延原時行歌集「命輝く」(第2167回)(我が家の文鳥「キョキョちゃん」今朝平安帰天!)

                    

        延原時行歌集「命輝く」(第2167回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(215−1)
先達やの歌、この道やの歌、哲学やの歌、思索なすの歌、カブ著拙訳上昇の歌、今成すの歌、いよよの歌、何故にの歌、神表現の歌、我やしもの歌、御友福音の歌、御友二態の歌、「復活の省察」中巻の歌、昂揚感の歌、神学一瞥の歌、行脚霊感の歌、主の祈りの歌(2015年5月1日〜10日)。

    5月1日
             先達やの歌三首

   先達や交互哲学実にも佳し愛の掟ぞ是なりとぞや
(備考:小野寺功先生4月30日付御書簡あり、感謝無尽も:「2015年3月28日の『風の便り』のページに、ホワイトヘッドの「交互哲学」という言葉を発見し、いたく心をひかれました。Reciprocal Metaphysicsとは実にいい言葉ですね。研究者には常識的な概念かも知れませんが、今、私はヨハネ福音書の15章10−12節のイエスの新しい掟「私が愛したように、あなたたちがたがいに愛しあうこと、これが私の掟である」について熟考中でしたので、実に新鮮でした。相互愛は「場の理論」を要請すると考えていたからです。「互いに」は「キリスト教の核心」的事態ですが、現実には一方的なことが多く具体化されていません・・・」)

   ノーちゃんや我ら妹背の間こそこの極致とぞ御文述べ給ふ

   面映ゆし思ふ思ひを超えてぞや岸辺の主にぞ在るや友垣

    5月2日
             この道やの歌五首

   如何にして御友愛せし如くにや人愛し抜くことにし成らん

   人愛す命ひらすら御友共甦り往く祈るほかなし

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ
   (備考:復唱)

   この道や我妻絶後笑み増して往きし如くに笑みかくる道

   我妻や生涯の果て我と共笑みの本生す欣求したるや

              哲学やの歌四首

   哲学や今ぞ交互の構想ぞ実存滅し栄光不滅
(備考:ヨハネ17・24、熟読参照:「父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られるまえからわたしを愛して下さって、私に賜わった栄光を彼らに見させてください。」哲学の主題は、今や、「実存」でも、「世界内存在」でも、「深き低み」でもなきなり。実存の、栄光への、移行(われの言ふ「飛翔」「大変貌」)なり。是論ぜざれば、宇宙の「交互形而上学」《Reciprocal Metaphysics》なる大構想宇宙哲学の中心なるを知ること能はず。人生が、ホ氏も見る如く、「滅して不滅」"We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]なれば、それに合致したる哲学「交互形而上学」なり。実存哲学復活知らぬ学問なり)

   偉大なるホ氏の構想天地をば包みて御友一切中心
(備考:偉大なる一節これなり:”In the fourth phase [in which the universe accomplishes its actuality], the creative action completes itself. For the perfected actuality passes back into the temporal world, and qualifies this world so that each temporal actuality includes it as an immediate fact of relevant experience. For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351])

   恩師のぞ深き低みや世界内存在と共ひらけ仰げや
(備考:「深き低み」は滝沢にとり「インマヌエルの原事実」の事にして、ヨハネ福音書1章1節第一項にある「太初のロゴス」の事なり。これ、我に依らば、同第二項「ロゴスは神と共なりき{pros ton theon]」を仰ぎ、包まるるなり。後者こそ、宇宙における「一切包括者」なり。我「父子ひらけ」と呼ぶなり。「一切包括者」必ず「太初のロゴス」すなわち「この世の始」として自己表現為すこと、恩師の純粋神人学の基礎範疇なり[『純粋神人学序説』272−273頁、熟読参照]。後者の前者への移行、恩師の関心になきなり。かくして、純粋神人学「実存哲学」「世界内存在学」の範疇に止まれり。これ恩師「深き低みのさらに下に往くことなし、その必要なし」[274頁]と言はる所以なり。我に依れば、「深き低みの底に下るとき、そこに父子ひらけ待ちおり、その底部なる御子よりその頂上天父まで飛翔成す」逆理、宇宙の理なり。すなわち、復活事理これなり。滝沢も、サルトルも、ハイデガーも、実存主義哲学者たちはこれ知らずなり)

   我妻や絶後笑み増し誠にや交互宇宙の幸享くるかな(備考:2014年3月11日絶後、12日の夜棺の蓋を開けて、妻の「口丸めたる笑み」見し時、我直覚せり。妻、宇宙ひらけを称へ笑むなりと!この直覚なしに我が「復活の省察」、我が「交互形而上学」の了解なし!妻の絶後笑み増しこそ、我に実存哲学超ゆる「復活形而上学」を見せしなり。驚くべきや)

              思索なすの歌一首

   時代のぞ只中で我思索なす先達御文歴史刻むと
(備考:小野寺功先生4月30日付御書簡、この気概表明溌剌、麗し。全文以下の如し:「いつしか若葉の美しい季節となりました。新発田市のあたりの景色はどうかなと、時に想いを馳せています。
 先日は大冊の「風の便り」とお便りをいただき、誠に有難うございました。また昨日は思いがけなく越後名産の「笹だんご」を御恵送いただき、恐縮いたしております。大変美味なもので、歴史と風土の味わいが感じられ、「大地」のつながりが感じられました。
 「風の便り」の記事によれば、佛基の対話が復活の兆しを見せているとのこと、一時停滞が感じられましたので、いよいよ本格化のはじまりかと期待されます。
 2015・3・28日のページに、ホワイトヘッドの「交互哲学」という言葉を発見し、いたく心をひかれました。Reciprocal Metaphysicsとは実にいい言葉ですね。研究者には常識的な概念かも知れませんが、今、私はヨハネ福音書の15章10−12節のイエスの新しい掟「私が愛したように、あなたたちがたがいに愛しあうこと、これが私の掟である」について熟考中でしたので、実に新鮮でした。相互愛は「場の理論」を要請すると考えていたからです。「互いに」は「キリスト教の核心」的事態ですが、一方的なことが多く具体化されていません。
 (六)に「一体に環境哲学考ふに天地交互のエコこそや場ぞ」とあり、場と捉えられていることを嬉しく思いました。
 今度の「風の便り」の短歌神学を二度繰返し読み、奥様とのお二人の関係がまさにこのことの極致と想われました。実存哲学の克服はこの「栄光形而上学」「復活形而上学」の中に在るという御指摘は、私にとりましても大変参考になりました。
 「近代を超克せんと新文明陣痛始む変貌の時」 この心境は、私も深く共感致します。
 東西を包含する全一学は、日本から誕生するのが、最も自然で摂理的な課題です。「絶対他者即絶対自者の歌」―この時代の歌の中に一つの方向が示されているように思いました。
 私も年齢的にすでに昭和生まれの思想の跡をささやかでも歴史に刻みたいものと念じています。
  では健康に留意され、ますますの御活躍を祈念致しております。   右、とりあえず、御礼まで。
  四月三十日         小野寺 功
 延原時行様」

             カブ著拙訳上昇の歌三首

   驚きぬカブ著拙訳急上昇生きる権利死ぬ権利なり
(備考:『生きる権利 死ぬ権利』日本基督教団出版局刊、2000年;原題:Matters of Life and Death:5月1日付アマゾン:148,715位。神学2, 288件中87位なり)

   恩師カブ歓びてぞやメールあり奥床しきや御文御言葉(備考:我書けり:”Your book, trans. by me, Matters of Life and Death jumped up to be No. 87 of all 2, 288 books under the heading of “Theology”; No. 148, 715 of all books published in Japan, according to Amazon. Congratulations! Cordially, Toki; ご返信: “Thanks. The congratulations should go to you! John”)

   友ボブも見事一語を贈り来しFabulousとぞや心憎しや(備考:Fabulous=話題もの、大した物ぞな、物凄きぞなと:Prof. Bob Mesle, Graceland University)






今朝、我が家の愛鳥・文鳥の「キョキョちゃん」が天寿を全うして召されていきました。10数年前に一緒に暮らしていた十姉妹たちに育てられ、毎日生活を共にさせてもらいました。

漱石の畏友・内田百輭の名随筆『阿呆の鳥飼』よろしく、幼少の頃よりメジロ獲りからはじまってカナリヤなどを飼い、鳥たちを蛇に襲われるなどして・・・・。ある日、住宅の中庭で、傷んだ一羽のスズメを鳥かごで養生させて飛び立たせた出来事を契機に、我が家が沢山の「鳥飼の部屋」になって・・・文鳥「キョキョちゃん」が、鳥飼のひとつの区切りをつけてくれそうです。

本日午前中に、我が家の鳥たちのお墓に収めてまいります。上の写真は、三日前の「キョキョちゃん」です。上に据えていた巣を下におろして、バリアフリーで餌と水など口にする状態がつづいておりました。

巣の中での静かな美しい終焉でした。


当初予定していた写真は、庭に実ったビワを六つぶいただいて、昨夜食後のデザートに美味しく食したものを、最初に飾るつもりでした。





今朝は、梅雨の季節でも珍しく、六甲山の山並みも、高取山も、須磨アルプスも、明石大橋方面も、そして瀬戸の海も、すべてが厚い霧にすっぽりと覆われています。

全部同じ景色に写りますが、上記の「六甲山」から「瀬戸の海」まで、我が家から望む、今朝の「パノラマの絶景」?を並べて見ます。