延原時行歌集「命輝く」(第2205回)(台風一過・・・・)

                       

         延原時行歌集「命輝く」(第2205回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(219−9)初夏満々の歌、先達やの歌、全国良寛会総会りゅうとぴあにての歌、水無月の歌、空/縁起の歌、楽しみの歌、笑みこそやの歌、教会検分の歌、日々の歌の歌、思想連繋の歌。「復活のよろこびーー七重の調べ」添付あり(2015年6月11日〜20日

           〇(6月20日)思想連繋の歌四首

   我はぞや恩師カブのぞアドレスを縁起高調見るのみならず

   奇しくもや其処にあるものロイスのや協働体の思想是なり

   而してやこの思想こそハーツホーン愛でしや知らる連繋大河(備考:See Charles Hartshorne, Creative Synthesis & Philosophic Method, La Salle, IL: The Open Court Publishing Co., 1970, xvii-xviii: “And as a college sophomore I learned from Royce’s great essay on ‘Community’ (in The Problem of Christianity) the most essential metaphysical lesson of all, perhaps, a lesson that Buddhists had learned long before. This was to detect the element of illusion (or, if you prefer, confusion) in the idea of a plurality of selves mutually external to each other. (There are some mutually external experiences – this Royce failed to see clearly – but not selves or persons, unless very short-lived or remote from each other in space.) During the year following this reading of Royce, it became clear to me, and is so to this day, that any form, however subtle, of self-interest theory of motivation is the erroneous erection into a first principle of what is merely one chief expression of the truly first principle – the participation of experiences in other experiences, i.e., ‘sympathy’ or, in terms of its higher and happier forms, ‘love’. Whitehead’s taking ‘society’ as more basic than ‘substance’ was for me the technicallysharp version of what I had firmly believed for ten years. Such also, only less clear, was Peirce’s ‘Agapism’.”かくてぞや思想連繋大河の如し)

   友ありてロイス思想は自らも耽読せしとメール来信(備考:Professor Joseph Bracken, Xavier Universityなり。師我ぺーパー"Divine Ecozoics and Whithead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”愛で給ふ)

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今朝も上の歌に加えて「今日の歌」を収めます。

         〇(7月19日)絆の歌三首
          (昨日ロイヤル胎内パークホテルにて記す)

   妹背のぞ心の絆何あらむ岸辺立つ主や御友ほかなし

   この絆確かめつつや本作る「父さんやって」妻の声あり

   本作る命なりけり往きし妻書く我やありげに不一不二

             眼(まなこ)の歌五首
             (ロイヤル胎内パークホテルにて)

   若人のチャペルウェディング司式なす歓び何故にかくも大なる

   「愛なくば我や無にぞや等しきぞ」聖書(みふみ)読みつつふと眼見る   (備考:第一コリント13章2節、熟読参照)

   新郎も新婦も共に真顔にて我が眼にぞ頷きてあり

   父君や謝辞の最中に教へ子の口から我が事聴きし宣ふ   (備考:新婦の父君我が社会人教へ子に学びつつありと)

   越後のぞ人方共に佑けつつ御福音にぞ与るる嬉し


追記
新しい「今日の歌」が届きましたので追記いたします。


         〇(7月19日)人生完成の歌十首

   人生や完成すとや妻と我了解せしや妻笑み増しに

   我や問ふ完成とはぞ何なるか今生の果て御国奉献

   我妻や「皆やり呉れる」ものとぞや我が看病を歓び往きぬ

   この皆を皆まま皆ぞ御国まで妻や奉献なすや笑み増し

   これこそや妹背共々人生の完成なるや如何に嬉しき

   笑みこそや皆を皆とし喜びの宴に示す人生完成

   人は皆一生終へし喜びを御友と共に天父告ぐるや

   我妻や最終告知笑み増しに示したるぞやいと麗しく

   我が背はや皆やり呉れり御父よ妻が笑み増しかく語りけり

   この笑みの最終告知如何にぞや誇らしくもや歓び満てる









日曜日の朝、神戸は雨模様です。しっとりとした梅雨らしい日和です。


昨日は「台風一過」、日照りもあって、ぶらり散歩も快適でした。
ひろばでは、沢山飛び交うトンボを撮ろうと苦心しましたが、うまくいきませんでした。

一昨日は一日中豪雨で、外出もできませんでしたが、強風はそれほどでもなかったようで、わたしたちの花壇の花たちも、ほとんど傷められることもなく、たっぷりと雨水をいただいて、逆に元気いっぱいでした。


本日の写真は、風雨にも負けずに、ひっそりと咲く花たちを並べて置きます。

昨日は蝉の声が響き渡りましたが、蝉の抜け殻と馴染みの猫と共に・・・・・。

(きのうもおかげさまで、しごともはかどりました。いま、あめがあがったのか、蝉たちのこえが急ににぎわしくなってきました。)