延原時行歌集「命輝く」(第2122回)(深田未来生先生の賀川講演を聴く)
延原時行歌集「命輝く」(第2122回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(210−1)
復活一周年の歌、イースタースマイルの歌、次書の歌、新たにぞの歌、今にしての歌、一周活嬉しやの歌、頭皮厚しの歌、箴言修行の歌、変貌の歌、どうもぞやの歌、夜もすがらの歌、ほのぼのとの歌、一日はの歌、新たにぞの歌、驚きぬの歌、笑みひらけの歌、思へばやの歌、我妻やの歌、我もしもの歌、友よとぞの歌、驚きぬの歌、入来歓喜の歌、命笑みの歌、箴言見事の歌、佳しの歌(2015年3月11〜20日)。
3月11日
復活一周年の歌八首
熱誠の友祝ひ花贈り給ふ有難きかな有難きかな
(備考:祝ひカード:「祝福のもと、暖かな雪の降る日々、共に歩む歓びに感謝 鳥飼」とあり、深謝無尽も)
今日は妻一周活や本出でし歓び夙に天地賑はふ
妻いのち父さんやって本作るこの意欲にぞ溢れたる哉
この意欲一本成るに輝くやとくと学べりさて中巻へ
我妻や絶後笑み増し誠にや一本成るの予祝歴々
かくてぞや復活調べ朗々と響き渡れり日ノ本に春
高齢者運転講習高得点何の幸ひ嬉しき事や (備考:昨日の事なり。これも我にとりてはこの春の祝ひなり)
仄々と我や悟りぬ我妻の絶後笑みただ復活主称ふ
復活主称ふものこそ絶後笑み如何に我妻恵まれたるや
復活の歓び溢る我らが書天地に響くハレルヤの声
イースタースマイルの歌五首
我妻の絶後笑み増し我はしもイースタースマイルとぞ呼ばんかな
日ノ本の誤訳教をぞ蹴破りてイースタースマイル実にも嬉しき
イースタースマイル浮かべ我妻や絶後岸辺の主ぞ称へ往く
この岸や嘆きの里にあるなれど主永久の岸伴ひ給ふ
我妻や岸辺の主ぞやましますにイースタースマイル実にも実にもよ
次書の歌一首
我らがぞ次書名付けては笑みの書ぞイースタースマイル実に実に実にも(備考:『復活の省察[中巻]――妻と歌う:人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ』[However miserable you may be, if you see God with us from the back, you smile.] 』なり)
♯ ♯
今朝も上の「3月11日」の歌に加えて「今日の歌」の内の次の十二首を収めます。
〇(4月26日)友達作りの神学の歌十二首
主イエスがぞ天の父如全かれ言ひし時にや友としてなり
(備考:ヨハネ15・15の「友と呼ぶ」は、マタイ5・48の「天の父の如く全かれ」の深化なるが如し)
日々に明なる道主イエスのぞ御父しめすや御友なる道
恩師言ふ神表現ぞ人規定何故御友告げし言はぬや
主イエスより導かれしが縛られぬ恩師言ふやも御友いませば
(備考:恩師の言御友いませばこその言なり)
滝沢の神人学や間にぞ御友ありてぞ学たり得べし (備考:これ我が確信なり)
間とは純粋神人学のぞや盲点にして御友満たせる
(備考:恩師「史的・具体的中間項」を純粋神人学の本来の内容に徹底して容れざるなり。実際には、間御友満たせるなり)
滝沢の神人学や御友をぞ称へぬだけに媒介ぞなき
いかでかや純粋だけで学ぞ成る御友ありてぞ神人や学
人がぞや原事実にや向ふとや言ひ得るものか御友なくして
(備考:これ恩師の「インマヌエルの原事実に向かう」と言ふ一節の決定的盲点なり。『純粋神人学序説』272頁、参照:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆な神と人間の関係に向かうのである。したがって、神人学はその本来の内容として特殊的・史的な形態を内に持つことはできないし、ゆるされないし、また持とうとはしない。」否否否、「特殊的・史的な形態」なる御友(ロゴスの受肉の姿)在りて「友よ」と呼びかけ給ふゆえに、我らは、「父子ひらけ」に向ふことや成るなり)
我やそも御友の学を学びつつ友達作りぞ神学と言はん
(備考:日常卑近なる「友達作り」こそ、「御神より一切のこと聴きて我らに告ぐる御友」の呼びかけある故に、神学びなるなり。これ具体的なる、友達づくりの行為の世界なり。今日も我、病ある人に新潟駅の田中屋より笹団子贈りし――御友の促しに応へたるなり。神学即行動なり。単に抽象的なる神思索に非ず。十分に瞑想して断固決行すなり)
我妻や最高に幸父さんが皆やり呉れる言ふや嬉しや
夜になりさらに学びし御友ぞや友飛翔成す御方とぞや
一昨日に続けて昨日も賀川記念館にでかけました。上のステンドグラスは記念館4階にある逸品です。この日は「賀川豊彦召天55周年を記念し、「私を生かす賀川豊彦の姿」と題して講演をされる深田未来生(みきお)先生です。
かつて「賀川生誕100年記念」の折(1988年)、京都の新島会館で深田先生と田畑忍先生、そして涌井安太郎氏と共に想い出深い集いをいたしましたが、このたびも、「新川時代」より賀川豊彦と歩みを共にされたご両親ーー父・深田種嗣牧師と母・志ささんーーと未来生先生ご自身の歩みを賀川豊彦との姿と重ねながら感銘深いお話をお聴きすることができました。
深田先生の御家族は、延原先生御夫妻とは米国クレアモントでの研鑽の時親密な交流を持たれていたようで、ご夫妻の著書『復活の省察ー妻と歌う』(上巻)を手渡し、大変よろこんでいただきました。加えて、深田先生が大切にされていた種嗣牧師の所蔵ファイルを三冊お借りすることもでき、早速昨日は自宅に戻ってコピーなどさせてもらいました。
本日は、そのファイルと共に、講演の前に館内のカフェ「天国屋」で昼食を共にした折の深田先生のお写真、そして昨日の生田川公園と25日から始まっている「インフィオラータこうべ2015」(1997年に始まって19回を迎えるチューリップの花びらを敷き詰めて絵を作る催しで今年は5月4日まで開催される)の写真を数枚収めます。