延原時行歌集「命輝く」(第2201回)(上田耕蔵さんのお招きで京都の老舗料亭「道楽」へ)

                      

         延原時行歌集「命輝く」(第2201回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(219−5)
初夏満々の歌、先達やの歌、全国良寛会総会りゅうとぴあにての歌、水無月の歌、空/縁起の歌、楽しみの歌、笑みこそやの歌、教会検分の歌、日々の歌の歌、思想連繋の歌。「復活のよろこびーー七重の調べ」添付あり(2015年6月11日〜20日

           〇(6月15日)友方にの歌七首

   友方に一書贈るの幸なるは月光の下妻笑むの幸

   決してや痛し果敢無し非ずして荘厳御国復活の快

   本作る父さんやって言ひし時妻表せしぞや御国の願ひ(備考:昨年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクタ―の質問「何したい」に妻応へてや「本作る。父さんやって」と言ひし、我遺言と受取り、先ず『復活の省察 [前巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂書店,2014年を作り出だしたり。今にして思へば、妻の口を通して聴きたる御国の願ひに応へたるなり。なあ、ノーちゃん、嬉しいこっちゃ。有り難さんです、父さん)

   只今は第二巻にぞ励みおり箴言修行快癒秘儀あり

   いと近き御神称へ箴言を生みだしにけりセンターの日々(備考:リウマチセンタ―:2011年2月4日〜6月13日の実録只今省察中なり)

   闘病や箴言作り修行成すノーちゃん自信満々の日々

   これがぞや脳挫傷のぞ患者かやいや哲学の道ぞゆく言ふ(備考:箴言第二条・三条:I am not a philosopher; but I know the philosophical world. This is the core of Christianity.)

         ♯                 ♯


今朝も上の歌に加えて「今日の歌」を収まます。

 〇(7月13日)御旨ままにぞの歌十一首

   歌なるは推敲こそぞ命なる深く沈みて我甦る

   昨晩や御友四稿推敲す基教骨格闡明新た

   何故や復活本ぞ上昇すそんな時代に我ら住めるや   (備考:アマゾン・キリスト教神学3,277点中85位とか)

   我が新著『「変貌論」の時代』もや動き出せるや天上大風

   我が思ひ成るに非ずや御旨のぞままにこそなり事の成るやは   (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん、嬉しい嬉しい)

   御復活人方棄つるありてもや御自らにこと運びます
   (備考:御復活御友の事なり)

   我妻や御復活のぞ内住むの人なりければ御旨随(まにま)に

   痛ましや果敢無しやとぞ嘆く前御復活とぞ笑み往くやこそ

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
   (備考:復唱)

   人生の深き低みに底ありて御復活とぞ笑み往くがまま

   前と言ひ底と詠ふや御復活如何に今生飛翔いのちぞ










版画家の岩田健三郎さんから「悲しいときは悲しいというてみる 嬉しいことはだまっとく」ということばを添えたお葉書をもらったことがありますが、私の方はどうも、嬉しいことは黙っておれないようです。

昨日の日曜日の午後は、一生のうち二度とは起こることのないような経験をしました。標記のように「上田耕蔵さんのお招きで京都の老舗料亭「道楽」で御馳走になってしまったのです。

このブログでUPすることを快諾していただきましたので、御礼の思いを込めて、ここに記録させて頂きます。


真夏の京都、山鉾巡業の「曳き初め」の日で、特別に賑わっていましたが、この「道楽」は、京都東山正面通りにある、なんでも寛永年間創業の400年近い歴史を刻んだ老舗料亭でした。

「歴史的意匠建造物」にも認定されていて、玄関から二階のお部屋に案内されました。そのたたずまいは創業当時そのままだそうで、その場所にいるだけで、幸せな気分にさせられました。

当主の飯田知友さんは創業から14代目だそうで、彼が主催する「料理教室」に上田さんの奥様が神戸から毎月通っておられるらしく、それが御縁になっているそうで、いまや上田さんと飯田さんとは馴染みの御友人だそうです。



そもそもこの祝宴を設けて頂くに至った経緯は、上田さんの御挨拶の中で詳しくで延べられ、不思議な出来事を承けてのものでした。

このブログでも新しい特養「駒どりの郷」の起工式での上田さんの姿はUPしていますは、この大きなプロジェクトの完成に向けて、上田理事長を中心に一同心を一つにする願いをこめて頑張ろうとする決意の場としてご招待をうけたのでした。

宴の初めには、当主よりこれまで見たことのないような手書きの御品書きの詳しい説明があって、もうそれだけで満腹気分になりました。



ここで、御馳走のいくつかと上田さんのお写真と並べます。
中ほどに登場した鮎と天下の銘酒「菊姫」のところは特別のもので、これは上田さんの特別のお気に入り、流石これは素晴らしいものでした。

なんとこの宴は、予定をはるかの越えて、4時間にも及びました。
上田さんがまだ神戸大学医学生だった時、それは1960年代の後半ですが、当時まだ劣悪な環境の中にあった私たちのまちに「学生セツルメント活動」のメンバーとして活躍していただきました。

以来ずっと初心を貫いて、神戸協同病院・番町診療所で働いてこられました。(この宴席ではじめてお聴きしましたが、神戸・垂水で「きらら助産院」を開設してご活躍の奥様は、このセツルメント活動で出会われたのだそうです!! まだ奥様のお顔を一度も拝しておりませんが・・)

特に私たちには、阪神淡路大震災の折の神戸協同病院の皆さんのあの献身的なお働きには助けられて、今日があります。(難病治療で長期入院してお世話になった病院です。)

あの大震災の時、上田さんの処女作品『医療から見た半大震災ーまちづくりの始まり』の出版のお手伝いをしたことがあります。

上田さんの「震災関連死」という事態の克服にむけた取り組みは広く注目され、その後の歩みに大きな影響を与えてきました。
(上田さんはその後『東日本大震災、医療と介護に何が起こったのかー震災関連死を減らすために』(2012年)、『地域福祉と住まい・まちづくり:ケア付き住宅とコミュニティケア』(2015)など)

今回の宴席には20人ほどの大勢がご招待をいただきました、宴を終えてほろ酔い気分で、京のまちをぶらりぶらり「鴨川」の橋を渡り京都駅まで。

往きは車中、読書にふけりましたが、帰路は大満足ですっかり眠りこけて、目が覚めたら西明石まで乗り越してしまいました。それにしても夢のような日曜日の午後でした。ありがとうございました。