延原時行歌集「命輝く」(第2128回)(「サントリー山崎蒸留所」)

                     

        延原時行歌集「命輝く」(第2128回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(210−7) 復活一周年の歌、イースタースマイルの歌、次書の歌、新たにぞの歌、今にしての歌、一周活嬉しやの歌、頭皮厚しの歌、箴言修行の歌、変貌の歌、どうもぞやの歌、夜もすがらの歌、ほのぼのとの歌、一日はの歌、新たにぞの歌、驚きぬの歌、笑みひらけの歌、思へばやの歌、我妻やの歌、我もしもの歌、友よとぞの歌、驚きぬの歌、入来歓喜の歌、命笑みの歌、箴言見事の歌、佳しの歌(2015年3月11〜20日)。

    3月17日
            思へばやの歌十二首

   思へばや恩師書簡のゼミ通じ哲学の道教はりし我

   一介の開拓伝道挺身者かくて哲学目覚め往きたり

   此度はぞ我や学びし集大成滝沢哲学省察脱稿   (備考:『滝沢哲学のアンセルムス的省察』と題す)

   書中にや三十一年振りにぞや五通御書簡収めし嬉し

   渡米してクレアモントに学びても師の文やあり九十五通

   滝沢とプロセス学を併せては我が思索はぞ道拓きけり(備考:その一つ:"Analogia Actionis: A New Proposal for Christology ‘From Below’,” Union Seminary Quarterly Review, 39/4, 1984, 269-284.印刷前に恩師ご高覧あり。されど、刊行時には恩師おはさず、無念なりき。この論文一本にてWho's Who in Biblical Studies and Archaeology in Americaにノミネートされ、全米に知らるに至りたるに)

   満ち足れる心豊かに今日の日は微睡む如く過ごしたる我

   笑む妻や天父御許にあるなればこの微睡ぞ心地佳き哉

   つらつらと恩師書簡と我が便り編む日や如何思ひつつあり

   さうなると我が執務室整備してやがて友らと研究会か

   復活の家建てしはぞ佳かりきと妻と語りしあれは何時

   一寸はや小奇麗にぞやしてからの話しぞこれは鬼や笑ふも 

          ♯             ♯

今朝も上の「3月17日」の歌に加えて「今日の歌」より次の五首を収めます。

           〇(5月2日)この道やの歌五首

   如何にして御友愛せし如くにや人愛し抜くことにし成らん

   人愛す命ひたすら御友共甦り往く祈るほかなし

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ
   (備考:復唱)

   この道や我妻絶後笑み増して往きし如くに笑みかくる道

   我妻や生涯の果て我と共笑みの本生す欣求したるや

補記 次の「今日の歌」四首も併せて収めます。

          〇(4月2日)哲学やの歌四首

   哲学や今ぞ交互の構想ぞ実存滅し栄光不滅
(備考:ヨハネ17・24、熟読参照:「父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られるまえからわたしを愛して下さって、私に賜わった栄光を彼らに見させてください。」哲学の主題は、今や、「実存」でも、「世界内存在」でも、「深き低み」でもなきなり。実存の、栄光への、移行(われの言ふ「飛翔」「大変貌」)なり。是論ぜざれば、宇宙の「交互形而上学」《Reciprocal Metaphysics》なる大構想宇宙哲学の中心なるを知ること能はず。人生が、ホ氏も見る如く、「滅して不滅」"We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]なれば、それに合致したる哲学「交互形而上学」なり。実存哲学復活知らぬ学問なり)

   偉大なるホ氏の構想天地をば包みて御友一切中心(備考:偉大なる一節これなり:”In the fourth phase [in which the universe accomplishes its actuality], the creative action completes itself. For the perfected actuality passes back into the temporal world, and qualifies this world so that each temporal actuality includes it as an immediate fact of relevant experience. For the kingdom of heaven is with us today. The action of the fourth phase is the love of God for the world. It is the particular providence for particular occasion. What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven passes back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351])

   恩師のぞ深き低みや世界内存在と共ひらけ仰げや
(備考:「深き低み」は滝沢にとり「インマヌエルの原事実」の事にして、ヨハネ福音書1章1節第一項にある「太初のロゴス」の事なり。これ、我に依らば、同第二項「ロゴスは神と共なりき{pros ton theon]」を仰ぎ、包まるるなり。後者こそ、宇宙における「一切包括者」なり。我「父子ひらけ」と呼ぶなり。「一切包括者」必ず「太初のロゴス」すなわち「この世の始」として自己表現為すこと、恩師の純粋神人学の基礎範疇なり[『純粋神人学序説』272−273頁、熟読参照]。後者の前者への移行、恩師の関心になきなり。かくして、純粋神人学「実存哲学」「世界内存在学」の範疇に止まれり。これ恩師「深き低みのさらに下に往くことなし、その必要なし」[274頁]と言はる所以なり。我に依れば、「深き低みの底に下るとき、そこに父子ひらけ待ちおり、その底部なる御子よりその頂上天父まで飛翔成す」逆理、宇宙の理なり。すなわち、復活事理これなり。滝沢も、サルトルも、ハイデガーも、実存主義哲学者たちはこれ知らずなり)

   我妻や絶後笑み増し誠にや交互宇宙の幸享くるかな(備考:2014年3月11日絶後、12日の夜棺の蓋を開けて、妻の「口丸めたる笑み」見し時、我直覚せり。妻、宇宙ひらけを称へ笑むなりと!この直覚なしに我が「復活の省察」、我が「交互形而上学の」了解なし!妻の絶後笑み増しこそ、我に実存哲学超ゆる「復活形而上学」を見せしなり。驚くべきや)



中庭の花壇に、ひそと咲いているスズランです。

爽やかな連休の朝です。本日の写真は、昨日UPした大山崎駅山側すぐの大阪水上隣保館界隈の散策のあとお訪ねした「サントリー山崎蒸留所」です。

朝ドラの「マッサン」で脚光をあびて見学者も絶えないスポットですが、蒸留所内部の案内に加えて、「山崎」や「白州」の試飲なども楽しませてもらい、美しい庭園もゆっくりと・・・・。

最後に、一羽のツバメも添えて置きます。






最後に、シャクナゲとツバメと・・・