延原時行歌集「命輝く」(第2135回)(神戸・相楽園)

                      

        延原時行歌集「命輝く」(第2135回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(211−4)
忽ちにの歌、御友との道の歌、新しき驚きの歌、仄々との歌、げにの歌、我にとりの歌、御声の歌、朝夕にの歌、妻笑みの歌、神学びの歌、驚きぬの歌、御声従順の歌、命ずるは言の歌、絶対他者即絶対自者の歌この時代の歌、燦の歌、天父に捧ぐ歌、我妻やの歌、嬉しきの歌、往くの歌、春の歌、面白きかなの歌、蜻蛉の歌、妻や見事にの歌、昨晩やの歌、天と地にの歌、ひらけへとひらけ飛翔の歌(2015年3月21日〜31日)

    3月24日
             驚きぬの歌一首

   驚きぬ旧著「ホ西」ぞ急上昇佛基風吹く新時代げに
(備考:『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年。只今アマゾン57,329位;神学21位なり)

             御声従順の歌七首

   父子ひらけ声や出でしや御子御声父至誠如汝至誠なれ
(備考:マタイ福音書5章48節:「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」)

   ひらけにぞ至誠なる父御姿や見てや言ふこそ御声イエス

   御声こそ父御姿を見て言ふの言(げん)に徹せりこれ従順ぞ

   御子イエス苦難に在りてひたすらに言に徹せり「御心のまま」

   何ぞ我見捨て給ひし御心を成し給へよやエロイエロイや   (備考:マルコ福音書15章34節)

   御心や言の華やぎこれ一途復活やこそ御心ぞなる

   かくてぞや父子ひらけへのひらけはや成就なりたり御旨随(まにま)に

           命ずるは言の歌二首

   驚きぬ至誠なる者のみ至誠たれ命じ得るにや命ずるは言

   御父や至誠なるにや一言も言ひ給はずや命ずるは言

    3月25日
          絶対自者即絶対他者の歌六

   主イエスはぞ父の御姿見てや言ふ父の如くに至誠なれやと
   (備考:マタイ5・48)

   かくの如主イエス絶対他者なるもエロイエロイと叫ぶや自者ぞ   (備考:マルコ15・34)

   絶対の自者なる主イエス我にとり「深き我」なり彼「我」叫ぶ(備考:「何ぞ《我》を?」と。拙著『無者のための福音ーープロテスタント原理の再吟味を媒介に』福岡・創言社、1990年、1999年、第二章「何ぞ我を?」参照)

   奇しき人主イエス絶対他者にして絶対自者ぞ矛盾相即(備考:これを「真に神にして真に人」《vere deus, vere homo》とは言ふなり)

   我妻や絶後笑み増し往きし時絶対自者ぞ底にありたり

   底からぞ笑み増さざるを得ぬや幸主イエスの底ぞ太初栄光   (備考:ヨハネ17・5、熟読参照)

             この時代の歌六

   我が旧著「ホ西」活躍著し佛基対話や時代基調ぞ(備考:『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年。神学のあらゆる項目の上部に現れしなり。驚きぬ)

   誤訳なす近代基教傲りあり垂直次元まるで見へぬや(備考:ヨハネ福音書21章15節の誤訳:「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか。」私訳:「ヨハネの子シモンよ、あなたはこれらの物(注。舟や網やペテロの旧来の生業漁業一般、延いては宇宙の諸多性)以上にわたしを愛するか。」これは、弟子たちが召されたるときのイエスの御言葉(マルコ8・34−35):「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。」に含蓄されたる《総体解除》を前提にする如くなり。垂直次元の「命」とはこれなり(マルコ8・36−37):「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか。」誤訳にはこの生命観が欠如したるなり)

   この時代我妻絶後笑み増して復活燦と示す麗し

   仏教の碩学御両所御文あり妻の還浄祝し下さる(備考:上田閑照京都大学名誉教授本年1月10日付御芳書「この度『復活の省察[上巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』ご恵送いただき、心に深く響き心の底の底に届き、私も甦りの尊うとさに心が洗われました。「確固たる人生神学」に打たれました。」;武田龍精龍谷大学名誉教授正月2日の御芳書「以前にも申し上げましたが、奥様は実に観音菩薩の化身であられました。この度はお浄土に還浄されると同時に阿弥陀如来に化佛として還相菩薩として此の三千大千世界で現に善巧摂化なさっておられます。」との有難い御言葉頂けり)

   この時代もはや実存主義や去り交互哲学華やぐや佳し(備考:交互哲学=ホ氏の言ふReciprocal Metaphysicsなり:"For the perfected actuality passes back into the temporal world, and qualifies this world so that each temporal actuality includes it as an immediate fact of relevant experience. For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase of the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasions. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351]ホ氏「復活」と「入来」の交互的形而上学を語りおるなり。これなしに、今生の現実をそれだけにて見んとする実存主義は、誠不備なり)

   一体に環境哲学考ふに天地交互のエコこそや場ぞ



今日も神戸・相楽園の写真を収めます。園内では和菓子と御茶を楽しめる場所も設けられ、結構なことでした。

相楽園は秋の紅葉のころはもとより、年中各種イベントが企画されていて楽しませていただきますが、初夏のいまの季節も、まことに結構です。

「すこやか手帳」をいただいていますので、高齢者には無料入園というのも、まことにありがたく・・・・。

池の真ん中で、亀さんたちが甲羅干しをしているのにも、ぼんやりと見惚れてしまいました。