延原時行歌集「命輝く」(第2200回)(賀川記念館・種谷俊一牧師のお話)

                     

        延原時行歌集「命輝く」(第2200回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(219−4)初夏満々の歌、先達やの歌、全国良寛会総会りゅうとぴあにての歌、水無月の歌、空/縁起の歌、楽しみの歌、笑みこそやの歌、教会検分の歌、日々の歌の歌、思想連繋の歌。「復活のよろこびーー七重の調べ」添付あり(2015年6月11日〜20日

          〇(6月14日)水無月の歌十首

   水無月や風の便りを新著のぞ「『変貌論』の時代」に入れぬ

   恩師カブエコロジーのぞ極め付縁起と説くやアドレスや佳し

   我やそもならば空即縁起全体観エコロジーのぞ元にと論ず

   かくてこそ「エコロジーをぞ真剣に考ふ」一文物せしや我(備考:これ母校クレアモントにての大学会:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization (Pomona College, June 4-7, 2015)にての我がペーパー:"Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”見事口頭演説と化せし我がわざ、電子メールにて告ぐるものなり。いと嬉し)

   空にぞや至誠なる神ありてこそ「至誠なれや」の声出ずるべし

   この手順踏まずしてなぜエコロジーworld Loyaltyをぞ貫徹あるや

   命(Zoe)のぞ呼び声やこそ御神の空(Eco)至誠にぞ発現逆理

   この逆理Divine Ecozoicsと我や呼ぶこれなくしてや「世の至誠」なし

   真実やいと近き神見んとてや箴言修行せし妻や笑む

   エコゾイクス妻の笑み増し孰れもや神の深みの顕れし如

         ♯                ♯


本日は延原先生の歌集をこのブログでUPさせて頂いて「第2200回」です。日ごと日ごとに、延原さんの弛むことない省察の日録の歌を学び続けて、こうして新しい「朝のことば」をご一緒できることは、何よりも嬉しいことです。

今朝も上の歌に加えて、最新の歌を収めさせていただきます。

           〇(7月11日)朝毎にの歌十首

   朝毎に野菜食すや気持ち良しトマトレタスに胡瓜山盛り

   原信のサンドイッチにコッペパン珈琲バナナどっしり満喫

   今朝の歌「風の便り」に打ち込みし眺めつ妻の笑み愛でつ笑む

   これ程の健康法もなかりけり素早く昼の炊飯器オン

   つらつらと英文草稿推敲の的を絞りて反芻楽し(備考:6月[4−7日]の母校クレアモント神学院での大国際学会:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilizationにて発表せし、我が会心作"Divine Ecozoics and Whitehead's Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan"にパウロ良寛「御姿論」研磨加味せん)

   七月の終りまでにと友言ひし是や出ずればエコ神学の華(備考:友人Joseph BrackenよりOpen Theology誌のために与へられし締切、7月31日なり。是いずれば、Lexington Booksより10月上梓の共著Roland Faber & Santiago Slabodsky, Conviviality: Prospects and Challenges for Peace in a Multireligious Community所収の拙論"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry and Sallie McFague"の重要なる続編の、欧米世界への御目見へなり。一歩一歩なり)

   中巻本副題夙に決めたるや「御友神学へ」誠嬉しや(備考:さらに:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神友にます見れば微笑ぞ)

   説教に講演実録交へてや御友神学本邦初演

   而してや我が日々の歌の旅親鸞学び御友讃歌ぞ
(備考:親鸞浄土真宗拡がりは「和讃」によるなり。それに学びて「御友讃歌」ぞ。念仏に対しては基督称名「イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!」なり。我が信念これなり:仏教(ことに浄土真宗)との対話こそ、新しき形の伝道なり。而して「御友讃歌」と「基督称名」ほどの大切なる料=用に充てるもの;物事を判断する根拠、理由=なし。因みに、親鸞方便法身を法性法身の「料」と言ひし。思うに、これ「垂直の信」に発したる伝道なり。明治以来の近代化渦中の「水平の信」の社会運動的伝道に非ず。とは言へ、「水平の信」否定せず。父に聴きたることなべて我らに告ぐる「御友の信」なれば、超越即内在のSpannungによる故なり。要するに、「御友讃歌」も「基督称名」も用意せず、日ノ本伝道に当たり来りし、近代キリスト教、その伝道成功に至らざりしは、当然至極なり。日本人の心の奥底に「垂直的に下りてゆく」契機あらざりし故なり。しからば、それ何ぞ? 御友の復活とそれ映す姿、笑みと歌なり)

   我妻の絶後笑み増し窮むもの我や悟れり御姿映す

         御友:超越即内在メッセージの歌二首

   御姿ぞ御友奧所にひらきける無限の愛ぞ父子の間や是
(備考:ヨハネ17・24、熟読参照。そこに御友の超越メッセージあり)

   そこにまで招きたるこそ御友愛悩める者やなべて来たれや(備考:マタイ11・18:「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」そこに御友の内在メッセージあり)

            〇(7月12日)基督称名の歌十首

   日ノ本の伝道誠歌こそや歌の心や御友称名

   父よりぞ聴きし誠を友よとぞ呼びて伝ふや御友尊

   基督ぞ誠御友におはすなりイエスと成りて天父伝ふや

   簡潔に而して垂直心底沈む言の葉基督称名

   イエスースクリストスああイマヌエルアーメンとぞや称ふ真心

   イエスース称へて御友謝してこそイマヌエルまで招かるるなり

   称名の喜び実にも尽きざるや地より天まで御友いませば

   世に誠御友なくばや誰がぞや地より天まで我ら運ぶや

   イエスース只中にぞや御友ます然るが故にイマヌエルアーメン

   生き死にの最中にありて唱ふこそ有難きかな基督称名








昨日は「賀川豊彦関西学院の関係について」の調べものと米寿を迎えられた先輩の講演を聴くために午前と午後と賀川記念館で過ごしました。

上の写真は、「賀川献身百年」(1988年)の記念に建てられたモニュメント「死線を越えて我は行く」と賀川の住みはじめた「葺合新川」の一新されたまちを背景に撮りました。

そして賀川が最初の「救霊団」をはじまた場所から、現在の賀川記念館を撮りました。このアングルははじめてのものですが、なかなかいいですね。


先輩の講演というのは、先日もブログで取り上げました『救い主・イエスの顔をした神さま』(南船北馬舎、2015年)の著者・種谷俊一牧師のお話でした。

若き日、延原先生御夫妻などと「牧師労働ゼミナール」を二年にわたって開催した場所が尼崎教会で、種谷牧師御夫妻には大変お世話になりました。種谷先生はカール・バルト滝沢克己に関心を持ち続けてこられたことや、『国権と良心』(新教出版社)に記録されているような歩みをしてこられた先輩牧師として、尊敬している御方です。厳しい戦時下を経験されたご自身の体験をたっぷりお聴きして深い感銘をうけました。

御講演の写真はうまく撮れていませんが、御顔写真を撮らせていただきましたので、記念にそれを記念館の写真と共にここに収めさせて頂きます。