延原時行歌集「命輝く」(第2165回)(賀川記念館における明治学院大学校友会)

                     

        延原時行歌集「命輝く」(第2165回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(214−6)友垣に御友ますの歌、我がヴィジョンの歌、墓前礼拝の歌、宇宙甦りの歌の歌、如何に真実やの歌、驚きぬの歌、人命の歌、新教危なしの歌、「友よ」神学の歌、我らが書の歌、友達作りの神学の歌、人方やの歌、げに笑みこぼるの歌、省察本の歌、目次の歌、英書の歌、御友真理の歌、我や知るの歌、驚きぬ不可逆真理の歌:滝沢哲学三原理(不可分・不可同・不可逆)再解釈に因みて、恩師最晩年の信の歌、跡ぞ麗しの歌、我やなすの歌、万事佳しとぞの歌、春の陽注ぐの歌、人生の歌、我はたとの歌(2015年4月21日〜30日)。

    4月28日
             恩師最晩年の信の歌

   最晩年恩師イエスは父からや「空即是色」なりと言ひたり
(備考:我への書簡1984年6月14日付の中にてなり:「人間イエスは、仏教に色即是空 空即是色といはれるその色の中の一つとして「空」そのものを(ふつういう意味の「神」などといふものは全然介入する余地なしに!)「父」と呼んだのではないでせうか(絶対の裏からいふと、空そのものの、直接の、色としての自己表現)?私のばあいは、この即=即非=不可逆の一点*への覚醒、何よりもまずただそれだけを西田、バルト両先生の導きに負ふてゐるのです。(*この一点はふつうにいふ「キリスト教的」宗教的な情念と「仏教的」・哲学的な思弁が一挙に吹き飛ばされる処です。))

   空とはぞ父子ひらけとぞ取るならばひらけの受肉御友なりけり
(備考:我父を空そのものでなく、空の霊格化と取るなり。空そのものは父子ひらけ[ヨハネ1・1・第二項:「ロゴスは神と共(pros ton theon)なりき。」]なり)

   恩師死の十二日前この発言西田バルトを通底や空(=父)
(備考:これ両師を一貫するものの滝沢による自証なり。重要なり。滝沢命の思想なり)

   滝沢に空なる父や即イエス成程縛る非ざるや如

   我にとり空即是「色」御友なり中間底に脈々と生く
(備考:恩師史的・具体的「中間底」を純粋神人学の「本来の内容」(空)に容れざりしなるも、空を空ずる趣にてなり。『純粋神人学序説]272頁、参考)

             跡ぞ麗しの歌七首

   日ノ本に神学ぶ道ありとせば恩師思索の跡ぞ麗し

   麗しと我言うやそれ誠にや創造的の批判ゆるせば

   滝沢の否定的なる表現を躍動的に御友とぞ読む(備考:滝沢「イエスに束縛されない」と言ふは何故?その答えこれなり:「神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できなりのである。」『純粋神人学序説』272頁、参照。今、こう書けば如何:「神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在(すなわち、太初のロゴスがそれである「人間存在」)に堅く結びつく故に、その躍動的受肉こそが、特殊的、具体的にして史的な形態としてこの世界に現出するのである。それを我らは、《父から聴いた全てを君たちに伝えた故に、君たちを私は友と呼ぶ。》と言う御友としてお迎えするのだ」。これぞ、恩師純粋神人学の、我が創造的批判的展開なるなり)

   滝沢の神ご自身ぞ「父子ひらけ」表現点ぞ「太初言」なり(備考:我の言ふ「神性」「父子ひらけ」滝沢「神ご自身」と表記すること常なりき)

   太初言人間存在成してこそそれ離れざるイエス出でたり
(備考:ここに滝沢哲学における三段階生まれしなり:すなわち、「神ご自身」→「表現点(太初言)なる人間存在」→「それ離れざるイエス」なり)

   滝沢の中間底や「無し」言ふの真意ひたすら「言離るれば」

   かくてこそ言離れざる中間底誠我言ふ御友なりけり(備考:御友「父から聴きし事を告ぐ」(超越起源)ことなしに「友よ」(中間底)と我らに呼び掛くることなし、と言ふことと、滝沢の主旨一般なり)

             我やなすの歌一首

   我やなす短歌神学いと楽しマルセルの如日々思索
(備考:ガブリエル・マルセルの『形而上学日記』の日録風の形而上学的神学こぞ我が狙い、わが理想なり。誠思索は一歩一歩と!)









延原さんは今頃、国際シンポでの主題講演の大役を終えて、御満悦のころあいでしょうか。こちらは深夜にお電話いただいたようですが、どうやら寝込んでおりましたようで・・・・。


ところで昨日は、神戸の賀川記念館において明治学院同窓会並びに明治学院大学校友会の集いがあって、吉井淳副学長をはじめ村山真子会長ほか20名ほどの、愉快な学びと懇親の時を楽しみました。

おもいがけないことでしたが、プログラムの中に「賀川豊彦明治学院の関係について」というお題をいただいて、にわか勉強をして、拙いお話をさせていただきました。

校友会の皆さんのなかには、明治学院大学における賀川豊彦の講義を聴講した方が複数おられて、一同、あらためてこころ熱くさせられました。

新しい記念館の名物となっている「天国屋」での懇親会では、空海の「後夜仏法僧鳥を聞く」を見事に吟じられる御方もあったりして盛り上がり、美酒と共にたっぷりと御馳走になり、最後には明治学院の第一回卒業生・島崎藤村作詞の「明治学院校歌」を歌い、みなさんはこの後、焼き鳥屋さんへ移動され・・・・本日はさらに世界遺産・姫路城でお楽しみのご予定とか・・・。


賀川豊彦明治学院の関係について」学ばせて貰いましたので、あらためて「関西学院との関係」とわが母校「同志社大学との関係」についても学んで見たくなっております。


そんなわけで、本日の写真は、上に収めた賀川記念館の入り口と集会と懇親会の模様と共に、ただいま記念館に展示されている賀川の揮毫を数点と記念館の近くの「大安亭市場」ほか数枚を入れて置きます。

帰路の夕方の空と三宮近くの高層ビルと・・・。