延原時行歌集「命輝く」(第2160回)(わがまちー梅雨入り前の青空と共に)

                    

       延原時行歌集「命輝く」(第2160回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(214−1)友垣に御友ますの歌、我がヴィジョンの歌、墓前礼拝の歌、宇宙甦りの歌の歌、如何に真実やの歌、驚きぬの歌、人命の歌、新教危なしの歌、「友よ」神学の歌、我らが書の歌、友達作りの神学の歌、人方やの歌、げに笑みこぼるの歌、省察本の歌、目次の歌、英書の歌、御友真理の歌、我や知るの歌、驚きぬ不可逆真理の歌:滝沢哲学三原理(不可分・不可同・不可逆)再解釈に因みて、恩師最晩年の信の歌、跡ぞ麗しの歌、我やなすの歌、万事佳しとぞの歌、春の陽注ぐの歌、人生の歌、我はたとの歌(2015年4月21日〜30日)。

    4月21日
           友垣に御友ますの歌七首

   我が友やにこやかに談令室や佇みて笑む主ぞ共に在す(備考:生涯の教友木原和彦兄石切生喜病院に、4月20日早朝西新発田を発ち、熱誠の友鳥飼慶陽師と義妹佐々木順子姉と共に御見舞いす、嬉れし)

   兄の文頂きてより思ひたり書く決意出ずげに命燃ゆ

   熱誠の友フォト撮リて暖かや今の奉献天父まにまに

   友垣の今や楽しや御友こそ共なり給ふ生喜病院

   我や告ぐ熱き霊感御神より吹き来りてや平安一途

   浪花のや馳走如何と妹薦む友とジョッキー実にも楽しき

   巨きなる御神の手をば握りてや心震へり言ふ妻や共
(備考:我妻信子「巨きなる御神手をば握り給ふ夢」見しこと最深の信仰体験なりと我に嘗て告げしこと、話してや楽しむ。妻ここに入来す)

   友垣に御友共ます人生の如何ばかりぞや暖かきかな

            我がヴィジョンの歌七首

   朝まだき夢に見しこそ我がヴィジョン万物再演天父御許や(備考:豊中に一泊してや目覚むるや、英文ヴィジョン心に出ずるや:”It is due to the creative re-enactment of all things in the presence of the all-inclusive Reality that “they perish and are immortal.” [PR, 351, 82] The life memories of all things are to be presented anew in the bosom of the love in heaven, thus recreated in order that they might enter the world as agencies of renovation in the capacity of co-creation with the Divine.”英文啓示なり、実に実に実にも驚きぬ)

   滅してぞ不滅なるこそ命なれ御声ありてぞRe-missioや成る
(備考:Re-missio Peccatorum [罪人達の赦し即再派遣]なり。拙著『復活の省察』(前巻)第二章、参照)

   基督の我が羊飼へ御声こそ我ら不滅の再派遣実に   (備考:ヨハネ福音書21章15,16,17節、熟読参照)

   宇宙はぞ復活ありて甦る其れなくば主も甦りなし(備考:第一コリント書15章13節:「もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。」原復活=父子ひらけなり。それありて、主の甦り=父子ひらけへのひらけあるなり。父子ひらけへのひらけ、岸辺の主共、我妻絶後笑み増し往けり。此度、我妻信子墓前礼拝の後、病癒へたる兄立志見舞いたるも、妻絶後笑み増し「柔らかき笑みなり」と語りたるなり――義姉と共に。嬉しも)

   我妻や絶後笑みまし不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱)

   この世はぞ罪なるも見む神学び言ふだけでなし万物再演(備考:佐藤優著『神学の思考』の言へる如く、バルト神学和解論「罪なる世界」見る勇気与ふも、我それ越へて「万物再演」ヴィジョン与えられしなり)

   御神や霊感賜ふ一切の不安や無しや時行や往け   (備考:これ今次の霊感の衝撃なり)

          ♯              ♯


今朝も上の「4月21日の歌」に加えて「今日の歌」の中より次の五首を収めます。


         〇(6月2日)祈り道の歌五首

   日に三度祈り道をぞ我や往く今日友ひとり礼状やあり(備考:驚きぬ。我が祈り故年来の病癒へたりとのことなり。天父御友に感謝無尽なり)

   祈り道日に日に往けば人方や御神の前に名呼び幸ふ

   我妻や祈り道にて日毎にぞ名呼び御許に笑みや溢るる

   誠にやホ氏も言ふごと被造物神存在中おのれ変容(備考:『過程と実在』末尾にこの一節あり。神秘の言葉なり:”Throughout the perishing occasions in the life of each temporal Creature, the inward source of distaste or of refreshment, the judge arising out of the very nature of things, redeemer or goddess of mischief is the transformation of Itself, everlasting in the Being of God.” [PR, 351]

   我らはぞおのれ知らずやただ御旨なし給へ主よとぞ日々欣求



今朝はどうやら梅雨入り前の気配の漂う天候です。春は春の、梅雨には梅雨の味わいをたっぷりと経験して、季節の移ろいを体感できるのが、いちばんですね。

「ホタルを見ましたよ」というお声も耳にしはじめました。

昨日は所用ででかけていて、帰路住宅の近くで、青い大きな空を見上げて、お隣の西市民病院などを写真に収めました。上の三枚がそれです。


住宅に戻って、中庭も数枚撮って、西側の花壇とお隣の公園で、さらに数枚寫しました。

公園には、足元でスズメが遊び、ハトたちが日陰でウトウトし、見上げるとラブラブのカラスが二羽電線に止まっていたりして・・・・。