延原時行歌集「命輝く」(第2210回)(ぶらり「希望公園」と「番町シネマの会」)

                      

         延原時行歌集「命輝く」(第2210回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(220−5)
今日我やの歌、何故にの歌、命がぞの歌、何縁かやの歌、御文や嬉しの歌、問題はの歌、御復活の歌、昨日やの歌 箴言の歌、ノーちゃんやの歌、先達の歌、エコ神学の粋の歌、驚きぬの歌、書物にはの歌、日々佳しの歌、父と御友原理の歌、我妻や御友道往くの歌、箴言傑作の歌(2015年6月21日〜30日)。

           〇(6月25日)問題はの歌七首

   問題は広きも広きこの宇宙汝に友よと呼びかくや誰

   仮令ひと絶後驚愕至るとも御友あらばや笑みや零るる

   その時や滅するもぞや不滅なり御友在りてや天父近きぞ   (備考:なあ。ノーちゃん。誠そう、父さん)

   我が家のぞ事件宇宙の大事件ひそと語れば人方歓喜

   我が証し御友復活ありとてや人の復活ありと示せり

   それもぞや絶後笑み増す我妻の変貌こそや語りつつなり

   尊きやこの変貌こそや尊きや笑みの底にぞ御友いませり

   これこそや驚天動地真なり御友の真我が家の真

             御復活の歌十首

   御復活我が復活も含む幸約束さるるげに実感す(備考:日本同盟基督教団北新潟キリスト教会原山康伸牧師より御書簡6月23日付在り、感謝無尽も!:「『こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。』(ヨハネ福音書20・20)
 主イエス・キリストを知らしめるため、日々お励みのことと存じます。
 このたびは当教会にお越しいただき、ヨハネ福音書二十一章より「復活のよろこび」と題する深遠な豊かな礼拝説教をお語りくださり、心より感謝申し上げます。奥様に対する敬愛の念を示されると共に、「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくだいさいます」(Iコリント7・14)との復活の約束を、改めて実感させていただきました。悟りの鈍い浅学菲才な者たちですが、今後もよろしくご指導いただきますようお願い申し上げます。尊い著書を贈呈いただきありがとうございます。主の恵みと平安が、先生の上に豊かに増し加えられますように。
 2015年6月23日   日本同盟基督教団 北新潟キリスト教会   牧師・原山康伸  教会員一同
 敬和学園大学名誉教授
 延原時行先生
   ”教会は 三位の神のあわれみに 生かされ集う キリストの民”
   ”父 御子と 御霊のいのちにあずかって 希望に生きる キリストの民”」)

   かく御文烈々やこそ原山師温顔の底熱き御心

   これでもかこれでもかとぞ悲惨ありされど棺中妻笑み増しぬ

   この歓喜此度もろにぞ証したり北教会や誠麗し

   我はしも御友臨在おろがみぬイマヌエルそも新事実なり   (備考:イマヌエル、日々「新」事実なり)

   イマヌエル原事実かや否変貌ありてこそなり甦りの主(備考:ホ氏も言へり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295] ここにホ氏、宇宙の一体化=実在の変転による、実在と世界的存在者群の結合:"its Unity of Appearance"=を明示するなり。結合すなわち甦りなり。すなわち、御友の復活と我らの復活の同時発生なり。具象的に言うならば、これなり:我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す。我妻の笑み増し即「深き低みの底」=御子の飛翔なるなり)

   太初榮(さか)華やがしめよ我父よ主の祈りありイマヌエル照る(備考:ヨハネ17・5:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」イマヌエル照る=甦りなり。この主の祈り、恩師向うとする「インマヌエルの原事実」に関して注がれたるなり――父の御前にて。それを勘案せざるならば、恩師の一文=『純粋神人学序説』272頁:「純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の原関係に向うのである。」=には「向かうこと」の動力が欠如することを如何ともし難し。ヨハネ17・5の「主の祈り」は宇宙の動力を銘記するなり。それ「御友」なり)

   甦りイマヌエルのぞ輝きて世に輝きを与ふ御友よ   (備考:これホ氏の言ふ”its Unity of Appearance”なり)

   我や見ぬ御友輝き我妻や絶後笑み増す不一不二なり

   御友こそ宇宙真実父からぞ聴きし事をぞ絶後に注ぐ
   (備考:かくて信子棺中笑みたり)

              昨日やの歌一首

   昨日や出版同意書返送すConvivialityや秋に上梓ぞ
(備考:Roland Faber & Santiago Slabodsky, eds., Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in a Multireligious Community, Lexington Books, forthcoming.に拙稿"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity"を寄稿したる故、出版同意書を昨日送れり。9月ないし10月上梓とのことなり。楽しみなり)


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今朝も上の歌に加えて最新の歌・昨日の「今日の日の歌四首」を収めます。

昨日は「真っ黒けの髪をした延原さんが、78歳のお誕生日」を迎えられたことを記して、お祝いを申し上げましたが、昨日延原さんは、いつものように新潟のジュンク堂に出向いて、御夫妻の著書『復活の省察ー妻と歌う』(おふたりの写真が表紙を飾る)や「良寛」の三部作などの陳列コーナーを眺めたあと、新しい「ホワイトヘッドの平和論」執筆のための最新文献を数冊買い求めて読書三昧、独自の「エコ神学」「御友神学」の平和論を英文と邦文でさらなる展開に意欲満々・・・意気軒昂の78歳・・頼もしく存じます。

          〇(7月23日)今日の日の歌四首

   今日の日や命賜り喜寿や越ゆ御復活をぞ称へ行かんぞ
   (備考:これこそや78回目の誕生日の我が決意なりけり)

   熱誠の友や我が歌テキスト化三十七回如何に謝すべき(備考:延原時行歌集『命輝く」テキスト第37回畏友鳥飼慶陽師造り給へり。深謝無尽も!)

   我が命絶後笑み増す妻共に御友復活称ふや嬉し

   我やしも和平憲法歌をぞや地防戴き推敲したり













早朝より蝉の元気な声に目を覚まされました。
昨日は「大暑」、今日は暑くなりそうです。

上の写真は、地元の「希望公園」です。広い市民広場で、公園が完成して市民の賑わいの場所として、夏には盆踊りや小さな運動会など行われていましたが、いまは管理が行き届かず、昨日の午後もだれもここを訪れる人はありませんでした。

今回も遊具の上に載ったりして「希望公園」を撮ってみました。


そのあとすぐ近くの番町診療所の4階で開かれた集い――1950年の朝鮮戦争のとき、神戸港が戦争基地となり、動員された人々が犠牲となったドキュメンタリーの映像を観て、戦争を語る――で1時間半ほど・・・そこで笠木透さんの歌3曲――「あの日の授業ー新しい憲法のはなし」など――も聴いてもらいました。

いつもはここで「番町シネマの会」の映画会を開催していますが、今回は特別に地元の人権交流協議会や医療生協など諸団体の共催となりました。8月7日には診療所のお隣の人権交流センターで「原爆と戦争展」が開かれます。


今回もノラ猫ちゃんと蝉の抜け殻を添えて置きます。