延原時行歌集「命輝く」(第2118回)(延原さんと三木・金剛寺墓園へお墓参り)

                    

        延原時行歌集「命輝く」(第2118回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(209−7)悲喜世界の歌、旨としてこその歌、命懸けたるの歌、あとがきの歌、変貌の歌、安しの歌、箴言修行の歌、主の祈りの歌、箴言第十二条の歌、歌の歌、往くの歌、華の歌、今日の日の歌、脱稿の歌、箴言一途の歌、一書成る時の歌、福音街道の歌、ふと思ひの歌、しみじみとの歌、歌とはぞの歌、尊しの歌、蓋然性か笑みかの歌、アバ父の歌、復活の解の歌、有難しの歌、一心の歌、思へばやの歌。(2015年3月1日〜10日)

    3月7日
             脱稿の歌二首

   この春や二著ぞ脱稿我が思ひ超へし御旨の成すや随(まにま)に
(備考:『「変貌論」の時代』3月1日;『滝沢哲学のアンセルムス的省察』3月6日)

   これやこの復活省察初巻出で勢ひやげに入来の時   (備考:ノーちゃん、やっとるな。えへへ、父さん)

            箴言一途の歌六

   センターの実録我や見惚るるや復活助走妻励み往く
(備考:新潟県立リウマチセンター:2011年2月4日~6月13日の実録今日見しなり)

   箴言を作る毎にや尿閉を脱しゆく汝著しくも

   日に日にや深く御神に抱かるる我妻の幸喩え様なし

   四十年我に哲学学びしと謝しつつや汝箴言見事(備考:殊に第七条なり:”I am living in the secular world. And yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan because Japanese society is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.”)

   日に日にや自信溢るや我妻よGod blessed the good dayとぞ喜色満面

   かかることあり得べきかと人方の見惚れる信子箴言一途

           一書成る時の歌十二首

   永き間に書き綴り来し我が文や瞬時にしてや成るや不思議も
(備考:成るとは脱稿の時なり。此度は『「変貌論」の時代』と『滝沢哲学のアンセルムス的省察』成れり)

   その時や深く時代と結びてや御旨遂げむと飛び立つの日ぞ

   かかる様幾度我や経巡りし本作るとは成るを識る快

   我妻も病中箴言綴りては一書成る時楽しみし哉

   楽しみや絶後笑み増し越へ行きて一本を見る妻未来生

   これやこそ復活省察前巻ぞ我らが宝妹背の一書

   ジュンク堂この書見むとて経巡りて歩み往く時喜びや満つ

   妹背共箴言修行なししもの半世紀なる省察満たす

   我が思索完成の日と妻箴言二本の道や合するや佳し

   ふたつ道一本の道成りてぞや復活省察遂に現る

   過日はぞ本成る快を又や得し願わくはこれ時代に資せむ

   幾度も危機乗り越へて本見たり「変貌論」と「滝沢」如何

            福音街道の歌十二首

   主イエスがぞ友よと呼ばる瞬時にぞ復活助走道や人生   (備考:ヨハネ15・15、熟読参照)

   その果てに父子ひらけ待つ喜びや我妻や往く尽きぬ永久里(とわさと)   (備考:ヨハネ1・1・第二項;ヨハネ17・21−24、熟読参照)

   「友よ」から「父子ひらけ」まで一途なりこれぞ正にや福音街道(備考:ヨハネ15・15→ヨハネ17.21。マルコ8・34−38。主題は「自分の命」なり)

   生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ
   (備考:復唱)

   甦り今生にてや助走なし絶後笑み増し妻のごと往く

   この道や地より天まで至る道一途なりけり道も心も

   今生にアバ父悟るのみならず深き低みの底ぞ飛翔す

   我らのぞ心洗はるのみならず実在変転先往くやこそ
(備考:ホ氏言へり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])実在変転即ち復活なくば、「単なる望み」[第一コリント15章19節]あるのみなり)

   恩師はぞ深き低みの下ぞなき言ひて閉じたり逆転飛翔
(備考:「インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みに置かれており、そこに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできもしないし、またしようともしないのである。」滝沢克己著『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、274頁。「深き低み」をハイデガーの世界内存在の底、アリストテレスの不動の動者となすは、誘惑なり。されど、我は、「陰府にまで下り給へる謙りの主」下りて底にまで広がれる「父子ひらけ」の底部に至り、其処より「父子ひらけ」の頂上部、すなわち御国まで、飛翔されたるを信じ喜ぶものなり。ただ存在の低みにあるもの、絶後の人を救うことなし。ただ飛翔をなさしめる者のみ、救うなり。これ我が深き確信なり)

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ福音街道ひそと示すや

   ひそと笑み御国昇りしノーちゃんや宇宙ひらけを示し往きたり

   新教の上限はぞや罪赦しなどて絶後の復活言はぬ(備考:「罪赦し」の最大表現はカール・バルトの『和解論』なるも、そこに甦りの省察なし。笑みひそなるもこれに勝るや)

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昨日は午前中、三木市金剛寺墓園において、延原家のお墓参りをいたしました。天候も回復し、美しい自然の中、爽やかな風と澄んだウグイスの鳴き声に囲まれて、延原さんと共に墓前の礼拝に加わらせていただきました。祝福された豊かなひと時でした。

昨年、信子夫人の納骨式が執り行われたあと、上にある墓石に新しく「IXIA!」の刻まれ、このたび初めてこれを目に留めることができました。真言宗の墓園にこの称名が共にあることに深い感銘を覚えました。

この後、三木市内にお住いの延原さんのお兄様ご夫妻をお訪ねしゆっくりと・・・、延原さんは午後4時前には帰路に着かれました。

今朝のメール便には、次の歌が添えられています。

   墓参から遠路帰りて夜中にぞはっさく食し梅茶漬けよし    

さらに、ただいま「今日の歌」も届きましたので、早速ここにその中から次の四首を収めさせていただきます。

         〇(4月22日)墓前礼拝の歌四首

   我妻の墓前礼拝なしたるや凛たる春や讃美響くも
(備考:21日午前三木市金剛寺にて我妻墓前礼拝なしたるなり。我讃美歌四曲墓前リサイタルなせり)

   延原家墓麗しや義妹友心尽くしの華にしあれば
   (備考:佐々木順子姉、鳥飼慶陽師、見事なる華供え給へり)

   我やしも墓前献歌や四曲を心の限り独唱の時

   三人の祈り合はせて献げたり妻笑みてあり入来感ず

   金剛寺新緑まこと輝きてありIXIA!輝きてあり
(備考:霊位に「延原信子IXIA!」とあり。イクイアーメンと読むべし。イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!の略記なり、尊し)

昨夜は、地元の「まちづくり協議会」の定期総会があり、あとはゆっくりと・・・・。

本日の写真は、金剛寺の美しい景色を数枚収めます。今日も好天気です!!