延原時行歌集「命輝く」(第2222回)(ぶらり――木陰で一服)

                      

         延原時行歌集「命輝く」(第2222回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(221−8)延原信子物語の歌、昨日の歌、一書をばの歌、原事実刷新の歌、ロゴス論奥底の歌、古稀フォトの歌、復活歓喜の歌、摂理の歌、今朝の歌、誠嬉しやの歌、今生さだめの歌、真中の歌、日々佳しの歌、驚きぬの歌、御文嬉しもの歌、何処にもの歌、我悟る:Pentecostal Visionの歌、今日も我の歌、熱誠の我が友二の歌、御友発見一大事の歌、御友神学奧所の歌、いかで今の歌(2015年7月1日〜10日)。

     〇(7月9日)我悟る:Pentecostal Visionの歌十八首

   我悟る何故社会主義灯ぞ消へし宇宙変革意欲萎へしぞ

   変革やペンテコステに淵源すここにChurchぞ生まれけるにや
   (備考:使徒言行録2章、熟読参照)

   ローマのや文明爛熟滅ぶるも御復活ありChurch誕生
(備考:欧米歴史家「Church」と言ふ時の感動、特別なり。復活信仰共同体のことなり)

   Churchをぞ新教更新新文明新大陸に根づくとぞ見ゆ

   米国史そのアイロニー何なるや神信仰に資源代ふるや(備考:トマス・ベリー『偉業』40頁にて、「メイフラワー号大西洋上に現れし時、アメリカ大陸上の一切の生きもの悪しき予感に戦慄せるや」と書きたるなり:”Every living being on this continent might have shuddered with foreboding when that first tiny sail appeared over the Atlantic horizon.” in: Thomas Berry, The Great Work: Our Way Into The Future (New York: Three Rivers Press, 1999), p. 40.)

   レーニンの心に萌す情熱やペンテコステの世俗版そも

   国々やペンテコステを失するや資源争奪のみ残余せり(備考:国々神信ぜずに「資源」信ぜり。これ近代石油産業文明の秘密なり)

   ここにぞや「エコロジカルな罪」懺悔現れけるや地球痛むと(備考:ローマ教皇フランシス回勅:"Praised Be: On the Care of Our Common Home" (Laudato Si, June 18, 2015)参照。ここにEcology + Economics + Equity = Integral Ecologyの主張あり)

   ボンへファー反ナチ抵抗殉教す獄中宇宙更新欣求(備考:ボンへファーの欣求希望是なりき:”Die aus Eph.1, 10 stammende Lehre von der Wiederbringung aller Dinge – anakephalaiosis – re-capitulatio (Irenaeus) is ein grossartiger und ueberaus troestlicher Gedanke.” in: Dietrich Bonhoeffer, Widerstand und Ergebung: Briefe und Aufzeichnungen aus der Haft, Chr. Kaiser Verlag Munchen, 1961, S. 125.)

   我妻の絶後笑み増し見るや我御友宇宙の更新信ずや

   我妻の絶後笑みほど更新の姿あるなし岸辺御友の

   焚くほどは風がもて来る落葉かなかくて禅師や更新ぞ生く(備考:良寛にとり「風」とはPentecostal Visionの事なり。これ日ノ本の風神学なり)

   仮にもし宇宙真中に友なくばいかでエコ不義癒され行くや

   宇宙とは今生だけの事ならず滅して不滅復活事象

   ああ怖ろしき文明やああ嬉しきや御友御摂理(備考:ホ氏も言へり:”The action of fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the follow-sufferer who understands.” [PR, 351])

   御友のぞ御摂理思ふ神学び復活形而上学や言ふ

   この学や西と東の角逐を知るも高くや飛翔歓喜

   御友なくただ角逐のあるならば人類(ひと)戦にぞ消えゆくぞかし
 

             今日も我の歌一首

   今日も我妻や古稀フォト眺めては笑顔最高ノーちゃん凄い   (備考:なあ、ノーちゃん。えへへ、おおきにね、父さん)


         ♯              ♯


今朝も上の歌に加えてメルマガ「風の便り」で届いた最新の「今日の歌」を収めます。

          〇(8月5日)よくもまあの歌四首

   よくもまあ気力一日切れることなくぞ箴言修行三年

   これがぞや脳挫傷のや人なるか確かに正気満々の妻

   何しろや日に二度食後箴言ぞ我妻我と作成嬉しも

   実録を今日も推敲妻と我交せし会話心満たすや(備考:新潟県立リウマチセンター:2011年2月4日〜6月13日入院時の実録推敲なり。楽しも)

         
             歩氏がぞやの歌十首

   ホ氏がぞやpragmatic言ふ時にゃ御友のことが含意さるるよ
(備考:”The pragmatic use of the actual entity, constituting its static life, lies in the future. The creature perishes and is immortal.” [PR, 82] 「滅して不滅」の「て」("and")御友の事なり)

   物が今事終りてや滅すとも有用性や未来に在りと

   これ深き真理にてありいや果てに不死なるやこそ未来なればや

   これこそや命反転幸増すの理なるや如何に尊き   (備考:我妻の反転幸増す、万物再編の希望示すも)

   エフェソ書に万物再編(Re-capitulatio)書きたるの理こそや御友なりけり   (備考:エフェソ書1・10、熟読参照)

   人よ何故深き望みに生き得るや一般真理御友撞着
(備考:すべからく一般真理一般真理に終わることなく必ず御友に撞着する故、人生き得るなり。而して御友宇宙における有用性の原理なり。これ我が最近の新発見なり。短歌神学の新機軸なり)

   恩師がや純粋神人学示し史的具体を抜きしや過誤ぞ(備考:重要テキスト是なり:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向うのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからののであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、272頁、熟読参照)

   九条も平和憲法理想論ただ言ふならば実用奈辺や(備考:一般論的平和にやいまだ「未来」無きなり。日本国の法制全体におきては、実用性の局面は安保条約がこれを規定せるなり。いずれにせよ、一般理論は必ず実用性の原理に撞着せざるべからず。かく考ふや、九条「和平」憲法と見做すべきなり)

   宇宙がぞ万物再編(Re-capitulatio)往くがこそ我らが希望確たるやべし

   御友こそ宇宙の希望にてやます御父を現に示す御方
   実録を今日も推敲妻と我交せし会話心満たすや(備考:新潟県立リウマチセンター:2011年2月4日〜6月13日入院時の実録推敲なり。楽しも)








今朝も朝5時45分、元気な蝉の声に目覚めました。

今日も猛暑が続きそうです。

このところ、近くの市場に買い物に出かける必要にせまられて、ちょっとぶらり散歩にでかけていますが、昨日の午後は、住宅のすぐ前の公園で、しばらく涼をとりました。

上の写真のように、この公園には立派な藤棚があって、道行く人がよく、この公園のベンチでお休みです。

このごろは腰痛は消えていますが、前にはよくぎっくり腰になることがあって、そのときはよくこの公園にある遊具にぶら下がって、腰骨を伸ばしておりました。

また、この公園の中の「ある場所」は、長く自宅で飼ってきた小鳥たちの墓地にもなっていて、大事な場所です。誰にも知られていませんけれど・・・・。


この公園にはまた、ある実のなる木もあって、円熟すればポトンと落ちてきます。まもなく落ちてくる実が、あと四個実っていることを確かめました・・・・。円熟した実がまた、美味しいのです・・・。これも、誰も見向きも致しません。


昨日の私たちの花壇の写真も添えておきます。