延原時行歌集「命輝く」(第2211回)(チャリンコに乗って「須磨の海」まで)

                     

         延原時行歌集「命輝く」(第2211回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(220−6)
:今日我やの歌、何故にの歌、命がぞの歌、何縁かやの歌、御文や嬉しの歌、問題はの歌、御復活の歌、昨日やの歌 箴言の歌、ノーちゃんやの歌、先達の歌、エコ神学の粋の歌、驚きぬの歌、書物にはの歌、日々佳しの歌、父と御友原理の歌、我妻や御友道往くの歌、箴言傑作の歌(2015年6月21日〜30日)。

          〇(6月26日)今朝も我の歌五首

   今朝も我絶後笑み増す我妻に驚嘆しつつ目覚めたるなり

   驚嘆やこれ何あらむ御友のぞ岸辺立ちたる御姿やこそ

   我妻よ汝笑みたるや棺の内御友笑みますイマヌエル

   永久の笑みの御友の在りてこそ我妻や笑む人生岸辺

   汝はしも箴言修行なしたるの果ての果てにや笑みぞ一輪(備考:箴言第一条:"God blessed the good day of self-reflection and self-dedication."笑み一輪の自己解説なり。でや、ノーちゃん。そう、嬉しい嬉しい、父さん)

           〇(6月27日)本作りの歌十首

   我妻や人生神学確固たり思ひ出天父持参奉献

   かくてぞや思ひ出今生あるやなし御友と共に天父未来へ

   この朝やかく思ひてや微睡て疲れ一切残るあるなし

   恐らくや我妻絶後笑みし時この世の疲れ一切や無し

   思ひ出や天父の許に奉献の時ぞ来にけり御友いませば

   悟入あり回想ありて底御友いやが上にも称名や出ず   (備考:棺中にて絶後の笑み増し四変化あり)

   一切を天父仰ぎて奉献の麗しき時妻や笑みたり
   (備考:これ第五変化ぞ)

   本作り父さんやって言ひて妻思ひ出再生なすや嬉しと

   その心微睡つつや我にあり本作るとは命再生

   我妻の箴言修行日々ありて今ぞ実録再生やあり(備考:新潟県立リウマチセンター入院の頃=2011年2月4日~6月13日=、我我妻の実録真夜中に作りしなり。一日も欠かさずなり。今や再生の時なり)


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今朝も上の歌に加えて最新の歌をUPいたします。


        〇(7月24日)地にも成れかしの歌十首

   地防との理念恵まるいと嬉し「全かれ」との御声ぞ聴こゆ(備考:「汝らの天の父が全きが如く汝らも全かれ。」マタイ5・48、熟読参照)

   我妻や絶後笑み増し示したる御友告ぐるや「わが羊飼へ」   (備考:ヨハネ21・15,16,17、熟読参照)

   宇宙のや真中御友や告げ給ふ天に成るごと地にも成れかし

   かくてこそ地防理念や誠にや御友神学愛で行くや知る

   地防こそ憲法九条超えつつや自然命法成すと知る今

   日ノ本の心呪縛す憲法や地防の歌を聴きてや和む

   復活の省察此処に至れるや入来正に地防包むや

   誠にやペンテコスタルビジョンこそ全地包むや覇権諌めつ

   天よりの入来告ぐる天意とぞ核覇権とや何の和やある

   地防とはこれ何なるか天意のぞ地に示したる境界やげに(備考:トマス・ベリー著『偉業ーー未来への我々の道』、熟読参照)

            〇(7月25日)我妻やの歌五首

   我妻や嬉し嬉しの御国往きかかる歓喜ぞ世に稀有なるに

   父さんや皆やり呉れるおおきにねかく謝して汝絶後笑み往く

   甦り常のことにやあらねども万事通底御友と往くや

   稀有なるや嬉し嬉しの御国往き我妻や今入来歓喜

   本作る父さんやって言ひつあり日に日に進む妹背天地や





毎日「神戸新聞」を読んでいますが、昨日の夕刊から本日の朝刊にかけて「鶴見俊輔さんの死去」を、大きな紙面をもちいて報道しています。上の記事もそのひとつです。

むかし学生時代、鶴見さんは「60年アンポ」に抗議して東京工大を辞職して同志社に来られ、何度かお話を聴く機会があったり、「70年アンポ」のときも同志社を辞して「べ平連」の活動を進め、ベトナム戦争の脱走兵をかくまうなどされておりました。幅広い見識と地に着いた交流も魅力的でした。

上の記事の通り、小田実さんや加藤周一さんなどと「九条の会」をつくり「発言」を続けておられましたが、ここで「みんな生きている海」という笠木透さんの名曲にあるセリフを収めさせていただきます。日本国憲法は第百三条までありますが、それに加えて、次のように詠われます。

<「日本国健保第百四条 人間はたとえ自分にとってよいことでも 家族にとってよいことでも 会社にとってよいことでも 国家にとってよいことでも 地球にとってよくないことはしてはならない>









昨日の午後、ふと「須磨の海」に行きたくなって、いつものようにチャリンコに乗って30分ほど、大きな美しい夏の海を眺めてきました。


いま夏休みで須磨水族園も親子連れで大賑わい、海水浴場はそれほどでもありませんでしたが、東の須磨ヨットハーバーから西のJR須磨駅の浜辺までの、長い長い砂浜は、ぶらぶらするだけでもたいへん時間がかかります。


松林の木陰には、同輩の皆さんがのんびりと海を眺めたり、読書にふけったりしたおられます。

海遊びに興じる若者たちや、釣りをしている親子など…
小さなアジを釣り上げた少年としばらくおしゃべりなどして・・・。

中学生の頃、親戚の家がこの海辺にあって、泳げもしないのに誘われて海に入って、急に深みにはまって溺れかかり、恐ろしい経験をした場所でもありますが・・・これはずっと黙ってきた内緒話ですが・・・

お恥ずかしいことながら、75歳になってもいまだにカナヅチなのですが・・・孫たちには、ボクは頭が重いので浮かないのだ! などとへりくつをいったりして・・・・三男坊のボクは幼いときから、体に似合わず頭だけが大きくて、兄たちからいつも「頭は大きいが中身はガーロ(空っぽ)」だといって笑われてきたものです。(ところが最近は、このブログを毎日覗いている兄は、大きな頭はどうもガーロではないようだ、といって反省の弁を告げています。ブログもおもわぬ効力があるようで・・・)

半日だけで、顔も両腕もまっかっけになりました。










付記 昨日のベランダから見る夕焼けを二枚。