延原時行歌集「命輝く」(第2203回)(母の法事に帰省してきました。故郷・関金温泉)

                     

         延原時行歌集「命輝く」(第2203回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(219−7)
初夏満々の歌、先達やの歌、全国良寛会総会りゅうとぴあにての歌、水無月の歌、空/縁起の歌、楽しみの歌、笑みこそやの歌、教会検分の歌、日々の歌の歌、思想連繋の歌。「復活のよろこびーー七重の調べ」添付あり(2015年6月11日〜20日

            〇(6月17日)友方にの歌一首

   友方にロスのチョコをば包みてや宛名書く我いそいそとこそ

            〇(6月18日)驚きぬの歌三首

   パウロ程驚きの人あらぬなり生前知らぬ復活主生く(備考:「我もや生くるに非ず、基督我が内にありて生くるなり。」こそ彼の原理なり。復活の基督在りてパウロの教会成れり)

   驚きぬクレアモントの会議のぞペーパー欲しや送れとの声   (備考:出版のためなり)

   驚きぬ絶後笑み増す妻ありて本作りあり「父さんやって」


         ♯                ♯


表記の通り二日間、ブログをお休みしました。そこで今朝も上の歌に加えて「今日の歌」までの最新未掲載分をここにUPさせていただきます。

          〇(7月15日)興味津々の歌十首

   変貌論第二巻へと如何なるや備へぞ為すや興味津々(備考:新著『「変貌論」の時代』只今京都・行路社にて刊行準備中なるも、『復活の省察ーー御友神学へ:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』新潟・考古堂 へと如何につながるやいと面白し)

   ジョコビッチ走り回るや大変ぞ思ふ内にやフェデラー屈す(備考:ウインブルドン・テニスチャンピオンシップ7月12日優勝戦面白し。軽快に且つ必死に走るフットワークの人、重き力の人を凌駕すや)

   人方や戦法制語るやも決着つねに和平如何ぞ(備考:戦永久に在るべきものに非ず。如何に和平に至るか而して和平から平和へと展び行くか考えざれば、戦意味なし。「戦」→「和平」→「平和」の一体性プロセス先の戦の指導者考へざりき。「平和憲法」実は「和平憲法」ぞ。沖縄の現実見れば、この事疑いなし。ここより如何にして「平和」に行くか、興味津々たり)

   第九条意味ありとせばこれやしも和平の文書なるにありけり
(備考:九条「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」に関する日本国憲法の条文の一つ、憲法前文とともに三大原則一つなる平和主義を規定せり。この条文のみにて、憲法第2章(章名「戦争の放棄」)を構成せり。「戦争の放棄」むろん「和平条項」なりーーrealisticallyに言はば)

   和平より平和に至る道筋や御友と共に往くにしかずや

   この意味で九条神命非ずして先の戦の和平の宝

   九条や平和憲法言ふよりも和平の宝記しおるなり

   九条を徹頭徹尾和平のぞ宝と見よや日ノ本の民

   和平とは言はず平和と呼びたるに観念論の響きありたり

   和平より平和に至る欣求せる生きの姿や人も国もや

          〇(7月16日)御友のぞの歌四首

   御友のぞ神学原理超越と内在繋ぐ麗しきかな
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   宇宙のぞ命原理や御友のぞ交互関係覇権に非ず   (備考:See Whitehead, PR, 351: “Reciprocal Relation.”)

   御友がぞ父に聴きてやなべてをぞ友よと告ぐる父や森々

   かくてこそ御父や無限恩寵の御方なりと我ら仰ぐや

            仕事果たせりの歌八首

   英書のや最終編集昨日ありクレアモントと仕事果たせり
(備考:Roland Faber and Santiago Slabodsky, eds., Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in a Multireligious Community (Lexington Books, forthcoming)に寄稿せる拙稿"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity”の最終稿推敲の上、メール添付せり)

   面白き時代なりけりこれがぞや戦なせしの日米なるか

   一仕事終へて散髪気持ち良し「変貌論」も転寝のうち   (備考:丸井理髪店の主人には何でも話すも、必ず転寝に至るや)

   新発田のぞ駅前鮨屋ながしまで寛ぎてこそ歌や添削

   このところ仕事進捗著しなにごとのぞやおはしますかや

   そのうちに「アンセルムスと仏教智」日英にてや上梓果たさむ
(備考:これテキサスキリスト教大学に在任中の1982年に書き始めしものなり。以来33年綴り来りし。我が畢生の作なり:Anselm’s Argument and Buddhist Wisdom.それ思うだに身引き締まるなり。全身の血管沸き立つ如し)

   目論見の在りてこそなりこの人生妻と我とで歩み来にけり

   なかなかに楽しきものよこの人生妻笑む日々や胸に抱きつ(備考:今も笑みおれば。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、楽しい楽しい)

           〇(7月17日)嬉しくもの歌五首

   嬉しくも水無月論考推敲しブラッケン師に送りにけるや(備考:クレアモント学会:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization, June 4-7, 2015, at Pomona College にての我がペーパー"Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan"の推敲、昨日の事なり)

   この論考神エコ生命学とぞや復活学を御友と窮む

   而してや御友神学良寛の焚くほどはとの歌にも見るや
(備考:焚くほどは風がもて来る落ち葉かな。「焚くほどは」は良寛の生活にして内在動機なり。「風がもて来る」は超越動機なり。両者合して御友神学なり)

   誠にぞ宇宙実在冒険のありてこそなり妻や飛翔す(備考:ホ氏も書きたり:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention” [AI, 295].「妻飛翔す」は、”its due share of attention”に該当す)

   これぞこそホ氏の名づくや現象の統一態ぞ復活二重(備考:即ち御子と妻の復活二重なり:”Its Unity of Appearance” [AI, 295])
 

            つくづくとの歌一首

   つくづくと妻が古稀フォト眺むるにこの笑み誠奥や深しや(備考:ノーちゃん、あんた、この笑み絶後笑みましと同じやんか。えへへ、父さん、嬉し)

            この朝もの歌二首

   この朝も御友神学輝きや心に萌し嬉しや嬉し

   原事実在りと恩師の宣ふもイエスや祈る華やがせ父(備考:「華やがせ父」とは、「人々に我が栄光の輝きを認識させ給へ父」とのことなり。超越動機「原事実」のみに非ずして、内在動機「人々の認識」の前にて華やぐことを容れるところに、御友神学の特徴あるなり。ヨハネ17・5、熟読参照:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」恩師滝沢先生の場合、内在動機「認識」は各人に期待せらるるなり。イエスの場合、「華やがせ父」と祈りの事項なり。ここに御友神学躍如なり)

             和平の歌五首

   自民党戦法制可決すも和平平和を織り込まざるや

   戦とぞ言ふや同時に和平とぞ平和の方途何故考へぬ

   それこそや先の戦の問題よ赤紙一枚民や戦地に

   九条や平和憲法証しかや和平の智慧のぎりぎりならずや

   新しき世はユーラシアとぞ太平洋二大圏域ありてぞ和平






台風11号が通過して神戸も今朝は大雨暴風警報が出ています。一昨日15日には、兄夫妻のいる鳥取・関金温泉のある故郷で母の法事のために帰省し、昨日16日の法事を終えて、その足で神戸に戻ってきました。

上の写真は往路15日の「スーパーはくと」先頭列車の「特別席」?の風景です。グリーン車も指定席もありますが「自由席」の一号車に乗れば、運転席と前方パノラマの絶景が満喫できるのです。無数のトンネルをくぐって山陰・鳥取日本海もちょこっと眺めて終点「倉吉」(くらよし)まで。

到着すると兄夫妻の出迎えがあり30分ほどで故郷の家へ到着。少しお休みして「関金(せきがね)温泉」(グリーンスコーレ)へ・・・。この温泉は、近くの「三朝(みささ)温泉」にも勝るとも劣らない泉質でしられています。

このときは贅沢なことに浴室はボク一人、珍しい写真もパチリ。いつもはここから伯耆大山蒜山も眺めることができるのですが、雲が立ち込めていて見ることができません。






温泉への往きは兄の自動車で送って貰いましたが、風呂上りはぶらりぶらり、稲が豊かに育っている広い田んぼや大川など眺めながら・・・兄夫妻の家に戻りゆっくりと、そして広い御庭と裏の畑をぶらり・・・。








今回の帰省のお目当てのひとつは、幼友達に逢うことでした。来年はまた友人のお世話で喜寿を祝う同級会のある話を聴いたり、病気や事故に逢って養生中の友にも逢うこともできて、ありがたいことでした。

その足で近くの「大鳥居神社」の境内にも・・・幼いころ時間を忘れて友達とここで遊びほおけた思い出いっぱいの場所です。ぼくの産まれた「皇紀二千六百年」(昭和15年)に青年団長だった父親の名の刻まれた石柱も残っていたりして・・・。





その帰りには、白壁の蔵が目に留まりました。

我が家には御家が二軒あって、戦時下父の死亡の後に、そのうちの一軒を現在の安梅医院さん売却されましたが、いまもその白壁の蔵がそのまま残されているのです。幼いころの思い出が詰まっている白壁の蔵なので、それが残っていることに、ビックリいたしました!



15日の夜は兄夫妻の心づくしの御馳走をたっぷりといただき、沖縄・久米島泡盛までものおもてなし・・・・。

翌16日には禅寺の和尚さんがお越しになり読経、お墓に出向い墓参の後、禅寺での法要。幼いころ、当時の和尚さんに可愛がってもらい、甘酒をなんども飲ませて貰ったことは忘れられませんが、この懐かしい和尚さんの御顔写真が飾られていましたので、それもパチリ・・。

予定では、近くの温泉宿で兄夫妻と一泊のはずでしたが、台風のために急遽予定を変更して、帰路もスーパーはくとに乗って、神戸に戻ってきました。最後に「倉吉」駅にあった「お倉」と「お吉」(羽衣伝説にある)の石造も収めます。

往路は景色を満喫し、帰路は宿題の草稿にじっくりと目を通して・・。いい旅をさせて貰いました。