延原時行歌集「命輝く」(第2192回)(今年も心を込めて七夕飾りを・・・)

                       

         延原時行歌集「命輝く」(第2192回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(218−3)復活やの歌、宇宙のぞの歌、祈り道の歌、過日はやの歌、このところの歌、英文二新著の歌、今朝がたやの歌、第一義・第二義の歌、御友生き方の歌、嬉しきの歌、母校に翔ぶ日の歌、この道やの歌、於Claremontの歌、友方にの歌、カブ講演に寄せての歌、心にぞ暖かき雪降りしきるの歌、ホ氏や言ふの歌、会に出でての歌、西田言ふの歌、間主体intersubjectiveの歌、Room128にて早朝の歌 朝8時Mudd & Blaisdell Hall (宿舎)前にてSupershuttle待ちつつの歌、ANA機上にて思ひたるの歌(6月9日帰国)、人生はの歌。(2015年6月1日〜10日)

           〇(6月4日)嬉しきの歌四首

   熱誠の友ブログにて我が旅を祝し給ふや如何に嬉しき

   御友あり妻あり熱誠友ありて我が講演に力漲る

   東西の間に在りて太平洋我架橋の書携え往くや

   三十年綴り来りし我が思索東西の間に捧げ奉らむ

       母校Claremont School of Theologyに翔ぶの歌八首

   かかる日の来るやこそとて我知らず母校に翔ぶや手に著書二冊(備考:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization, Pomona College, 4-7, June 2015を機にぞ)

   ケースにや「復活省察」幾多あり師友に贈る妻の形見ぞ

   思へばや理想的なる運びなり父さんは皆やり呉れるとぞ

   過日見し夢の中にて我と妻back to backにて在り御友介して
   (備考:これ誠不思議なる在り方なるや)

   歴々と妻存在のありけるや誠御友の御蔭なるなり

   我晩年猛烈なるの執筆や励む時とぞ成りにけりかも

   我や今社会的なる務めもや果たせしがゆえ東西思索   (備考:ANA機上にて記す)

   東西の間を思索的(まと)と成すintersubjectiveとは誠不可思議

   東西の間を思索的とせぬ近代基教興味なきなり

   日ノ本に西欧基教植へつける果敢無きわざや凡そ根ぞなし(備考:大概の基督教主義大学の狙い「東西の間思索的とせぬ」凡そ根ぞなし。東に尊敬されず、西に尊重されず) 

              この道やの歌五首

   この道や実存哲学にや非ず絶対矛盾の自己同一ぞ   (備考:実存滅し、栄光に乗る、これ絶対矛盾の自己同一ぞ)

   我妻や箴言七条詠ひたるその心はや般若即非
(備考:これ傑作詩歌なり。箴言第七条:I am living in the secular world; and yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan, because Japanese society is very much influenced by the Buddhiist wisdom: samsara is nirvana.)

   何よりもGod blessed the good dayほど素晴らしき経験や無し誠在るなし(備考:箴言第一条:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.)

   光のぞ溢るるや佳し病苦中にも拘らず一切包む
(備考:その光、復活の主を仰ぎし使徒パウロの如く、信子仰ぎて、第一条発句せり:March 9, 2011)

   それをしも表せるもの古稀の笑み何が何でも喜色満面   (備考:June 17, 2012)
 

             於Claremontの歌六

   山浦氏夫妻と共にウオルターでランチ摂る我妻の事溢れ語りぬ(備考:ウオルター、元はアフガン・レストラン。クレアモント・ヴィレッジ所在の好みのレストランなり。ゆくりなく上智哲学科の研究者山浦氏ご夫妻と語りしなり)

   これもぞや復活真理妹背共明らめ行くや使命ならばや

   世界のや至誠心こそ最重要言はるる今や復活なくば(備考:Seizing an Alternative Conferenceにて人方[John Cobb/Mary Elizabeth Moore]”world Loyalty"語るも、復活その前提になくば、単なる「この世のエコロジー」を出でず)

   復活や父子ひらけぞや招くゆえひらけにひらけ往く事ぞかし

   西田言ふ絶対無のぞ場所なくば如何で世界の場ぞ甦る   (備考:所謂エコロジー、絶対無の場所淵源せざれば、誠在るなし)

   世界場が温暖化もや含めてや適性なるは究極場上 


            ♯                 ♯


今朝も上の「6月4日」の歌に加えて、「昨日の歌」の未掲載分と産まれたばかりの「今日の歌」の歌を収めます。

           〇(7月3日)原事実刷新楽しの歌七首

   今日の日も雪深々と胸に降る原事実のぞ刷新楽し

   原事実自動と見れば刻々と刷新すすみ御友神学(備考:元々原事実自動の思想、恩師「原決定の原生起」のはたらきの二重性の留意に示されおりしは重要なり:「この絶対無的主体の「はたらき」が、原決定の原生起そのものを意味するはたらきとその原決定の世界内部へ向かうはたらきと、いわば二段に成っていることを見逃してはならない。」(『あなたはどこにいるのかーー実人生の基盤と宗教』東京・三一書房)、102頁、参照。ただし、滝沢には「原決定の原生起」を、私見の如く、不可分がそれである空性の、①空自らを空ずる「はたらき」と、②この「はたらき」への存在論的至誠のはたらき、――の二重性と見る見解はなきなり。それは、恩師が「はたらき」を常に「神のはたらき」と見る故なり。ここに不可避的には「たらきを」神の属性とみる一元的見方が胚胎するなり。かくして、恩師におきては「神の不可逆的はたらき」の主張が突如最後に神哲学の前面を覆うものとして出でくるも、それでは神人不可分の先行性を蔑にするものなり。神人の間の不可分→不可同→不可逆の順序は、遵守すべきなり。而して「不可分」「不可同」「不可逆」の含意を明晰判明にすべきなり――最初の「不可分」を神の属性とせず、空性と見ることに依りて。これ最も肝要なり。最後に、恩師における如く、「神の不可逆的なはたらき」で一切を纏めてしまふならば、哲学的神学は消へ、バルト張りの神絶対視の神学とはなるなり。危なし危なし)

   恩師のぞ原事実のぞ不動(注。世界外部)しも批判せし事学恩ありて

   日ノ本の哲学的の神学の基礎たるや何滝沢学ぞ

   これ在りて我や為すなり批判的吟味一筋御友発見

   御友のぞ全かれとの御声受け我妻やげに絶後笑み増す

   我妻や絶後笑み増し不思議やもこれありてこそ復活開自   (備考:ノーちゃん、凄いこっちゃ。有難うね、父さん)


           〇(7月4日)ロゴス論奥底の歌三首

   ロゴス神共なる(pros ton theon)やこそ絶対空その両極やロゴス神なり   (備考:ヨハネ福音書1章1節第二項、熟読参照)

   ロゴス論その奥底や妙にもや仏教空にて言はんとすなり

   従ひて空性容るる断じてや基教福音反するあらず

              古稀フォトの歌二首

   我妻の古稀フォトを見て今日もまたノーちゃん凄いあははははぞや

   病苦のやかけらも見へぬ汝が笑みや既に笑み増し知りたるの顔

              復活歓喜の歌十首

   起きがけに今日も実録推敲と思うだけでも歓喜萌すよ

   復活のよころこび世界生くる我本作る日々楽しや楽し

   本作る父さんやってと言ひし妻我が一筆に注視歴々

   復活の省察本や追悼書あらずしてこそ歓喜本なり

   妹背共今の世にぞや召されてや復活よろこび告げよと御友

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ我が省察に解ぞ与ふ

   復活や基教聖書の一挿話非ずしてこそ宇宙真理ぞ   (備考:これぞ解なり)

   この解やホ氏ぞ天地の交互劇言ふものにして滅して不滅(備考:”By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351]その意味たるや、”We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]なり。かくて宇宙の可滅界と不滅界、御友在りてぞ「一」成るべしぞ。これ宇宙の真相なり。シャルダンも、「宇宙に中心あり。基督その中心なり。」と言へり:The Future of Man, p. 324.)

   滅しての「て」こそ何かや御友なり不滅の岸辺厳然たりや
(備考:ヨハネ福音書21章4節の形而上学的真意これなり。物語神学の叙述を超えて観らるべし:「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちは、それがイエスだとは知らなかった。」)

   この真理シャルダン見事宇宙のぞ真中と述ぶや死の三日前
(備考:"Three days before his death Pierre Teilhard de Chardin wrote the following, which constitues his supreme testimony as a thinker and a priest. LAST PAGE OF THE JOURNAL of PIERRE TEILHARD DE CHARDIN: Maundy Thursday. What I believe.
1 St. Paul—the three verses: En pasi panta Theos. Christogenesis.
2 Cosmos=Cosmogenesis—Biogenesis—Noogenesis
3 The Universi is centered—Evolutively { Above and Ahead
Christ is its Center {The Christian Phenomenon / Noogenesis = Christogenesis (= Paul)
The three verses are I Corinthians 15. 26, 27 and 28:
The last enemy that shall be destroyed is death.
For he hath put all things under his feet. But when he saith, all things are put under him, it is manifest that he is expected, which did put all things under him,
And when all things shall be subdued unto him, then shall the Son also himself be subject unto him that put all things under him, that God may be all in all.
7 April, 1955” in: Future of Man, p. 324.)







昨日は「賀川豊彦明治学院の関係について」に続いていただいた「賀川豊彦関西学院の関係について」の宿題の下書きに一区切りをつけて、いつものようにぶらり散歩に出かけました。

お隣の小学校ーー長い歴史を刻んでいる御蔵小学校――の子どもたちが、それぞれの願いを記した短冊をいっぱいつるしたたくさんの七夕飾りが、いつもの公園いっぱいに据えられました。

本日の写真は、遊びに熱中する子供たちと共に、講演の七夕飾りを数枚収めて置きます。あいにくの梅雨の季節、すぐに雨に濡れてしまいます。