延原時行歌集「命輝く」(第2175回)(新ショーガを梅酢につけて紅ショーガを・・)

                    

       延原時行歌集「命輝く」(第2175回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(216−2)
為すは人主体御神の歌、摂理謝すの歌、今日の日やの歌、朝餉の歌、妻幸せの歌、微笑の歌、主の祈り二重の歌、愛の歌、不実教と御友飛翔の歌、「友よ」嬉しやの歌、今朝恵まれし御友神学の歌、称名の歌、道伝ふ歌の歌、宇宙開眼の歌、神学びの歌、任す日や佳しの歌、御自らの恵み歌、御神日々の歌、変貌論の時代歌、主の促しやの歌、本作る父さんやっての歌、悟りたりの歌(2015年5月11日〜20日)

    5月12日
              朝餉の歌二首

   朝餉はや山盛り野菜有難しトマト胡瓜にレタス苺よ

   ツナ&卵サンドに珈琲ぞトーストならば柚子ジャムが佳し

              妻幸せの歌六

   父さんの肉太の手で包んでなそれが一番幸せなんよ
(備考:新潟県立リウマチセンター=2011年2月4日―6月13日=における妻の感想なり)

   我妻や絶後笑み増し往けばこそ其処に声すや嬉しや嬉し

   甦り人過ぎ去らず天父許御友共にて現在す実に

   かにかくに人は言へどもこれぞこそ我が圧倒的の思ひなりけり

   復活や喜びなるや実にも実に父子ひらけにぞ包まれけるや

   人や知れ思ひ出天父奉献す妻が過去こそ現在なるや

    5月13日
              微笑の歌二首

   人如何に悲惨なるとも底からぞ神友にます見れば微笑ぞ

   however
     miserable you may be,
     if you see
     God-as-Friend from the bottom,
     you smile

             主の祈り二重の歌二首

   復活や祈りありてのリアリティ主の祈りあり父引き挙ぐる
   (備考:ヨハネ17・5=マルコ15・34、熟読参照)

   かくてぞや御名キュリオスぞイエス得し御名崇めてや御友と生くる
   (備考:ピりピ2・11=マタイ6・9=へブル5・7、熟読参照)

               愛の歌十首

   誤訳我復活省察にて指摘以来日ノ本二路の前立つ

   一切を捨てて主の道往くや愛愛の競争これ偽の愛
(備考:ヨハネ21・15の公式邦訳=聖書協会訳も新共同訳も=「愛」の誤解に立つなり:「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上にわたしを愛するか。」「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。」我が私訳「ヨハネの子シモンよ、あなたはこれらの物(注。舟、網、漁業、延いては宇宙の諸多性)よりわたしを愛するか。」父子ひらけの道なるロゴス[ヨハネ1・1・第二項]への帰一・復活のことなり)

   愛とはや今生超ゆる命をば御友と共に知る御恵みぞ

   御恵みを絶後笑み増し享くる妻御友示せる愛の道往く   (備考:ヨハネ15・15→17・24)

   地上にて主イエスを人と競いてや愛するなぞと言ふや虚偽なり

   それ神や独り子をぞや打ち捨つるほどにぞこの世愛し給へり
   (備考:ヨハネ3・16)

   それはしも御子を信ずる人誰も滅して不滅命得んため
   (備考:ヨハネ3・16=17・24)

   愛とはぞ父子ひらけにぞ包まるる永久の命のことぞなるべし

   父子の愛その中にぞや容れらるる至福の他に何や愛なる

   この至福御友共なる甦り尊きこそや有難きかな

             不実教と御友飛翔の歌八首

   日ノ本に誤訳教あり基督教未だ無きなり虚仮不実そも

   この不実打つものこそや御友愛父から聴きし「友よ」と告ぐや(備考:ヨハネ15・15。御友神学、父から聴くに超越発源すも、「友よ」と呼ぶに中間底あり。超越発源、恩師言ふ「第一義の神人接触」なり。「友よ」と呼ぶに、滝沢純粋神人学の嫌う「特殊的・史的な形態」(『純粋神人学序説』272頁)豊かにあり。しかも、恩師がバルトに抗して「イエスの姿に縛られず」と言ふに対して、御友神学は「友よ」と呼び給ふなり。即ち、縛らず関わるなり。滝沢がその恩師カール・バルトを批判して「先生は、この永遠に支配的な源としての事実が、『あそこで当時』ゴルゴダで起こったあのことを通して初めて実在的かつ事実的になったかのように、したがって以前は単なる一つの可能性あるいは単純な『手続き上の何か』だったかのように考えまた発言しておられることを、私は見逃すことができません。」(『カール・バルト滝沢克己往復書簡:1934−1968』173頁)と言ふに対して、徹底して御友神学は「友よ」の呼びかけの愛の豊かさに生くるなり。「父子ひらけ」に発源しつつ、「父子ひらけ」への招待を「友よ」との呼びかけに明らかに示さるごとし。滝沢は、インマヌエルの原事実・第一義の接触と第二義の接触・イエスの人間的姿の間の「区別」を強調して、二者の間の「関係」をーー「縛られず」の文言にて不鮮明のままにせるを――御友神学は「友よ」と呼びかけ明示するなり)

   今生の人ども主イエス愛すると如何に競ふも父子ひらけ無知

   父子ひらけ知らずに何を基督教ヒューマニズムの傲り可笑しや

   我知らずこの虚仮不実誤訳教何時まで天地欺き得るや

   御友こそ深き低みの底よりぞ絶後笑み増す妻ひらけ召す

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す
(備考:「底」父子ひらけの底部=御子御友にして、頂上=御父へと逆転飛翔す。これ御友と共なる甦りなり)

   我が恩師深き低みに鎮座すやその底往かずいかで飛翔や

            「友よ」嬉しやの歌三首

   恩師はやイエス姿に縛られず原事実往くイエスと競ふや(備考:これ滝沢哲学の根本動機ならむも。滝沢に、イエスの姿から「父から聴きて『友よ』と呼びます関係性」消さんとの意図ありと感ぜらるるも)

   御友はや「友よ」と呼びて原事実示し給ふよ有難きかな

   我はしも御友神学発見す父から聴きて「友よ」嬉しや

        ♯                ♯


上の「5月12日」[5月13日]の歌に加えて今朝のメルマガ「風の便り」の「6月13日」の歌を収めます。


      〇(6月13日)全国良寛会総会りゅうとぴあにての歌六

   国上能シテの舞にや観世音菩薩ぞ在るや信子さま実に

   月光に照らさるるままシテや去る誠我妻往きし時如

   何やらぞ御友みちびき在りてこそ日一日の歩み刻みぬ   (備考:新作能「国上」観るに至るまでぞや)

   我妻や絶後笑み増し不思議やもシテの能面その如くあり

   日ノ本の国上の能や醸すもの誠我妻甦りの図

   荘厳の時ぞ在りたり国上能我妻絶後笑み往くが如


追記


メルマガ「風の便り」に最新の歌「6月14日」十首が届きましたのでここに追記いたします。


           〇(6月14日)水無月の歌十首

   水無月や風の便りを新著のぞ「『変貌論』の時代」に入れぬ

   恩師カブエコロジーのぞ極め付縁起と説くやアドレスや佳し

   我やそもならば空即縁起全体観エコロジーのぞ元にと論ず

   かくてこそ「エコロジーをぞ真剣に考ふ」一文物せしや我
(備考:これ母校クレアモントにての大学会:Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization (Pomona College, June 4-7, 2015)にての我がペーパー:"Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”見事口頭演説と化せし我がわざ、電子メールにて告ぐるものなり。いと嬉し)

   空にぞや至誠なる神ありてこそ「至誠なれや」の声出ずるべし

   この手順踏まずしてなぜエコロジーworld Loyaltyをぞ貫徹あるや

   命(Zoe)のぞ呼び声やこそ御神の空(Eco)至誠にぞ発現逆理

   この逆理Divine Ecozoicsと我や呼ぶこれなくしてや「世の至誠」なし

   真実やいと近き神見んとてや箴言修行せし妻や笑む

   エコゾイクス妻の笑み増し孰れもや神の深みの顕れし如






本日の写真は、上には今朝の我が家の入り口の花たちと、そして下には昨日新ショーガを梅酢につけたところと、ちょっと涼やかにしたテーブルと・・・。

おいしい紅ショーガができそうです。