延原時行歌集「命輝く」(第2129回)(花壇のクレマチスとジャスミンと)

                     

         延原時行歌集「命輝く」(第2129回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(210−8)
復活一周年の歌、イースタースマイルの歌、次書の歌、新たにぞの歌、今にしての歌、一周活嬉しやの歌、頭皮厚しの歌、箴言修行の歌、変貌の歌、どうもぞやの歌、夜もすがらの歌、ほのぼのとの歌、一日はの歌、新たにぞの歌、驚きぬの歌、笑みひらけの歌、思へばやの歌、我妻やの歌、我もしもの歌、友よとぞの歌、驚きぬの歌、入来歓喜の歌、命笑みの歌、箴言見事の歌、佳しの歌(2015年3月11〜20日)。

    3月18日
             我妻やの歌六

   我妻や絶後笑み増し往きし汝実存滅し栄光称ふ

   これ正にサルトル哲学逆を往く栄光こそや実存の先(備考:サルトル実存本質に先行すと宣べ、実存主義標榜せるも、これ今生の哲学なり。復活にてや一切変貌すなり。すなわち、「実存」は滅して非存在なる時、不思議にも栄光人の新しき「本質」として我らを待つなり。ヨハネ福音書17章24節、熟読参照:「父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにしてください。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい」。復活とは、栄光拝見の世界なり。見ることが救いなり。栄光は個物・実体に非ず、関係性なり。「父が子に賜はる」ことのリアリティなるゆえ、栄光はそれ自体「父子ひらけ」なり。それを「見る」とは、その内に「包まる」とのことなり。「包まれて在る」とのことなり。かくして「栄光」なる本質先行するなかにて我ら「新しき存在」与えらるるなり。これ「霊的なる人」なり。地上にては実存哲学妥当すも、復活にては栄光形而上学へと変転す。この変転表せるが、我妻の絶後笑み増しなり。すなわち、絶後なるに、笑み増すなり。何の故ぞ。主の栄光に包まるが故なり。麗しき事なり。このこと信ぜぬ人、実存哲学(地上哲学)のみが全うなる哲学と思うなり(サルトルハイデガー)。その限り、復活の美捉えられぬなり。勢い、一切を「果敢無し」と見るなり。されど真実は、「サルトル哲学逆を往く栄光こそや実存の先」なり。ホ氏はここを捉へて、「滅して不滅」”We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]と言ふなり。彼においては地上哲学も復活形而上学もHolistic Metaphysics(全体学ないし全一学)として成り立つなり。これを「交互関係」《Reciprocal Relation》と呼称しおるなり[PR, 351]。いと面白し)

   誠にや栄光在主念じつつ妻笑みつつや御国往けるや

   滅してや不滅なる事妻笑みて示したるなり不思議なるかな

   復活や実にも実にもよ笑み一つひそと輝き称へ往くかな   (備考:主の御復活尊し)

   我がぞや復活学を成し得るや一重に妻の笑みありてこそ
 

            我もしもの歌八首

   我もしも仕事仕事と言ひながら妻看ることやなくば無味なり

   我が歌や妻の笑みをぞ主題とすこれぞ宇宙の可憐なる華

   父さんは皆やって呉れる言ひたるや誠見事や歓喜妻汝

   然る故我為す事やなべてぞや歓喜妻享く幸や随(まにま)に

   事切れて間もなし汝や口丸め岸辺の主共天父笑み往く

   驚愕の驚愕なるや絶後笑みこれぞ実存滅しての栄(えい)

   栄こそや復活世界溢れける主の栄まみへ享くる身の幸

   実存の哲学滅し栄に往く一途ひたすら妻絶後笑み
          ♯             ♯

今朝も上の「3月18日」の歌に加えて「今日の歌」より次の十首を収めます。

           〇(5月3日)今成すの歌十首

   天地が交互関係成してこそ地にくさぐさの協調や出ず(備考:「地にくさぐさの協調」と言ふは文明の事なり。文明の根本性格は「協調」《Commerce》[ふつう通商と訳さるるも、ヨリ深し]なり。これ「天地の交互関係《Reciprocal Relation》」ありてこそ、それの写し《Abbild》として初めて形成すなり)

   これやこそ復活形而上学の世にぞ与ふる基本ヴィジョンぞ(備考:我が最新論文『「世界への愛」とプロセス哲学――ホワイトヘッドの冒険ないし復活形而上学をめぐって』(『桃山学院大学キリスト教論集』第50号、2015年3月、13−46頁)この基本ヴィジョン描きたるなり)

   御友こそ天地の間和解成す御声や下る「我が羊飼へ」
(備考:ヨハネ福音書21章15,16,17節に在る御友の「我が羊飼へ」との御声、宇宙における最も根本的なる「宇宙命法」なり。これ復活させられたる者達も今生の者達も聴従すべき「掟」なり。「愛の掟」[ヨハネ福音書15章12節]これに他ならず:「わたしのいましめは、これである。わたしがあたながたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」興味深き事に、「天地の間の和解」カール・バルトの和解論の主題なるも、ホワイトヘッドは復活形而上学の立場より「交互関係」として窮めたるなり)

   「本作る父さんやって」我が妻や御神与ふる仕事述べしや
(備考:本とは「復活の省察」三巻本の事なり。それ作ること我妻2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクターのご質問「何したい?」に応えて言い表わしたるなり――但し、「本作る。父さんやって」と言ふ風に、協働作業なるものとして。これ我「我ら妹背の天与の仕事」と受け止めしなり。今や、妻天にて、我地上にて、一つの仕事に従事せるなり。これ我ら妹背にとり「わが羊飼へ」との御友の命法への聴従行為なり。尊し。妻入来必然の事なり)

   今にして我悟りたり省察本天与の仕事妹背成すなり

   若き日に赦しこそ即再派遣とぞ学びしを今ぞ成す時(備考:Re-missio Peccatorum[罪人達の赦し即再派遣]とは、前巻第二章に記したる如く、ヨハネ福音書21章の我が読みなりき。今、第二巻成すや、これなり。『Re-missio Peccatorum』のコンテクストや我妻絶後の笑み増しなるとは、我今にして知るなり)

   確としてヴィジョン定まり妹背共宇宙任務に就けり嬉しや
   (備考:でや、ノーちゃん。嬉しい嬉しい、父さん)

   絶後にや笑み甦り御声あり我が羊飼へ妹背協働

   死なねばや復活省察書けやせぬ笑む妻のぞや心意気是

   我やしも妻共々に「羊飼へ」御友の御声聴きて生くるや

補記 「今日の歌」の次の歌三首も加えます。

          〇(4月3日)いよよの歌三首

   昨日やジュンク堂にぞ赴きつアンセルムス本いよよ出すかと

   学術の我が使命ぞやAnselm’s Argument and Buddhist Wisdom今完成したる(備考:Texas Christian Universityにて教鞭とりし1982年に書き始む。以来三十三年、七章なり)

   邦訳本日ノ本にてや上梓せば時宜に適ふと言ひ得べきやも
   (備考:『アンセルムスの神証明と仏教的智慧』なり)  



今日は日曜日で「憲法の日」の祝日ですが、昨日の午後は、例年の通り「神戸憲法集会」が神戸芸術センターの大ホールで開催され、沖縄の前泊博盛さんと東京新聞の半田滋さんのお話をたっぷりとお聴きしてきました。

上の写真は、会場の神戸芸術センターのある新幹線「新神戸駅」前の「新生田川」の景色です。


今回の写真は、私たちの花壇のいまです。

クレマチス(テッセン)がますます美しく、加えて中央のジャスミンの花たちが、豊かな香りを漂わせて、一斉に咲き始めている景色です。