延原時行歌集「命輝く」(第2161回)(雨ですね、再びアジサイの花)
延原時行歌集「命輝く」(第2161回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(214−2)友垣に御友ますの歌、我がヴィジョンの歌、墓前礼拝の歌、宇宙甦りの歌の歌、如何に真実やの歌、驚きぬの歌、人命の歌、新教危なしの歌、「友よ」神学の歌、我らが書の歌、友達作りの神学の歌、人方やの歌、げに笑みこぼるの歌、省察本の歌、目次の歌、英書の歌、御友真理の歌、我や知るの歌、驚きぬ不可逆真理の歌:滝沢哲学三原理(不可分・不可同・不可逆)再解釈に因みて、恩師最晩年の信の歌、跡ぞ麗しの歌、我やなすの歌、万事佳しとぞの歌、春の陽注ぐの歌、人生の歌、我はたとの歌(2015年4月21日〜30日)。
4月22日
墓前礼拝の歌四首
我妻の墓前礼拝なしたるや凛たる春や讃美響くも(備考:21日午前三木市金剛寺にて我妻墓前礼拝なしたるなり。我讃美歌四曲墓前リサイタルなせり)
延原家墓麗しや義妹友心尽くしの華にしあれば
(備考:佐々木順子姉、鳥飼慶陽師、見事なる華供え給へり)
我やしも墓前献歌や四曲を心の限り独唱の時
三人の祈り合はせて献げたり妻笑みてあり入来感ず
金剛寺新緑まこと輝きてありIXIA!輝きてあり
(備考:霊位に「延原信子IXIA!」とあり。イクイアーメンと読むべし。イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!の略記なり、尊し)
4月23日
宇宙甦りの歌の歌十首
(一)歌の歌:笑み増し:窮極ーー歌の道
心をば尽くして歌を詠み伝ふこの道如何に尊きやこそ
人の道そも此処にぞや窮まれり歌文ほどぞ心打つなし
我妻や絶後笑み増し往きしほど宇宙ひらけを詠ふ歌なし
歌とはや窮め難きを窮めては窮め難しと言ふの言の葉
(二)幸:甦り:命再演:ひらけーー形而上学
何や幸人命ぞや滅するも岸辺の主共御父往くほか
永久のぞや命再演ほかにして宇宙の窮極誠在るなし
甦りありてこそぞやこの宇宙ひらけにひらけ往く幸や知る
(三)父子ひらけ:栄:華やぎ:笑みーー主の祈り
父子ひらけ原初栄と言はるるやこれ輝かせ父よ言ふ御子 (備考:ヨハネ福音書17章5節、熟読参照)
誠御子かく父にぞや祈りてぞ栄華やぎ遂ぐる見る方
御子こそや華やぎの君絶後超へ甦りの主妻笑み示す
如何に真実やの歌四首
日ノ本の基教や佛国土植はりてこそや育まれ往く
回基のやたたかい永き見るにつけ此処に天父の御心やあり
良寛の散る紅葉こそ麗しや我妻絶後笑み増しすや如
我が旧著「仏教的の基教のぞ真理」上昇如何に真実
近代の基教復活哲学の思想土壌を欠く著し(備考:復活哲学の思想土壌「冒険の形而上学」なり。それ近代の基督教に無し。されど、仏教哲学、西田哲学に、ありや)
驚きぬの歌三首
驚きぬ拙著「ホ西」や急上昇時代の変貌徴付けしや
(備考:『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年の急上昇:これ、佛基形而上学の対話こそ時代の枠組みなるを示せる事象なり。キリスト教教義学の枠組み時代を捉えるに、十分ならず、との信号なり。アマゾン:156,321位;神学88位、哲学457位、哲学入門808位なり)
天父のぞ霊感過日得たるもや時代変貌そも同調す
回基のや怖ろしき齟齬時代のぞ全面事象非ずしてこそ
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今朝も上の「4月22日・23日」の歌に加えて「今日の歌」より次の七首を収めます。
〇(6月3日)英文二新著の歌七首
大いなる感動の波打ち寄する我が英文の二著や成りたり
様々の夾雑物を取り除き瞬時にしてや整へにけり(備考:第一著:Anselm’s Argument and Buddhist Wisdom; 第二著:Toward an Ecozoics of the Deity: Ecological Theology in a New Key Coping with the East-West Dialogue in Philosophy”なり)
さてもさてロスまでの旅じっくりと二冊瞑想如何に楽しき(備考:June 4-7, 2015: Seizing an Alternative: Toward an Ecological Civilization Conference at Pomona College, Claremont, U.S.A.にて”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”なるペーパー発表やせむとの旅なり。9日に帰国せむ)
何にせよ三十年の昔より綴り来れる英文著成る
各章や雑誌論文出でし時楽しめる友数多おはすや
我がぞや部屋歩きつつintrinsic valueなど口ずさむ妻愛しけり (備考:intrinsic value=本具的価値)
かかる日々ありてこそなりノーちゃんぞ箴言作る修行精励
(備考:第七条ぞ傑作なり:”I am living in the secular world. And yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan because Japanese society is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.”)
それ思ひこれ考ふや二著にぞや妹背の息や沁み込みてあり
補記 「今日の歌」の次の三首も加えます。
〇(6月3日)今朝がたやの歌三首
今朝がたや夢の中にて別々の人格なるも一体と見ゆ
げにもぞや面白き夢back to backとぞ言ふや当たるや一体の妙 (備考:御友そこに在すなり)
延原さんの「今日の歌」で詠われているように、愈々明日には、上の二冊の英文新著の完成稿を携えて米国に旅立たれます。
延原さんの大役は、主題講演ーー”Divine Ecozoics and Whitehead’s Adventure or Resurrection Metaphysics in Tandem with Ryokan”ですが、その大役を果たして、9日にはご帰国のようです。
このような嬉しい時の到来も天与の祝福の時です。
この度の国際会議の成功と共に、新たな出会いと対話の実りを、たっぷりとまたこのブログでも、「短歌神学」をもってお伝え頂けることでしょう。
どうぞ、よい旅を!!
今朝は強い風と激しい雨です。草木には恵みの雨です。
本日の写真は、ふたたびアジサイの花です。中庭の花壇やぶらり散歩でであった昨日のアジサイたちです。
6月のアジサイは、31年前(1984年)のあの日の事ーー6月26日に滝沢克己先生が急逝され、30日にご自宅から斎場へ向かって先生の棺を送り出した、あの日の事ーー玄関に咲く美しいアジサイの花が、年年歳歳思い出されます。いまも、あのアジサイは咲いていることでしょう。