延原時行歌集「命輝く」(第2163回)(梅雨入りすぐの五月晴れ!)

                    

        延原時行歌集「命輝く」(第2163回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(214−4)友垣に御友ますの歌、我がヴィジョンの歌、墓前礼拝の歌、宇宙甦りの歌の歌、如何に真実やの歌、驚きぬの歌、人命の歌、新教危なしの歌、「友よ」神学の歌、我らが書の歌、友達作りの神学の歌、人方やの歌、げに笑みこぼるの歌、省察本の歌、目次の歌、英書の歌、御友真理の歌、我や知るの歌、驚きぬ不可逆真理の歌:滝沢哲学三原理(不可分・不可同・不可逆)再解釈に因みて、恩師最晩年の信の歌、跡ぞ麗しの歌、我やなすの歌、万事佳しとぞの歌、春の陽注ぐの歌、人生の歌、我はたとの歌(2015年4月21日〜30日)。

    4月25日
            「友よ」神学の歌五首

   主イエスがぞ「友よ」と呼ぶや我らをぞ僕にさせぬ決意ありたり

   滝沢が嫌いぬきたる従僕観主イエスにやそも全く無かりき

   さらばとて恩師「友よ」と呼ぶイエス悟りてあるや明言ぞなし

   主イエスはぞ神表現を成しつつや汝も然りと見るや友垣(備考:これ滝沢の「イエスに束縛されぬ」観方より出ずること可能なる立場なるも、滝沢に明言無し。滝沢の表現神学は、以下の如し:「純粋に神人学的に考える人間は、したがって、自分自身を一つの存在者と知っている。この存在者は一方では、絶対的に偶然的であり、あらゆる歴史的形態を持った規定から自由であり、他方ではしかし、何よりもまず、そのようなもろもろの規定とは比較にならないほど厳しい、唯一の神の規定、すなわち人間は、まさしくはじめから終りまで、このような偶然的な存在者として自分自身の生涯において生ける神ご自身を表現すべきであるという、唯一の神の規定の下に立っているのである。このようなものとして人間は、たとえ苛酷な歴史的状況にあっても、たえず希望に満ちている。」『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、273頁)

   我妻や絶後笑み増し岸辺主と往くや幸なり友飛翔すや   (備考:「共飛翔」最高の祝福なり!)

             我らが書の歌一首

   我らが書慟哭の書と人言ふも絶後笑み増す妻不思議の書

    4月26日
            友達作りの神学の歌十二首

   主イエスがぞ天の父如全かれ言ひし時にや友としてなり
(備考:ヨハネ15・15の「友と呼ぶ」は、マタイ5・48の「天の父の如く全かれ」の深化なるが如し)

   日々に明なる道主イエスのぞ御父しめすや御友なる道

   恩師言ふ神表現ぞ人規定何故御友告げし言はぬや

   主イエスより導かれしが縛られぬ恩師言ふやも御友いませば
   (備考:恩師の言御友いませばこその言なり)

   滝沢の神人学や間にぞ御友ありてぞ学たり得べし   (備考:これ我が確信なり)

   間とは純粋神人学のぞや盲点にして御友満たせる
(備考:恩師「史的・具体的中間項」を純粋神人学の本来の内容に徹底して容れざるなり。実際には、間御友満たせるなり)

   滝沢の神人学や御友をぞ称へぬだけに媒介ぞなき

   いかでかや純粋だけで学ぞ成る御友ありてぞ神人や学

   人がぞや原事実にや向ふとや言ひ得るものか御友なくして(備考:これ恩師の「インマヌエルの原事実に向かう」と言ふ一節の決定的盲点なり。『純粋神人学序説』272頁、参照:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。」否否否、「特殊的・史的な形態」なる御友(ロゴスの受肉の姿)在りて「友よ」と呼びかけ給ふゆえに、我らは、「父子ひらけ」に向ふことや成るなり)

   我やそも御友の学を学びつつ友達作りぞ神学と言はん
(備考:日常卑近なる「友達作り」こそ、「御神より一切のこと聴きて我らに告ぐる御友」の呼びかけある故に、神学びなるなり。これ具体的なる、友達づくりの行為の世界なり。今日も我、病ある人に新潟駅の田中屋より笹団子贈りし――御友の促しに応へたるなり。神学即行動なり。単に抽象的なる神思索に非ず。十分に瞑想して断固決行すなり)

   我妻や最高に幸父さんが皆やり呉れる言ふや嬉しや

   夜になりさらに学びし御友ぞや友飛翔成す御方とぞや

            人方やの歌二首

   人方やお可哀想に言ふ間にや絶後笑み増す風や仰がむ

   その時や今生越へて人はそも甦りてや笑む者と知る

           げに笑みこぼるの歌五首

   我妻や御友と共に天父まで友飛翔なす幸与えられしや

   人としてこの誉れほど尊きや絶へてなきなりほのと妻笑む

   我妻や絶後笑み増す不思議やも不思議の裏に御友いませり

   父からぞなべて聴きしを告ぐる方御友ありてぞ妻友飛翔

   復活の栄に共に挙げらるる我妻や幸げに笑みこぼる 

             省察本の歌三首

   復活の省察本や出でにけり慟哭の書か笑み増しの書ぞ

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す(備考:「深き低み」恩師純粋神人学の懸所なり。其の底在りて天父まで飛翔なすやと、一書語るや)

   我いかに復活省察なせどもや妻絶後のぞ笑みなくばなし

             目次の歌二首

   昨日はジュンク堂にて書参為し英文著のぞ目次書きおり(備考:三越の寿司にてなり:Anselm’s Argument and Buddhist Wisdomなり。七章全篇雑誌論文として完成したる上にての一書刊行のためなり。同様の試み、Apologetics (弁証論)、Systematics(組織神学)、Divine Ezozoics (神のエコゾイックス)についてほぼ完成したるなり。嬉しも。添付資料、参照)

   邦訳も出さんかなとぞ湧き来るこれでは老齢青春多忙

              英書の歌四首

   敬和来てチャプレンシーや十七年我心込め英書綴りぬ

   かくてこそ四著や成るや日ノ本の国より生まる哲学神学(備考:Anselm Studies; Apologetics; Systematics; and Divine Ecozoicsなり)

   何なすや日ノ本知らずされど我恵まれしかな欧米師友

   このことや日ノ本危うき時にこそ佑けとならせ給へ御神


        ♯                 ♯


延原さんは予定通り、昨日米国での国際学会のおける主題講演のため旅立たれ、午後夕刻には羽田空港を飛び立つ直前にも、意欲満々のお電話をいただきました。新しい歌もたっぷりとお土産として届くことでしょう。



昨日は、梅雨入りすぐの五月晴れ! 爽やかな景色を綺麗な空と共にカメラに収めました。上の写真は、東側の玄関から六甲の山並みを望み、廊下から北側に高取山を撮りました。

そして次の写真は、西側ベランダより瀬戸海や須磨方面を眺めました。

さらに東側廊下から新開地方面などとぶらりご近所の公園の木々と空とを撮りました。