にも成れかしの歌、我妻やの歌、英文稿の歌、一つ命の歌、時代精神の歌、つらつらとの歌、地の心の歌、日ノ本の歌、御友神学顕現の歌、笑みの底の歌、我が妻幸せ絶頂の歌、我が称名歌の歌、昨晩やの歌、思へばやの歌、一つ心の歌(2015年7月21日〜31日)。
〇(7月30日)思へばやの歌七首
思へばや我が人生の今こそや妻絶後のぞ笑み増しありて
御復活妻や照らせり我もぞや照り返しうけ活撥撥地
笑み増して我妻信子伝ふ事復活歓喜無限命ぞ (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)
我はぞや無限命を承けてこそ復活省察二巻専念
願はくば復活歓喜伝へんと妻と我とで励ましめたまへ
我妻よ如何に汝が生祝されし復活証し永久に成すとは
我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す (備考:復唱)
人生の底の底にや御友まし天父に飛翔妻笑みて告ぐ
日に三度友方のため祈りおり感謝いっぱい文や嬉しも
初巻本ふとや贈りて復活の妻笑み伝ふいかに楽しき
♯ ♯
今朝も上の歌(7月30日)の歌に加えて「今日の歌」を収めます。
が、その前に、延原さんのメルマガ「風の便り」で、昨日ここに収めた次の歌に添えて、そこに詠われている草稿が添付されましたので、本日、特別にその歌を再掲して、添付草稿をここでもUPさせていただきます。昨日も記しましたように、このエッセイには心底感服いたしました。
〇(8月25日)一文の歌五首
良寛の風の歌にぞ因みてや一文草す嬉しかりけり
(備考:「風の歌に因んでーー御友神学の省察」を草し新発田良寛会設立30周年「記念誌」に寄稿す。昨日の事なり)
焚くほどは風がもて来る落ち葉かな托鉢良寛恩寵に生く
しみじみと落ち葉集めて焚きてぞや一日の食なるや嬉しき
良寛や風がもて来る言ひしはぞ御友在りてぞ命あるさち
風の歌に因んで
―−御友神学の省察
延原時行
敬和学園大学名誉教授
今夏母校クレアモント神学院にて大きな国際学会が開催され,会心作の発表をなすことができました。その末尾で良寛の風の歌を引用し、私の提言「御友神学」の〆といたしました。御友神学と申しますのは、宇宙には究極の問題と身近な問題があるが、両者を繋ぐものが無くては、救済なし、という事を或る日私は発見いたしまして、この消息を指します。どうも良寛さまも、「御友神学」を体得なさっておられたように観ぜられます。
焚くほどは 風がもて来る 落ち葉かな
焚くほどというのは、人間の煮炊きの生活、現実生活のありのままでございましょう。良寛禅師が七十余年、一托鉢僧として生き抜かれたことは、何という大仕事でありましたことか。良寛は来る日去る日を焚くほどに、深い確信をもって、軽やかに生き抜かれました。その確信を禅師は、「風がもて来る」と表現されました。
この一句には、この宇宙のなりたちに良寛の観ぜられた「風の恩寵観」とでもいうべき宇宙観が吐露されています。誰しも現在、アベノミクスが私には振り向いてくれない、といった憂いを持ちながら、日々の暮らしを進めているのではないでしょうか。この憂いの意味するところは、「宇宙は無慈悲だ」とでも言う感覚であります。今から二百年以上前の江戸時代末期の越後で、人々の喜捨に依りながらひたすら仏道に身をささげ活きる托鉢僧良寛禅師にとって、思えば、こうした憂いはむしろ普通ではなかったか、――そう私には思えます。
ところが、そうではありませんでした。良寛さまは喜々として「風がもて来る 落ち葉かな」と詠っておいでです。師の「風の恩寵観」は透徹した深みに在りました。
どうしてか、とお思いでしょうか。ご自分の「焚くほど」の托鉢生活と「風の恩寵」のあいだに切っても切れない繫がりを見て居られたからであります。この繫がりを私は「御友」と呼ぶのであります。
「御友」という言葉は、私の最近の発見であります。
或る日、新約聖書のヨハネ福音書を読んでおりました。15章の15節にこうありました:「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたにしらせたからである。」
私はこれを読んで深い感動に包まれました。イエスの「わたしの父」と呼ばれる深い超越の境界は、それだけならば、近寄りがたい「遠い世界」のお話だったかもしれません。だが、イエスは「父から聞いた事」を皆「あなた方」に知らせた、だからあなた方は「私の友」だ(したがって従僕ではない)、――と仰ったのです。ということは、イエスが我々の「御友」だという宣言であります。
私は良寛禅師の「風の歌」に同じ響きを聴きます。御友の調べです。
良寛さまは、「御友の調べ」を何に聴いておられたのでしょうか。落葉です。何でもない落葉です。それを良寛さまはじっと見つめて生きておられました。そこに、「風がもて来る」という恩寵観が禅師の胸に滾々と湧き出てきて止まらないのでありました。
何でもない落葉を見る。そして、風の恩寵観に感動する、そのような心は、芭蕉にもある、日ノ本の伝統でありました:
よく見れば 薺花咲く 垣根かな
御友は、わが日本の戦後の初発のところ、1945年8月15日、敗戦の日の正午、あの昭和天皇の玉音放送の只中の「シーンとした国民の心の一瞬」(河上徹太郎「ジャーナリズムと国民の心」)、天籟において、顕現されました:
御友はぞ日ノ本民や滅私すや君「護持シ得テ」受諾時顕現
民がぞや一億玉砕「決心」の時を受けてや君ぞ「護持」すや
一国の「滅して不滅」岸辺にぞ御友誠や立ち給ひけり
ポツダム宣言受諾の君の御決心は民の心を「護持シ得テ」為されました。ここにも私は良寛の風の心、御友神学を見ます。「もう一度網を打て。」(ヨハネ福音書21章6節)この御声に応じて受諾決心されたのが、民の心を「護持」せる御君でいらせられました。
[了]
さて、ここから「今日の歌」を収めさせていただきます。
〇(8月26日)神至誠の歌十首
信仰や神に至誠を尽くし問ふ神自らや至誠おはすや
神至誠何に対して示さるやもし物になら偶像崇拝
しかるゆえ無に対すほか神至誠考へることあり得ざるなり
無は物に非ざる故に「無」の無なり空無自性ぞ(備考:「無」=無の概念なり。「無」の概念性否定により無実在なり。無は「無」に非ず、故に無は無なり)
神やそも空無自性に至誠なり空料や出ず智慧と慈悲なり (備考:料=方便なり。ホ氏これをcharacterと言ふ)
これや空そのものにてや非ずなり空に至誠の形成りけり
神や空形成すなら物にもや至誠の形成せと招喚
かくてぞや世にや形の様々や現れ出ずるこれ創造ぞ
神や空至誠の形成すを見て至誠なれやと御友招喚 (備考:ヨハネ15・15、マタイ5・48、熟読参照)
これやこそ形而上神学び歌にて示す試みなるや
御復活燃ゆる炎の歌十二首
我妻や絶後笑み増し魅せるなか御友復活顕れにけり
御友のぞ復活げにも共現象甦りてや甦らすも
共現象御子ケノーシスのありてこそ神と等しき固守せざるとや
(備考:ピりピ2・6−7、熟読参照。ホ氏も同じ事を形而上学の言葉にて言い表はしたり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention." [AI, 295])
これはしもいとも尊き冒険ぞ我ら受肉と呼べる御業や
受肉のぞ極点こそや十字架ぞ「父よなにゆえ」甦りあり (備考:マルコ15・34、熟読参照)
我もはや生くるに非ず基督ぞ我が内にあり生き給ふにや (備考:ガラテヤ2・20、熟読参照)
御復活基督にしてパウロなりホ氏の曰くやits Unity of Appearanceぞ (備考:これ「共現象」なり)
我妻や絶後笑み増す時にぞや御友岸辺に歴然とます (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん。嬉しい嬉しい)
嬉しいと妻言ひけるや岸辺の主嬉しいとまた己が事なり
御復活共現象ぞ誠にや単現象に成してみよ無し(備考:主イエス・キリストの復活のみを語る人復活語るに非ず、「復活」の概念語るのみなり。復活真に語る人は、主と我を語るなり)
此処にぞや妻の笑み増し燃ゆるなり何故燃ゆるかや主に在りてこそ
赤々と我妻笑みつ燃ゆるなり尽きざる炎御復活げに (備考:燃ゆる炎と炎の元とは一なり。これ共現象なり)
歓びの道の歌七首
我妻の絶後笑み増す歓ぶや御友復活称ふ道なり
これやこそ共現象と我や言ふ復活省察誠これなり
この朝もこの喜びぞ我が胸に深々と降る暖かき雪
世の人よ我妻絶後笑むを見て我歓ぶを異な事とすな
生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ (備考:復唱)
今の世に御友復活称ふ道妻と我との神召すの道
嬉しきや誠嬉しや嬉しきや御友復活嬉しや誠
台風一過、曇天の朝です。
今日は少し晴れ間があるようですね。
上の写真は、ご近所のご夫妻がおそろいで育てておられる、素敵なサボテンです。
ほぼ毎日このお宅の前を通ります。
ただ一日だけ咲いて散る、この美しい花を眺めるのが楽しみです。
いまサボテンは、玄関だけではなくお部屋の横にもあって、自転車の蔭から、きれいな顔をのぞかせています。
こんなにたくさんの花がいちどに咲いているのもとても珍しいことです。
昨日は雨の一日でしたが、地蔵盆のぼんぼりがまだ飾られたままのところもありました。
イチジクの木が強風にあおられて、食べごろのイチジクがとても気になったりして・・・