延原時行歌集「命輝く」(第2156回)(兵庫運河と神戸ウイングスタジアム)

                    

       延原時行歌集「命輝く」(第2156回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(213−5)この成果の歌、Friends!--From Father、告げし折の歌、中巻やの歌、活写の歌、もしもぞやの歌、東西プ研企画の歌、我妻やの歌、友の断想の歌、進境やいざの歌、此度はやの歌、笑み二つ輝くの歌、御文ありの歌、従順の君の歌、我言はんの歌、イエス其処より「友よ」の歌、ぽつりぽつりの歌、入来の歌、歌と笑みの歌六首、霊感凄しの歌。(2015年4月11日〜20日)

    4月15日
            進境やいざの歌六

   年来の至誠心のぞ神学に友よのテーゼ豊潤化生む
(備考:我が至誠心の神学、これ自然神学なるも、今、「友よ」のテーゼを加ふなら、豊潤化生むべし。豊潤化とは、受肉神学なるべし)

   父よりぞ聴きし全てを汝らに知らせたる故友と呼ぶなり
(備考:ヨハネ15・15、熟読参照。弟子達を主イエス「友と」呼び給ふとは、受肉神学の基本構造なり。その根源、「父より聴きし全てを弟子達に伝えたること」にあるなり。これ重要なり。この根源的要因なくば、キリスト教容易にヒューマニズムに転落すべし、近代キリスト教の堕落示せる如く。イエスのメッセージの特徴は、「父から聴きし処」の弟子達への伝達、にあるなり。これが、単に、イエスの弟子達へのメッセージ、なるならば、容易に「イエスヒューマニズム」に転落すべし。イエスのメッセージが、「父子ひらけからのメッセージ」なる故にこそ、このメッセージ復活への招請を含むものなり。滝沢が「イエスに導かれ、援けられるが、束縛されない」(『純粋神人学序説』272頁)と言ふ時、イエスのメッセージに含まれたる「復活への招請」が切り落とされたるなり。我々は「イエスのメッセージ」の超越的発源をよくよく注意すべきなり。滝沢の場合は、「イエスに束縛されぬ」と言ひつつ、超越的発源は「インマヌエルの原事実に向かう」(同頁)という言辞に保持しておるなり。近代キリスト教は、一切の超越的発源を「イエスのメッセージ」よりそぎ落とすため、全くのヒューマニズムへの頽落あり。これヨハネ福音書21章15節の「この人達のするより我を愛するか。」との誤訳(聖書協会訳、新共同訳)が示しおるものなり。拙訳「これらの物(注。舟や網や漁業一般、延いては宇宙の諸多性)を一切脱却して、それらよりも、《我》[アブラハムの生まれ出ずるより先に在る我・宇宙の中心]を愛するか。」の正統なるは、イエスのメッセージの超越的発源を明示せるにあり。心すべき点なり)

   豊潤化和解論とぞ名づくべし神空至誠子神従順(備考:受肉神学、バルトに倣ひて、和解論と言ふならば、これを今新たに含むこと我が至誠心の神学の豊潤化なり。その構造や、神や空に至誠なり、と(我が至誠心の神学を維持するべく)言ひつつ、なおさらに、(受肉神学を形成すべく)「子神に従順なり」と付言するなり。かくて、自然神学なる我が「至誠心の神学」の内に、啓示神学の内容「神の子の従順」(der Gehorsam des Sohnes Gottes, Karl Barth)を含むに至るなり。これ豊潤化ならずや)

   而してや御友神見て命じ給ふ「神至誠故汝至誠たれ」
(備考:マタイ5・48、熟読参照。受肉神学の内容や、今や、「神至誠なる如く、汝ら至誠たれ」」となるに至れり。このテーゼの前半は、至誠心の神学通り、神の空への至誠を言ふものなり。されど、「(主イエスが)神を見て、人に語る」受肉神学の二段階的特徴が加味されたるなり)

   ここにぞや宇宙中心御友のぞ見てや命ずる交互職出ず
(備考:「父を見て、弟子達に命ずる」受肉神学の二段階的特徴、「天と地」の交互和解を得させる「基督職」(宇宙の中心)として、現成するなり。バルトが「和解」と呼ぶもの、ホワイトヘッドは、形而上学的に、「交互関係」《Reciprocal Relation》[PR, 351]と呼称するも、同一事態を指すなり。間違うべからざる点なり)

   これぞこそひらけ宇宙の豊潤化至誠神学進境やいざ(備考:かくてこそ、父子ひらけへと「ひらけよ」との命出でしなり。これ復活への招請発現したることなり。我が至誠心の神学にてや、一般に「至誠たれ」との命法ありたるも、今や、受肉の神学にてや、命法「父子ひらけへとひらけ往け」との復活への招請の形成したるなり。至誠心の神学の内に受肉の神学を組み込みたる故にこそ、今や、「復活への招請」への道ひらきたるなり。これ我新著『復活の省察 [前巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』にて明示せる点にして、そこに我が進境あるなり。いざ往かん)

             此度はやの歌六

   此度はや我が神学の進境を覚したるなりいと清々し

   我妻や絶後笑み増し往きし時我が進境ぞ共々に生(な)る

   ホ氏の言ふ交互関係かくてぞや窮められたりいと嬉しきや

   しかもぞやバルト超へつつ含意せる我が懐や至誠貫徹

   自然的啓示的なる神学ぞかかるものなり我が進境ぞ

   友よとぞ主イエス呼びますその底に天父恩寵誠や凛乎

             笑み二つ輝くの歌十首

   昨日や久し振りなる床屋にて妻の古稀笑み完璧と聴く
(備考:JR新発田駅前丸井理髪店主人の談なり。過日我らが一書謹呈せり)

   誠にや不思議なるほど完璧ぞ病の蔭やかけらあるなし

   頭打ち植物人間あるひはと言はれし妻や笑み輝けり

   これほどの恩寵の笑み又となし箴言修行笑みや生みしも

   復唱や楽しかりけり第一条
    God blessed the good day
         Of self-reflection
         And
         self-dedication

   自らを省み献ぐ佳き日こそ神祝さると信子笑みたり

   この思ひ絶後笑み増し極まりて岸辺の主共妻や往きたり

   この笑みぞ死の死示せる奇蹟なり妻生涯や笑み極まりぬ

   かくなれば痛し果敢無し言ふ人やこの笑みにぞや見よや祝福

   ノーちゃんや生涯笑み増し極まれり甦りをぞ天父賜ふや(備考;2014年5月20日早朝天父我信子甦らせしとのメッセージ我に賜ひたり。実に実に実に驚きぬ)


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昨日もある法人の会議もあって出かけておりましたが、その前に急にプリンターのインクがなくなって補充が必要になり急遽、チャリンコに乗って、上の写真におさめた兵庫運河を越えて、大きなお店まで行って買い求めてきました。

帰路、サッカーのヴィッセル神戸の本拠地「神戸ウイングスタジアム」をぶらりぶらり・・・・。

黄色い新芽がまばゆい「ネグンドカエデ・フラミンゴ」の樹や「シモツケ」の花、美しい芝生、そして懐かしい「神戸市の市電」など撮りました。