延原時行歌集「命輝く」(第2123回)(花壇のクレマチスなど)

                    

        延原時行歌集「命輝く」(第2123回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(210−2) 復活一周年の歌、イースタースマイルの歌、次書の歌、新たにぞの歌、今にしての歌、一周活嬉しやの歌、頭皮厚しの歌、箴言修行の歌、変貌の歌、どうもぞやの歌、夜もすがらの歌、ほのぼのとの歌、一日はの歌、新たにぞの歌、驚きぬの歌、笑みひらけの歌、思へばやの歌、我妻やの歌、我もしもの歌、友よとぞの歌、驚きぬの歌、入来歓喜の歌、命笑みの歌、箴言見事の歌、佳しの歌(2015年3月11〜20日)。

    3月12日
             新たにぞの歌四首

   新たにぞ拙著三冊企画中『アンセルムス』や『哲学喜』など
(備考:バイリンガル本『アンセルムスの神証明と仏教的智慧:Anselm’s Argument and Buddhist Wisdom』;『哲学の喜び――チェンジの時代に、根底を示す滝沢語録を読む。』;『しるしとアナロギア問題――「イエスとキリスト」をめぐって』なり。ブログ本にては、公開中なり)

   いずれもやイースタースマイル誘ふあり岸辺の主共神学びせむ

   今日の日や「ホ西」「復省」上昇す何がおますか知らねどもぞや
(備考:『ホワイトヘッドと西田哲学の<だいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年;『復活の省察[上巻]ーー妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂、2014年なり)

   妻がぞや我が本作り入来す然るが故に心一つに

             今にしての歌三首

   今にして思へばやげに朗々と箴言三十妻や唱ひぬ(備考:一日も欠かさざりき。頭脳益々明晰なりき。これ驚きにして摂理なりき)

   我と共箴言修行為し終へし妻にありたり御国の備へ

   甦りなりたる妻や今生の果敢無き見地超え往きてあり

            一周活嬉しやの歌八首

   豊中の義妹からぞやおはぎ来るご近所様の花束や謝す

   ノーちゃんや皆さま方に憶えらる汝が身幸せ如何に嬉しき

   我らが書読むや心や暖かし友の言の葉心沁みたり   (備考:ご近所様渡辺正樹氏のお言葉なり)

   何よりも妹背共々箴言を詠みし三年一つ心や

   一心のその果てにぞや生まれける汝が絶後笑みイースタースマイル

   イースタースマイル掲げ本や出ず今生超ゆるいのち語りつ

   友やこそ絶後笑み増す我妻のイースタースマイルほむる嬉しや(備考:尊敬する敬和学園大学の同僚名誉教授北嶋藤郷先生昨日メールご芳書ありたり、深謝無尽も!:「延原先生 拝啓 寒い日になりました。本日はご令閨の没後一周年記念日ですね。延原先生は、ご令閨への追慕の詠歌を生活の糧として、強く、明るく、日々を送られておられることを、嬉しく存じます。ご令閨のイースタースマイルも忘れられません。これからも延原先生のご健筆とご健勝を祈念いたしおります」)

   さて今日もジュンク堂にや出かけてや汝がスマイル本観るや時得む

              頭皮厚しの歌一首

   箴言を見事復唱成せし時妻や述ぶるや頭皮厚しと
(備考:手術の痕の頭皮気持ち佳しとの感触を言ひしなり。ノーちゃん、不思議なことやったなあ。そう、箴言薬や、父さん。そうか、御国まで往く薬やなあ。そやねん、父さん、嬉しい、嬉しい)

        ♯               ♯

今朝も上の「3月12日」の歌に加えて「今日の歌」より次の十首を収めます。

         〇(4月27日)御友真理の歌十首

   我がぞや学びし真理御友はや純粋神人学や破るも

   純粋の神人学や何言はん中間底や内容ならず(備考:中間底=Middle Axiomを撥無する滝沢の言:「神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。それは神人学が通俗の意味で「抽象的普遍的」に思弁するからなのではない。まったく逆である。神人学があの絶対的に偶然的な、ただ生ける神ご自身によって神ご自身の自由な表現点として規定された人間存在に、かたく結びついているからなのであって、この規定された人間存在を離れては、いかなる特殊的、具体的にして史的な形態も、この世界には現実として存在できないのである。」『純粋神人学序説』272頁)

   「友よ」との我が神学や何言わん父から聴きて人呼ぶ御友
   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   此処ではや超越起源人接す理こそや御友なりけり

   これやこそ絶対矛盾自己同一純粋破る奇蹟なりけり

   我やこそ神表現の純粋態などにあらぬに「友よ」と御声

   罪の我にもかかわらず「友よ」とぞ御声ありたり御友いませば

   滝沢の神表現や何あらん偶有にして神示すとか

   誰がぞやその事知らむ答へはぞ哲学者なる滝沢一人

   謙虚にも父から聴きて「友よ」とぞ我らに告ぐる御友慕はし

補記

さらに「今日の歌」に重要な次の二十首が加わりました。

      〇(4月27日)驚きぬ不可逆真理の歌
       :滝沢哲学三原理(不可分・不可同・不可逆)再解釈に
        因みて二十首

   驚きぬ御友呼びかけ何あらう不可逆真理示されけるや

   かくて我滝沢哲学三原理不可分不可同不可逆悟る

   不可分や神人間のその底に父子ひらけのぞ控へしの様   (備考:ヨハネ1・1・第二項:父子ひらけ仏教にては空性なり)

   神人の一体なるや決してぞ神属性に非ずしてこそ

   一体や実在其の物ホ氏の言ふ創造作用仏教の空

   不可分に神人共に至誠なる存在論ぞ万物境位(備考:The problem of ontological loyalty by God and creaturesと言はんか。この境位こそ、勝義の「自然神学」の課題なり)

   これ正に太初のロゴス示すもの存在論的至誠原理ぞ

   これはぞや有無や言はせぬ境位なりただ問はるるや態度の誠(備考:The problem of attitudinal loyalty by God and creaturesと言はんか。この境位こそ、「自然神学」から「啓示神学」への移行を示すなり。因みに、バルト達の「自然神学」への”Nein!”は、万物の存在論的境位としての「存在論的至誠」を見極める道理をそのものとして明らかにせぬものなり。「存在論的至誠」は、仏教では、空即縁起なり)

   あるがまま存在至誠承けてぞや神も人もや誠尽くすや

   事実はや神のみ至誠尽くし給ふ人は無明に落ちてや不誠

   ここにぞや不可同明ら天父がぞ全きがごと汝もかく在れ(備考:マタイ5・48、熟読参照。これ重要成る「不可同」のテキストなり。イエス明示し給へり。主イエス天父を観、人に語るの仲保者・御友なり)

   不可同を超ゆるは何ぞ御友のぞ愛の呼びかけ「友よ」なりけり

   これ正に不可逆にして父よりぞ発して人に「友よ」呼び掛く
(備考:ヨハネ15・15、熟読参照。これイエスの「啓示神学」示す最重要のテキストなり。因みに、恩師の純粋神人学のアイデアでは、啓示神学捨象されたるなり。其のモチーフは、事実上、自然神学の境位なり。されど恩師、カール・バルトの用語法に押されて、「自然神学」の言辞用いること躊躇せること、周知の如し)

   ここにまで辿り来りて御友のぞ「友よ」の御声恩寵と知る(備考:因みに、滝沢純粋神人学にてや影をひそめしもの、啓示神学的恩寵論なりとは、不可解至極の事実なり)

   かくしてや「友よ」神学滝沢の三原理をぞ再解釈す

   恩師はぞ三原理をば同一の存在論の境位にぞ見し

   我や見る存在論や態度論恩寵論に変転すべし

   三原理再解釈の果てにてや御友尊さ謝する我なり

   父子ひらけ太初のロゴス御友あり神人間の不思議是なり   (備考:広大無辺宇宙における「三段階の不思議」と言はんか)

   形而上根源論や救済論いずれも「間」実にも神秘ぞ(備考:形而上学的「間」、根源論的「間」、救済論的「間」いずれも混同すべからざるものなり。父子ひらけ、太初のロゴス、御友の開示宇宙にありや。而して御友の御声「友よ」ありて、我らこれら三段階を逆に遡行する「甦り」に浴するなり――友飛翔恵まれつ。何たる歓喜ぞ、この宇宙に生享けしは!我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す)


今年も私たちの花壇にクレマチス(テッセン)の花が美しく咲きました。

昨日は「NPOまちづくり神戸」の定期総会が兵庫人権交流センターであり諸報告と共に新たな事業計画を決めて懇親の時をもちました。沖縄・辺野古に行ってきた方の泡盛を飲み交わしたりして・・・・。

本日は、クレマチスと共に藤棚のフジの花やツツジなど収めます。