延原時行歌集「命輝く」(第2228回)(笠木透詩「一本の大きな樹と夏の雪」の岩田健三郎の版画)

        

   延原時行歌集「命輝く」(第2228回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(222−5)御姿映す嬉しの歌、朝毎にの歌、御友:超越即内在の歌、基督称名の歌、御旨ままにぞの歌、祈り歌、御復活道往くの歌、今朝の歌、興味津々の歌、御友のぞの歌、仕事果たせりの歌、嬉しくもの歌、つくづくとの歌、この朝もの歌、和平の歌、この妙味の歌、皆の歌、燦の歌、絆の歌、眼(まなこ)の歌、人生完成の歌、箴言凛呼の歌、万物再編の歌、この朝の歌、より深きの歌(2015年7月11日〜20日)。

       〇(7月15日)興味津々の歌十首

   変貌論第二巻へと如何なるや備へぞ為すや興味津々(備考:新著『「変貌論」の時代』只今京都・行路社にて刊行準備中なるも、『復活の省察ーー御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』新潟・考古堂 へと如何につながるやいと面白し)

   ジョコビッチ走り回るや大変ぞ思ふ内にやフェデラー屈す(備考:ウインブルドン・テニスチャンピオンシップ7月12日優勝戦面白し。軽快に且つ必死に走るフットワークの人、重き力の人を凌駕すや)

   人方や戦法制語るやも決着つねに和平如何ぞ(備考:戦永久に在るべきものに非ず。如何に和平に至るか而して和平から平和へと展び行くか考えざれば、戦意味なし。「戦」→「和平」→「平和」の一体性プロセス先の戦の指導者考へざりき。「平和憲法」実は「和平憲法」ぞ。沖縄の現実見れば、この事疑いなし。ここより如何にして「平和」に行くか、興味津々たり)

   第九条意味ありとせばこれやしも和平の文書なるにありけり
(備考:九条「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」に関する日本国憲法の条文の一つ、憲法前文とともに三大原則一つなる平和主義を規定せり。この条文のみにて、憲法第2章(章名「戦争の放棄」)を構成せり。「戦争の放棄」むろん「和平条項」なりーーrealisticallyに言はば)

   和平より平和に至る道筋や御友と共に往くにしかずや

   この意味で九条神命非ずして先の戦の和平の宝

   九条や平和憲法言ふよりも和平の宝記しおるなり

   九条を徹頭徹尾和平のぞ宝と見よや日ノ本の民

   和平とは言はず平和と呼びたるに観念論の響きありたり

   和平より平和に至る欣求せる生きの姿や人も国もや

        ♯              ♯


今朝も上の歌に加えて延原さんのメルマガ「風の便り」で届けられた「今日の歌」を収めます。日を重ねるたびに「御友神学」に新しい息吹が溢れてきます。


      〇(8月11日)宇宙真中の真の歌二十五首

   御復活取り除きたる基教はぞ宇宙真中の希望あるなし

   パウロがや「単なる望み」言ひしもの地上に繋ぐ如何に果敢無き

   この基教真理論にて果て何ぞ一語で「空洞」言ふべきぞかし

   この基教凡そ伝道出来ぬなりメッセージなし何を伝ふや

   人心満たすものなくこの基教「空洞」のまま社会奉仕す

   さらばぞや真実基教何成すや父より聴けるなべて告ぐるよ

   これぞこそ御友神学告ぐるもの超越内在矛盾相即

   誠にや西田哲学言ふ如く絶対矛盾自己同一ぞ

   表現者表現者一にして宇宙真中や御友真実

   恩師言ふ純粋神人学されど中間底なし人佑なし

   御友のぞ真実復活如何にぞや原爆撃つも滅して不滅(備考:廣島の大地にピカドン投下「影」だけ残しし御方よ、汝御友と御国にあるを、我かたくかたく信ずなり)

   これ誠敗戦の日の玉音に民も君もぞ知りし真実
   (備考:1945年8月15日民族回心の時なりき)

   日ノ本の長き戦の只中で民佑く心(しん)無きぞ悲しき   (備考:これ誠「統帥権の干犯」に現れし軍部に特有の欠陥なりき)

   民がぞや一億玉砕「決心」の時を受けてや君ぞ「護持」すや(備考:この「決心」凄惨なる十五年戦争の果て、いと純真なる悔悟にてありたり。これ疑うべからず。「決心」こそ「国体」なりき。君これを見、これを考え、軍政指導者に先んじて「護持」決したり。此の一瞬は日ノ本の歴史における変貌点なりき。そののち「生きんとする格闘期」始まれり。されど、我ら「格闘期」に先んじて「あのシーンとした国民の心の一瞬」(河上徹太郎「ジャーナリズムと国民の心」)を持ちし事忘るべからず。何となれば、国民歴史の真っ只中における「御友顕現」の一瞬なりたる故なり。勿論、国民の「忠義」と天皇の「愛民」の合致するところに生起したるも、その根源「御友」なりとは我が深き確信なり。日ノ本の歴史では、良寛が彼一個の佇まいにおきて、我が後を助け給えと頼む身は 元の誓ひの姿なりけり と詠ひしと精神的に符節を合わせる事態と思はるる故なり。此の一瞬は、左右いずれの陣営に属する消息か、と詮議するべからず。天に恵まれたる民族の一瞬なりき。この後に(軍備は措きて)経済的復興の「忠臣蔵」起こりし。日本成功せり。拙著『至誠心の神学――東西文明融合論の試み』(京都・行路社、1997年)参照)

   従ひてこれぞや誠十五日宇宙真中の摂理なりけり

   米軍や平和憲法安保制地位協定と大和縛れり

   日ノ本や隷属国家ほかやなし基教傲慢絶対主義ぞ

   されどもや人の覇権や限りあり地上なす事天縛り得ず

   拙論の書き表しし如くにや神Ecozoicsのありて地やある
(備考:これ拙論の全地球に向けての復活形而上学のメッセージなり。誰破り得るや:”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Rezurrection Metapysics in Tandem with Ryokan”)

   さらにぞや御友おはして天父のぞ御心示し御復活成る

   それにせよ原爆政治にゃ恐れ入る広島長崎抑止ならずや

   これだけの惨禍を見たる人類や三度目投下いかで望むや

   これ以上天を蔑(なみ)する軍事などあるべき非ず神を畏れよ

   米日中誰がどうするこの地球御復活なく考ふや汝や

   されどもや玉音放送告げたりし滅私愛民御友活くるや 

        黙々の歌二首

   日ノ本や何を詠へどなしつぶて黙々の黙黙々の黙

   黙々の黙の内にや我聴けり黙々なれど黙々ならず









日本のフォーク界の大御所・笠木透さんと雑花塾のみなさん(岩田御夫妻・増田さん・上田さん・安川さんなど)には、あの大震災のときを挟んで、毎年新曲づくりの合宿などで笑い転げて、楽しませてもらいました。

上の版画は、岩田健三郎さんの大作です。大震災の年につくられました。

笠木さんの詩「一本の大きな樹と夏の雪」が刻まれています。

我が家の狭い玄関に置いて、毎日ながめています。


昨日は久しぶりに、学生時代の友人の一人からお便りをもらい、返事を認めました。また共通の友人を誘って、彼を訪ね、ゆっくりと語らう時をつくりたいと思っています。


酷暑が続き、極力外出を控えていますが、炎天下、中庭の花壇など草木は水を求めて喘いでいますので、たっぷりと水撒きをして、水遊びをしました。

野良猫が一匹、木陰に涼んでいました。