延原時行歌集「命輝く」(第2233回)(夏の高校野球―甲子園球場へ行ってきました)
延原時行歌集「命輝く」(第2233回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(222−10)
御姿映す嬉しの歌、朝毎にの歌、御友:超越即内在の歌、基督称名の歌、御旨ままにぞの歌、祈り歌、御復活道往くの歌、今朝の歌、興味津々の歌、御友のぞの歌、仕事果たせりの歌、嬉しくもの歌、つくづくとの歌、この朝もの歌、和平の歌、この妙味の歌、皆の歌、燦の歌、絆の歌、眼(まなこ)の歌、人生完成の歌、箴言凛呼の歌、万物再編の歌、この朝の歌、より深きの歌(2015年7月11日〜20日)。
〇(7月20日)箴言凛呼の歌十三首
ノーちゃんに箴言やれと言ふんはね父さんしかやおりませんとや
(備考:これ我妻得意然たる台詞なりき)
箴言の修練誠「皆」の内日毎日毎に妻や楽しむ(備考:総数30条、リウマチセンター=2011年2月4日〜6月13日=と豊浦病院2011年6月13日〜10月5日=にて、作りしなり)
日々の癒し振り切り沈潜す箴言作り癒し促進 (備考:これ逆理なり)
父さんやカンファレンスしよ言ふ時のノーちゃんやこそ喜色満面(備考:我リウマチセンターに一泊して箴言作り共に為すこと妻「カンファレンス」と命名せり)
それにせよ第七条には驚きぬ西田哲学粋や英文
(備考:”I am living in the secular world. And yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan because Japanese society is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.”)
恐らくや四十余年我居間を独りごちては歩みし聴きし
その内に我がつぶやきや哲学の核結晶と化す
この事を聴きてや我や賛嘆すノーちゃんこれな傑作やんか(備考:えへへ、ノーちゃん、父さんに褒められるのん、す・き・や・ねーん)
その笑顔得意絶頂我妻や嬉し嬉しに病忘するや
かくてこそリウマチセンター道場と成りにけりかも哲学凛呼
かかる事妻満足の心地して生涯の果て「本作る」とや
誠にや幸の幸なる信子様哲学道場如何に楽しき
かくの如歌詠みけるは我が至福妻の心の忖度歌是
万物再編の歌三首
彼岸とや而して此岸包みたる御友在りてぞ万物再編 (備考:再編=re-capitulatioなり。エフェソ書1・10、熟読参照)
万物を超ゆるばかりか包み給ふ御友ありてぞ勇躍再編
これこそやエコロジーのぞ回復の偽らざるの真の核心
この朝の歌十二首
この朝やご近所様やお手製の柔らかき麺麭ジャムと食せり (備考:杏ジャムもお手製なり)
先達の御葉書手にぞ懐かしき文字判読や牧者歴々(備考:種谷俊一先生御葉書7月16日付来、深謝無尽も!:「お元気の様で嬉しいです。つれあいを天に送って不自由だろうと想います。毎日暑いです。「風の便り」に私の「メッセージ」を好評頂いたのを読んで感謝しています。私の牧師(注。曽根教会石田英雄牧師)の娘さん(注。高谷のぞみ師)と二人で月刊で伝道誌(注。月刊「まきびと」)一枚を十五年余続けていますがその私の担当のメッセージの単行本化(注。『イエスの顔した神さま』南船北馬舎刊)です。クッキーおいしく頂きました。私はバルト先生の説教集12冊を求め、ゆっくり読んでいます。時々説教を担当しています。裏の小さい畑の作業を楽しんでいます。先週イエス団に呼ばれ鳥飼先生と一緒でした。お元気でいて下さい 祈っています。」)
今朝もまた熱誠の友ブログにぞ我が歌や出ず面映ゆしぞも
朝夢や家の廊下を走り来て何やら妻や囁く如し
微笑まし昨夜作りし我が歌に感動せしと言ひたげなるや
一日の歓び生まれこの日ぞや昨日一日刷新の如
澎湃と民の反戦示さるる今日この頃や政府たじたじ
民の意志汲みてこそなり米国や戦備ふも和平遵守ぞ
国々や一人前に成るとはや戦を励むことなるやぞや
我や問ふ文明如何にあるべきかペンテコスタルビジョン活くべし
我もはや生くるに非ず基督ぞ我が内に生くこれぞ文明 (備考:ガラテヤ2・20、熟読参照)
今生を只続け行く非文明御復活をぞ承くや文明
より深きの歌二首
我が国に変貌論の時代来もそれより深き変貌復活
これこそは新著の狙ひ時代をば二重底にて飛翔や嬉し
(備考:新著『「変貌論」の時代――良寛、ドストエフスキー、ホワイトヘッド、信子』京都・行路社,2015年 時代を底より飛翔して越へ行かん)
♯ ♯
今朝も7月20日に詠われた上の歌に加えて、メルマガで届いた8月16日「今日の歌」を収めます。
ご自身でいつも「ますます万事尻上がりです、なぜでしょうねえ」と口にされていますが、「今日の歌」を読んでも、その秘密は、しっかり伝わってまいります。
詠まれた歌の数だけでも、驚きです。
この暑さも吹っ飛ばして、芯の底から鎮められます。
〇(8月16日)朝餉の祈りの歌一首
朝餉のぞ祈り天父に捧ぐ時我妻の笑み感ず嬉しも
何ともやの歌十首
何ともや奇異なる光景元首相異(こと)国と共反安倍「宣言」
これやこそ大東亜のや共栄圏その中にての野党連合(備考:[ソウル共同]「終戦70年を迎える15日を前に、村山富市元首相や韓国の李洪九元首相らが連名で、日本の憲法9条改正への反対や朝鮮戦争の終結などを訴える「東アジア平和宣言」を発表した。村山氏は安倍晋三首相が14日発表する戦後70年談話を注視するためとして訪韓せず、鳩山由紀夫元首相と李氏がソウルでの集会で朗読した。宣言には「憲法9条を保持してきた日本国民」のノーベル平和賞への推薦を発案した主婦鷹巣直美さん=神奈川県座間市=や中国の李肇是元外相ら計97名が名を連ねた。」『新潟日報』2015年8月14日付)
あたかもや成長鈍化中国や焦りて元の切り下げやなす
(備考:『新潟日報』2015年8月14日付)
安倍談話発表ありて「村山」の引用論や注目の的
我感ず「共栄圏」の政治ぞや開始せる如興味津々
かつてはや「共栄圏」の戦あり今や反省政治季節や
かくてぞや「村山談話」季節から「共栄圏」の政治始動す
ここにてや文言重要ひょっとして憲法安保よりも流通
面白し首相の書きし「談話」はぞ米国書きし憲法進む(備考:東亜の事を日本国首相自らが反省し「村山談話」を基に論評の上、決意表明したる点、「和平憲法」進むものなり)
しかもぞや東亜面々論評す政治対話ぞじりじり微進
原爆神学の罪の歌二十七首
人はぞや世界を「神の体」とぞ見る故にこそ御神崇むや(備考:Sallie McFague, The Body of God: An Ecological Theologyのように、世界を「神の体」と見るだけでは、神への深き尊崇やなし)
否逆に御神空に至誠なる御方と知り御神崇むぞ(備考:神ご自身に神根底への至誠心ありと見るところより、深き畏敬やあるなり)
何故ならば空の場(Eco)にぞや至誠なる御神にあれば招喚し給ふ(備考:至誠を自ら経験されたる御神のみ、我らに至誠心の招喚為し給ふなり)
従ひて招喚なくば人如何に神の体なる世界知れるや
況やぞ一国にぞや原爆の投下許さることやあらうや
米軍や広島長崎如何なるの召命ありて原爆投ずや
歴史的新教神学召命観用ひて殲滅成せし非ずや
さりながら米軍投下御神のぞ空への至誠崇めはせざる
召命の基教原理を用ひてや殲滅なせし明白なりし
これはしも基教絶対主義による殲滅投下旧き神学
現今の佛基対話の神学や絶対主義や否認するなり
先ずはぞや御神空に至誠なる御方として崇むべきなり
この崇敬米国基教欠きたるや信仰未熟言ふべきやこそ
然る故原爆投下問題や惨禍甚大のみに非ずや
従ひて米国原爆投下はぞ核と共にや誤神学あり
ここにぞや核体制は恐るべし基教絶対誤神学付す
これこそや後続諸国核体制欲する理由神学魔境
されどもや神学魔境今ではや対話時代に旧きや旧き
それ故に佛基対話を通じてや「神Ecozoics」ぞ地の法なれり
神学の旧き魔境に呻吟す世の核諸国哀れなりけり
宗教間対話の実を知るにつけもし人ならば無明恥なむ
如何にもや核開発に励めども神学魔境脱せねば不可(備考:現在の「抑止力なる核」は、神学魔境脱しおらねば、成立不可なり)
神学の旧き魔境を脱せねば核戦略や恥の又恥
而してや偽神学で三度目の投下なす国狂気の沙汰ぞ
人類が聊か正気持するなら今や対話の時代とぞ知れ
汝が国が三度目投下なすならば天と文明蔑(なみ)す罪人
要するに仏教空を受容せぬ召命観の基教や恐し(備考:他教他文明を殲滅する召命観を有すればなり。因みに、仏教的空キリスト教にてや「三位一体的神性=ペリコレーシス=」の事なり。この神性、マイスター・エックハルトNichtsと言ヘリ。神Nichitsに至誠なり、故に、被造界に至誠心喚起するなり。我が至誠心の神学三つの原理にて成れり:①神は空に至誠なり;②空は空自らを空ず;③神は宇宙に在りて我ら被造物に至誠心を喚起し得る、また現に喚起なさる、唯一の御方なり。近時、第四の原理発見せり:④「父から聴けることを、汝ら(弟子達)に告げたる故、汝らを我は友と呼ぶ」(ヨハネ15・15)と申されし御友なくば、神至誠にして至誠喚起さるること我ら認識すること能はず。原爆偽神学は③の原理(召命原理)のみにて立てり。四原理のすべてを充足せねば、宇宙的神学としては不十分なり。廣島と長崎に原爆を投下したる、トルーマンの背後に在りし神学、実に制約されし、誤謬神学なりしこと、現在の対話論神学状況から十分批判的に反省すべきなり。さもなくば、核戦略なるや歪なり。とてもや21世紀の文明に相応するものに非ず。一言でもってすれば、「非文明的」なり。非文明的核戦略を世界の重要諸国が欲するのは、「抑止力」のゆえと言はるるが、「本当の抑止力」は、知るべし、広島・長崎にて惨禍に遭いし幾十万の「人達」の実在なり。それを言はねば、人道に悖るならむ。しからずや。逆説的なるが、被爆の日本国ある故に、核戦略は核戦略たり得たるなり。実際の惨禍の恐ろしさなしに、兵器の実行力など、知るべくもなからう、と言ふものなり。それに堪え得てある、日本国、日本の市民を、世界の国々、人々は何故讃美賛嘆感謝せざるかや?呆れるほど不誠実なり。御神許されざることと思はる。まず米国は原爆投下を恥じよ、それを支へし基督教絶対主義的殲滅偽神学を恥じよ。しからざれば、「米国純正のキリスト教国なり。」とは真っ赤な偽りなり。知るべし。我が神学的立論は、公開せしなり:See "The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity" and “Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”)
上の書は、古川泰龍師が、拙い小著をお贈りしたお礼にと、お心のこもった返信をいただいた折に、同封されていた贈り物です。
古川師は真言宗の僧ですが、久松真一禅師との交わりやフランコ神父との出会いの中から、ことに晩年は「仏教とキリスト教の対話」を通してローマ法王やマザー・テレサとの出会いがありました。
書家として知られる古川師は、イタリヤでも書展の開き、大きな話題を呼びました。
上の贈り物は、古川師が敬愛されていたマザー・テレサのことばを筆にしてくださいました。
ところで、毎年春と夏の高校野球の観戦に甲子園球場へ出かけていますが、昨日の午後は、阪神電車に乗って出かけましたが・・・・
乗車した駅のアナウンスで「甲子園は満員で内野も外野も入場できません」というアナウンスが流れて・・・。
ともあれ、今年の甲子園球場を見るだけでもと・・・。
しばらく待っていると、外野のひとつのゲートがひらき、少し空きができたというので、案内されるままに、カンカン照りの満員の外野席に・・・。
それでも、球場内では秋のトンボが飛び交っていたり、時折涼しい風が吹き抜けて行ったり・・・・
観戦のあとは、いつものように外野席を右に左に、上の下に眺めまわして、数枚の写真を撮りました。
夕方、我が家に戻ると、公園では、ツクツクホーシの蝉の声が聞こえてきました。