延原時行歌集「命輝く」(第2221回)(日照りの中のぶらり散歩よりー柘榴・コブシなど)

                      

        延原時行歌集「命輝く」(第2221回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(221−7)
延原信子物語の歌、昨日の歌、一書をばの歌、原事実刷新の歌、ロゴス論奥底の歌、古稀フォトの歌、復活歓喜の歌、摂理の歌、今朝の歌、誠嬉しやの歌、今生さだめの歌、真中の歌、日々佳しの歌、驚きぬの歌、御文嬉しもの歌、何処にもの歌、我悟る:Pentecostal Visionの歌、今日も我の歌、熱誠の我が友二の歌、御友発見一大事の歌、御友神学奧所の歌、いかで今の歌(2015年7月1日〜10日)。

           〇(7月8日)御文嬉しもの歌二首

   かくまでに我ら復活信仰や真摯に取らる御文嬉しも(備考:敬和学園大学名誉教授浅野幸穂先生よりメール御書簡「尺取虫の弁」7月7日付在り、感謝無尽も:「延原時行先生  突然のeメールとなりましたが、良かったでしょうか。それよりも、小生のPCの操作で果たして届くか心配です。
 先に先生からお手紙と最近のお作物をまとめたレターパックを頂いたのが4月半ばで、それから3ヶ月になります。それらを頂いたことへの御礼さえ申し上げず、非礼極まりないことでした。遅まきながらお詫び申しあげます。頂いたお作物は:『風の便り』号外第15号;Haiku and Analysis: Ryokan and Whitehead (Buddhist-Christian Studies 34所収);「『復活の省察[上巻]――妻と歌う』に寄せて」(『良寛だより』)第148号)。
 さて、列島全体が長雨となり、梅雨明けも遅れる気配の、まことに鬱陶しい天候のもと、先生にはお変わりなく、お元気で御活動中でしょうか。小生の方ですが、前回弁解的に申し上げましたようにな心身の諸条件の衰えは基本的に変わらず、むしろそれらの複合的な累積のために、からだの疲労感と回復の手間取りが増大して、仕事のはかどりを一層遅らせているようです。本当にちょっとしたことの処理さえ簡単にゆかず、日送り、週送りの有様です。
 一般的な泣き言はさて置き、お作物のうちホワイトヘッド、及び良寛に関することは簡単に咀嚼できるものではありませんでした。先生の思想的・理論的なお立場の総体の中に置いてみて、おそらくはこういうことであろうかと推論するくらいで細部の正確な理解に立ってではむりです。良寛については岩波文庫版の『良寛詩集』が手元にあって、漢詩に感心したのですが、読み通してはおりませんで。
 そこで取り上げられるのは、『風の便り』だけといいうことになります。先生は、1年前の思わざる突然の御奥様のご逝去という悲劇と立ち向って、その過程で奥様の思い出天父奉献への一貫した信仰の結実を体験なさいます。それこそ先生年来のキリスト教信仰における復活の根本的意義の確認でした。奥様とhそれに先立ち復活主題の書物制作が話し合われていました。まさに奥様が制作者、先生は実行者というわけです。『風の便り』中の「この成果の歌」をはじめ、『復活の省察』(上)の刊行後の読者の急拡大が数字で示され、旧い誤訳の聖書にしがみつく教会に意気軒昂として勝どきが挙げられます。「日ノ本の基教いのちの復活を貶めしやももはやこれまで」、「復活の信無き基教変貌に至らせんとて妹背励めや」。教会内あるいは教会間の理論闘争の激しさに小生は認識を改めました。
 最近気がついたことですが、『風の便り』はメールマガジンですから、綴じた文集としてレターパックでお送りくださるのは余分なお手間や出費を煩わせております。以後はメルマガの一読者としていただきたいものです。それを登録するつもりのこの便が届くかどうか、わかりませんが、今はメルマガの題字下にある先生のメールアドレスに勝手に送信させていただきます。それに伴い、その維持費などとして貧者の一灯として送金させていただきたいと思います。これも題字下の記事、郵便振替:00550−6−49528、宛名は東西プロセス研究企画でよろしいでしょうか。
 桑などの木の葉を食べようと、寸法を測るかのような動作で木の枝をゆっくり這って昇りゆく尺取虫こそ、材料をじっくり調べながらまとめて仕事をする、人文・社会の分野の仕事スタイルではないでしょうか。この上ともご指導ください。  浅野幸穂拝」 返礼、7日付:「浅野幸穂先生  誠に蕪雑な我が書き物でありますのに、これほどまでに真正面から御閲読頂くばかりか、電子メールでのご論評をご丁寧にご送付いただきまして恐縮の極みに存じます。心より厚く御礼申し上げます。復活の元々の聖書的意味、我ら妹背のこれをめぐる本作りの決意のほど、ーーご理解いただきましてこれ程の感激はございません。
 復活は、御友(キリスト)の成し給う命の天父への回帰のリアリティであります。復活に関する最も重要なテキスト(ヨハネ福音書21章15節)を誤訳、歪曲する日本の聖書翻訳者の所業は誠に恐るべきものであります。それは、何よりも先ず、復活を自分たち人間の愛の行為と同一視しているからであります。「愛の宗教キリスト教」と聴けば、聴こえはいいのですが、何の事はない、自己自慢に外なりません。そこに何の超越的契機もありません。単なるヒューマニズムにしかすぎません。
 私は、我妻の絶後笑み増しを幸いにも一瞥することを許され、それだけで了解致しましたーーこれは、絶後の、御友による、幸いであると。

  人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ

  We perish and are immortal. [Whitehead, PR, 351, 82]

 御礼に6月と7月の「風の便り」をメールにてご送付させていただきたく存じます。

 天来の主の豊かな御祝福を御一家の上にお祈り申し上げます。
 右、お礼方々
 草々不一
 延原時行」)

   先生や尺取虫の歩みこそ調べ纏むる仕事道とぞ
 

              何処にもの歌十首

   我が庭や立木屹立この冬の雪脱してや繁茂すや今

   背伸びせし見よゴールデンクレストや誠麗し命漲る

   いずこにも甦りのや息吹あり我妻笑みを振り撒くや如

   我妻や絶後笑み増し往きしはや御友宇宙を編みつあるとぞ
   (備考:エペソ1・10、熟読参照)

   誠にや刻々宇宙帰一のぞ動きやありて御友岸辺に

   その岸辺我妻絶後笑みしぞや御友万象再編嬉し

   復活やただ不滅なるよりもぞや宇宙万物御友と運ぶ

   我が羊飼へとの命ぞありけるや宇宙再生御友と欣求
   (備考:ヨハネ21・15,16,17、熟読参照)

   御神やすべてにすべてなり給はん宇宙完成御友欣求や   (備考:第一コリント15・28、熟読参照)

   我妻の絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)


         ♯               ♯


今朝も上の歌に加えて、延原さんのメルマガ「風の便り」にUPされた最新の「今日の歌」を収めます。


          〇(8月4日)驚くやの歌七首

   驚くや幾日経つともこれだけは父さん最高仕合せと妻

   かかる事世に在るやとは我知らず怪我してや妻幸せの増す

   幸せの絶頂にてぞ往きし妻絶後笑み増す幸せいよよ

   我言ひぬ反論要らぬノーちゃんや近き御神になべて委ねよ
   (備考:リウマチセンター療養中2011年春のことなり)

   脳挫傷悲惨の限り御友にぞ委ね行きたり我妻信子

   かくて我何を得たるや復活の我妻信子物語げに

   幸せの反転増大ノーちゃんやこれぞ復活物語なり

              命歌の歌七首

   この世にて何を胸打つ業言ふも我妻絶後笑むほどぞなし

   我妻や御友と共に復活ぞ如何で万物かくあらざるや
(備考:エフェソ1・10、熟読参照。ホ氏も言ふ:”The creature perishes and is immortal.” [PR, 82] )

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ原爆超ゆる命歌出ず

   笑みひとつ原爆世界超へ往きて基督活くる幸や告げしや
   (備考:ガラテヤ2・20、熟読参照。笑み=命歌)

   命歌御復活こそ我ら皆支え給ふと称へ往く哉

   この日より日ノ本基教原爆の呪縛解かれし誰や知るらむ   (備考:2014年3月11日よりなり)

   我妻や絶後笑み増しほの燃ゆる御国の力現れにけり

          復活やの歌五首

   復活や人の幸ぞや尻上がり我妻絶後笑みしめし往く

   さらばこそ今生抜きて命あり我もはやなく基督や活く

   命はや滅して不滅なるゆえに原爆の惨人や超ゆるや

   誠にや復活無しに世の和平如何にあるかや我知らざるに

   朝毎に歌詠み我や思ひなす宇宙人生燦たるやこそ










愈々間もなく甲子園が始まります。昨日は初戦の対戦相手も決まりました。

この炎天下、今年もまたいちどはぶらり、甲子園球場まで観戦に出かけるつもりですが・・・・今年のこの猛暑では・・・。


連夜の熱帯夜、就寝時間はしっかりと冷房のお世話になりました。


上の写真は昨日のものです。

一昨日のぶらり散歩のテーマは「日陰をもとめて」で、野良の猫など撮りました。

昨日は、わざと「かんかん照りの真っ最中」を撮ろうと、暑さを覚悟して、でかけました。歩くだけで汗が噴き出てきます。


照りつける太陽のもとで、どっしりと大地に伸びる木々や、真夏のこの季節が、いちばん輝いて見える花々に、お出合いすることができました。


これまでなんども、柘榴の赤い花を撮ってきましたが、それがいま、大きな実をつけていました。それもいくつもの柘榴の実が色づいていました。


そして、連日、ご近所の「こぶし」の実を探し当てては、それをUPしてきましたが、昨日は、少し離れた公園で、これまで見た中では一番大きなコブシの樹を見つけました。

しかもこの樹には、まるで葡萄の房のような実が、いっぱいあるのです!

これには驚きました。「びっくりした! びっくりした!」と、ひとりごちしがら、パチリ・パチリ・・・・。