延原時行歌集「命輝く」(第2176回)(昨日みつけたヤマモモなど)

                      

        延原時行歌集「命輝く」(第2176回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(216−3)
為すは人主体御神の歌、摂理謝すの歌、今日の日やの歌、朝餉の歌、妻幸せの歌、微笑の歌、主の祈り二重の歌、愛の歌、不実教と御友飛翔の歌、「友よ」嬉しやの歌、今朝恵まれし御友神学の歌、称名の歌、道伝ふ歌の歌、宇宙開眼の歌、神学びの歌、任す日や佳しの歌、御自らの恵み歌、御神日々の歌、変貌論の時代歌、主の促しやの歌、本作る父さんやっての歌、悟りたりの歌(2015年5月11日〜20日)

    5月14日
          今朝恵まれし御友神学の歌十六首

   今朝もまた暖かき雪降るや幸妻と共往く天地なりけり

   御友あり「友よ」と呼びて父子ひらけ知らしめ給ふ御恵みに酔ふ

   何があり何がなくとも我妻の笑みほど嬉し言ふべきぞなし

   御友告ぐ天父至誠にいます如汝も至誠なれやとぞ実に

   天父見て我らに告ぐる御友あり神学びとは御友学びよ

   御友のぞ御声ありてや我や知る「至誠」「なれや」は父子一体に(備考:「至誠なり」と御友御父の事見給ふと同時に、我らに「友よ、汝もまた父の如く至誠なれや」と招喚さるるなり。父=至誠なる御方。なれや=御友の招喚の御業。神の側にて、「至誠なる存在様態」と「至誠なれやと、父の様態を見て、我ら人に「友よ」と語りかけ、招喚する様態」との、父子一体的分業ありとは、我が新しき知見なり。これなしに「神一般」を論ずること、神学びとして徹底せず。御友に神学びなすことによってのみ、右の知見に我達し得たり。嬉しや嬉し。この知見ありて、後段の「復活形而上学」に至る:天地の「交互関係」が、God as the great companion—the fellow-sufferer (who understands)に依りて成ること、その内容なり。思ふに、the fellow-suffererは地に、(who understands)は包括的に天に、向ひ給ふ「御友」(God as the great companion)の御姿の、ホ氏による叙述なり。因みに、(who understands)は、包括的に「天」にまで至るものものにして、「地」のみならば、真正の意味では「理解」とは言へず)

   御父や父子ひらけにぞ至誠なる見てぞ「なれや」と招くや御友

   我と共父子ひらけまでひらけ往く道こそあるや至誠に至誠

   これこそや甦り道至誠道ひらけにひらけ至誠に応ふ

   神至誠なる故汝も言ひ給ふ御友神学我驚嘆す
(備考:我が「至誠心の神学」によれば、①神は空(注。父子ひらけ)に至誠なり;②空は空自らを空ずるなり(注。大乗仏教の窮極真理にして、父子ひらけの理なり=ヨハネ1・1・第二項「ロゴスは神と共(pros ton theon)なりき」);③神は宇宙において我ら被造者に至誠心を喚起することのでき、現になす唯一の御方なり、ーーと言ふ三原理あり。今、第四原理発見せり。即ち、御友原理これなり。我この神秘に驚嘆す)

   誠にや父から聴きしなべてぞや「友よ」と告ぐる御友尊

   至誠心「神有つ故に汝もや」言ふだけならば愛なき命法

   父の如汝もまたぞや言ひ給うふ共往く恵み有難きこそ

   これこそや御父の事と地の事を互ひに結ぶ御友なりけり(備考:これホ氏の観し復活形而上学のヴィジョンなり:"The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351]

   我妻や絶後笑み増し不思議やも岸辺の主とぞひらけにひらく

   天にぞや父子ひらけあり御友はや「友」と底より共飛翔なす


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今朝もうえの「5がつ14日」の歌に加えて、延原さんのメルマガ「風の便り」の最新号より、次の「6月14日」と「6月15日」の歌を収めさせていただきます。


          〇(6月14日)水無月の歌十首

   水無月や風の便りを新著のぞ「『変貌論』の時代」に入れぬ

   恩師カブエコロジーのぞ極め付縁起と説くやアドレスや佳し

   我やそもならば空即縁起全体観エコロジーのぞ元にと論ず

   かくてこそ「エコロジーをぞ真剣に考ふ」一文物せしや我(備考:これ母校クレアモントにての大学会:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization (Pomona College, June 4-7, 2015)にての我がペーパー:"Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”見事口頭演説と化せし我がわざ、電子メールにて告ぐるものなり。いと嬉し)

   空にぞや至誠なる神ありてこそ「至誠なれや」の声出ずるべし

   この手順踏まずしてなぜエコロジーworld Loyaltyをぞ貫徹あるや

   命(Zoe)のぞ呼び声やこそ御神の空(Eco)至誠にぞ発現逆理

   この逆理Divine Ecozoicsと我や呼ぶこれなくしてや「世の至誠」なし

   真実やいと近き神見んとてや箴言修行せし妻や笑む

   エコゾイクス妻の笑み増し孰れもや神の深みの顕れし如

           〇(6月15日)友方にの歌七首

   友方に一書贈るの幸なるは月光の下妻笑むの幸

   決してや痛し果敢無し非ずして荘厳御国復活の快

   本作る父さんやって言ひし時妻表せしぞや御国の願ひ(備考:昨年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクタ―の質問「何したい」に妻応へてや「本作る。父さんやって」と言ひし、我遺言と受取り、先ず『復活の省察 [前巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂書店,2014年を作り出だしたり。今にして思へば、妻の口を通して聴きたる御国の願ひに応へたるなり。なあ、ノーちゃん、嬉しいこっちゃ。有り難さんです、父さん)

   只今は第二巻にぞ励みおり箴言修行快癒秘儀あり

   いと近き御神称へ箴言を生みだしにけりセンターの日々(備考:リウマチセンタ―:2011年2月4日〜6月13日の実録只今省察中なり)

   闘病や箴言作り修行成すノーちゃん自信満々の日々

   これがぞや脳挫傷のぞ患者かやいや哲学の道ぞゆく言ふ
(備考:箴言第二条・三条:I am not a philosopher; but I know the philosophica world. This is the core of Christianity.)







上の写真は、いまどこででも目に留まるリューキューアサガオです。昨日ぶらり散歩で、ご近所の小さな公園いっぱいに咲いていました。

この公園の片隅に、大きな梅の実がひとつ落ちていました。頭を挙げてよくみると、公園のお隣に梅の樹があり、なんとなんと見事な梅の実がなっていて、どなたも気づかない場所ーー住宅の集会所の裏側でいつも施錠されていますーーで、この梅の実は毎年、熟して地に落ちるままになっているようです。それにしても、見事な梅の実です。ちょこっと写真に一枚残しておきました。



そしてこの季節は、私たちの住宅にある数本のヤマモモの樹のあることを想い起して、樹の下にいけば、いまここも見事な実を実らせていました。いつも誰もーー小鳥たち以外は――ヤマモモの実を獲ろうとはしません。大きくなったヤマモモの樹をゆすらせて実を落とし、拾ってきては「ヤマモモ酒」にして楽しんでいます。

昨夕は、地元の親しい友人たちと近くの飯屋に集まってーーいつの頃からか「三水会」と名付け、第三水曜日の夜、ふた月ごとにーー食事と美酒と語らいを楽しむ夜をすごしました。こういうのもなかなかよろしいものですね。

本日は、いよいよ締め切りの近づいた「大事典」の原稿を書き上げて、メール便で送り届けようと思っています。こんな仕事は初体験でしたが、よい勉強をさせていただきました。