延原時行歌集「命輝く」(第2239回)(ぶらり散歩ーー花と猫)

           

  延原時行歌集「命輝く」(第2239回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(224−6)
いと嬉しくもの歌、和平憲法の歌、哲学歓びの歌、今朝も又の歌、地防の歌、これやしもの歌、今日の日の歌、地にも成れかしの歌、我妻やの歌、英文稿の歌、一つ命の歌、時代精神の歌、つらつらとの歌、地の心の歌、日ノ本の歌、御友神学顕現の歌、笑みの底の歌、我が妻幸せ絶頂の歌、我が称名歌の歌、昨晩やの歌、思へばやの歌、一つ心の歌(2015年7月21日〜31日)。

      〇(7月26日)一つ命の歌六

   人生の最高の幸妻や述ぶ何でやノーちゃん皆やり呉れる

   父さんな皆やり呉れる妻謝せしなんのなんのと我も謝せしよ

   かくしてぞ我ら妹背や嬉しくも一つ命ぞ共創りせる

   これがもし妻一生ぞ内助のみ果たしけるなら如何に寂しき

   本作る父さんやって言ひし故妻一生を詠ふ我幸

   過日もやジュンク堂にぞ妻とのや復活書観ぬ我が日祝ひて   (備考:78回目の我が誕生日7月23日なり)


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今朝も上の歌(7月26日)の歌に加えて、最新の「今日の歌」を掲載します。

冒頭に詠われる「金嬉老との往復書簡」は延原さんご夫妻の若き日の労作です。獄中の金氏とのあの深い対話の、ここにきての復活は嬉しいできごとですね。


      〇(8月22日)驚けりの歌二首

   驚けり「今こそ」突如急上昇我が青春の対話篇げに
(備考:拙編著『今こそ傷口をさらけ出してーー金嬉老との往復書簡』(東京・教文館、1971年)、一昨日アマゾン279,137位なり)

   あくまでも学理的なる対話篇怒涛の渦中金氏と成すや(備考:我が出色のドストエフスキー研究「『罪と罰』における思想の機能について」(『理想』No. 459, 1971年8月;ドストエフスキー特集当選論文)との比較研究を論考「『金嬉老の意見陳述』から学ぶ」に記せしことに始まりし対話篇なきり)

        平和理法の歌三十首

   この時代来る日毎にや歌記す妻復活を喜びてこそ

   我が歌に在りたるやこそ妹背間佑け給へる御友の称へ

   歌世界原爆はるか越へ行くの嬉し嬉しの命世界ぞ

   歌を詠み記し行く我楽しきやこれら皆もて天父往くこそ

   詠ふ内近代基教米国の原爆投下至りしや知る

   基督教絶対主義の証しをば原爆や成す無明の極み

   人方や知らずやこれや近代の基教終焉原爆教ぞ(備考:究極兵器原爆もて基督教の絶対性証しせんとの宣教学。これ「原爆教」なり)

   日本国「平和憲法」具現せる原爆教の平和面なり

   平和とやこの際何ぞ「逆らわぬ」日ノ本の性(さが)示し行くほか

   「逆らわぬ」とは武力的等その他力に依りて言ふことならじ

   而してや「地位協定」と「安保」にて日ノ本従属貫けと言ふ

   かくあれば日ノ本経済文化等中心にして復興求む

   而してや神学重要明らむる(一)神空至誠(二)至誠たれとぞ

   さてそこで神学のぞや明らむる御神存在当為や如何

   神学を如何に米国原爆教強し言へども封ずるを得ず

   封ずれば神称ふ事禁ずるの涜神的の行為なるなり

   これ誠原爆教の矛盾なり御神至誠命法や活く

   御神の至誠命法活くるなら原爆教やその従者なり

   誠にや此処に逆転必定ぞ神学主導核や従なり

   しからばや「神空至誠」「至誠たれ」二原則にや核ぞ従ふ

   これ程の核従属化あるやなし正しくこれや平和理法ぞ

   いやしくも米国基教奉ずなら神崇めよや核ぞ従属

   御神や(一)「空に至誠」にいましてや(二)「汝至誠たれ」命法や出ず

   (一)を見て(二)を招喚ぞ成し行くや御友真実誠麗し(備考:ヨハネ15・15にや御友真実記されたるよ:「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることをしらないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聴いたことを皆、あなたがたにしらせたからである。」)

   右の事人知らずしてあるならば原爆教に囚はれ行くや

   「核絶対」これ現代の偶像ぞ神学それを解かし行くなり

   かくしてや「平和憲法」縛りもぞ解け行き聴くや神命法ぞ

   今はぞや「平和憲法」原爆教直属すなりこれ解かるべし(備考:「原爆教」=「地位協定」+「安保条約」なり)

   解くものや神学告ぐる(一)神至誠而して(二)至誠たれとの御声

   誠にや「神空至誠」「至誠たれ」平和理法や麗しきかな


         二つの力の歌十首

   宇宙には二つの力在るにぞや一は至誠ぞ二は奪取なり

   御神や空に至誠にましまして逆説的に至誠なれとぞ

   空はぞや空自らを空ずなりこれに至誠の御神至純   (備考:至純とは「物に従属」「偶像礼拝」の意なしとのことなり)

   誠にや空に至誠の御神に顕われたるや謙虚の力

   空に神至誠にませば「至誠なれ」命法や出ず宇宙逆転

   至誠をぞ経験なすの方やのみ「至誠なれ」との命法告ぐや

   二は奪取「神の如くに」(Eritis sicut Deus)成りてはや賢者の顔し命出さんとす   (備考:創世記3・5、熟読参照)

   これやこそ悪魔の力強制ぞ関係性の認知あるなし
   (備考:強制=coercive power)

   原爆教神の至誠の力をぞ露知らずして神如くなる

   ホ氏がぞや「説得的の力」とや呼びしものはや至誠力なり(備考:Cf.: "The first phase is constituted by Plato's publication of his final conviction, towards the end of his life, that the divine element in the world is to be conceived as a persuasive agency and not as a coersive agency. This doctrine should be looked upon as one of the greatest intellectual discoveries in the history of religion." [AI, 166])











この年になっても夏休みの宿題があって、毎日コツコツと楽しんでいますが、一歩一歩ですね。

宿題に必要な一冊の古書を見つけて、昨日は注文することもできて・・・・・。


昨日のぶらり散歩は、市場で買い物をするいつものご近所コースで、毎日変化する花々とともに、気楽そうにのんびりと暮らす猫たちの姿を撮りました。