延原時行歌集「命輝く」(第2108回)(「いけばな神戸展in DAIMARUミュージアム)

                  

       延原時行歌集「命輝く」(第2108回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(208−5)
妻ぽつりの歌、歌こそはの歌、復活歓喜の歌、ひらけ宇宙の歌、箴言第十条の歌、天が下時や在りの歌、嬉しもの歌、はての歌、箴言第十一条の歌、このところの歌、今朝の歌、変貌論の時代の歌、頭下がりぬの歌三首――復活省察物語の講評に就きて、驚きぬの歌、笑みと雪の歌、所得しの歌、新文明の調べの歌、一つ心の歌、主友なるの幸の歌。(2015年2月21〜28日)

    2月25日
            変貌論の時代の歌七首

   何人も復活をただ論ず不可その間にも汝いのち脈々

   死するをぞただ没すると言ひおるや世の人何故に変貌言はぬ

   良寛が散る紅葉とぞ詠ひしや今生還浄大変貌ぞ

   我妻が絶後笑み増し往くやこれ大変貌を遂ぐる最中ぞ

   御国往くそも如何にこれ変貌の命なるかや人や知るべし

   この時代変貌のぞや尊さをつぶさに知りて称ふべきぞや

   畢竟ぞ今生永久に続かずや命変貌遂ぐるこそ幸

     頭下がりぬの歌三首――復活省察物語の講評に就きて

   先達の御文読みつつ我が歌の御講評にぞ頭下がりぬ(備考:小野寺功清泉女子大学名誉教授御書簡2月20日付拝受、感謝無尽も:「立春を過ぎてもきびしい寒さが続いていますが、お変わりもございませんか。
 私の方は二月に入って珍しく風にやられ、以来不調に悩まされましたが、ようやく回復してきました。体力が衰えたせいか、自転車から転落し、顔面に傷を負ったり、老年の悲哀を味わいました。
 敗戦後七十年、ひたすら精神再建のアルキメデスの基点を求めて遍歴を重ねて参りましたが、現在やっとこれが確立されたばかりです。
  「西田哲学から聖霊神学へ」―要するに西田哲学はキリスト教の立場からは、聖霊論的自覚の論理であるというのが、私の決定的見解です。
  上智大学の大学院時代、「三位一体の於いて在る場所」という発想を見出して以来、しべての論文はその論証にあてられてきましたが、この直観が誤りでなかったという確信がせめてもの救いです。
  聖霊論はともかく、聖霊神学の成立のためにはやはり論理が不可欠です。対象論理と場所的論理を統合する場が、二十一世紀に求められていると思います。そして西田・田辺・鈴木亨と続く日本哲学の系譜は、確実にこの方向を辿っているというのが、私なりの研究成果です。
  またもう一つの主流というべき西田・田辺・西谷・上田といった宗教哲学の系譜も、エックハルトを介して「三位一体の場の神学」と無縁ではないと考えています。これをどう具体的に展開するかが今後の課題です。これが「対話論神学の地平」で志向されている「大地からてんへ」の「内在的超越」の道と深く接するものであることは言うまでもありません。
  先日お送りいただいた「風の便り」1月21日の「復活省察物語の歌二十五首」以下の文をゆっくり拝読しました。そして文字通り「短歌神学」にふさわしい多くの示唆をいただきました。
  私は専門的には、ハイデガーから哲学を始めましたので、in der Welt sein という言葉は、よく理解できました。しかしハイデガーでは解決できず、西田を経由してカトリシズムを志向するようになりました。その間に鈴木亨先生と出会い、滝沢神学を知ったことは、私にとって幸いでした。
  いつか私のところに送ってこられた河波早苗さんの記事に、滝沢先生が、奥様に遺言はいわぬ「神様の空間に復活し、永遠のいのちを生きるのだ」といった内容があり、深い感銘を受けました。
  「復活省察物語」の深い真実は、このことにつながっていると思いました。しかもそこには「御国に昇る今生の道」が示されており、「我妻と往く宇宙の笑み」とはこれまでにない究極の表現と存じます。
  かつて上智のあロイス・デーケン神父は、真のユーモアとは「・・・・・にもかかわらず笑う」ことだと言われ、「天国はユーモアに満ちている」と証言されました。私はこの時キリスト教のユニークさを心の底から受けとめることができました。私はこうしたことも想起しながら「笑み増す妻」の復活信仰の真実を受けとめたいと願いました。
  その外にも「要するに恩師思考ぞ二対立三極目のぞ祈り知らずや」という原事実の歌なども特に心に残りました。
  「我悟る原初入来助け主聖霊の火や妻佑けなり」
  「大乗基督教笑み増しなり。我が新発見なり」
  色々お聞きしたいこと、話しあいたいことが沢山ございますが、再読、三読して理解を深めていく所存です。現在カトリックでは、奥村一郎神父や親しかった井上洋治神父が亡くなられ、淋しくなりました。奥村神父や井上神父も「日本の神学」を求めて努力されましたが道半ばであったと思います。これらの成果を継承し、一歩でも二歩でも前進させ、第二バチカン公会議の要請に答えたいと思います。
  今後ともよろしく御指導のほど、お願い申し上げます。
  とりあえず御礼まで。
  二月二〇日         小野寺 功
  延原時行様」

   誠にや復活省察核心に触れ給ふ師の御文尊し

   先達の笑み増す妻の真実を受けとめ給ふ御心深し
       ♯               ♯

本日の日曜日の朝、いつものように上の「2月25日」の歌に加えて、今朝届けられた「今日の歌」の中から、ただ今ずんずん進んでいる『復活の省察ー妻と歌う』(中巻)を詠う八首を収めます。

         〇(4月12日)中巻やの歌八首

   中巻や巻頭言に我が歌を打込むごとに心弾むや

   この巻や主イエス「友よ」と呼ぶ果てに我や見極む父子ひらけこそ

   「友よ」こそ宇宙人生心なりひらけにひらくいのち言葉ぞ

   英文の追悼文集華やかに繰り広げるや海外の友

   渾身の「世界への愛」巡りてぞ成りし嬉しや形而上学

   実録はセンターにての箴言ぞ妹背作るや痒み取れゆく

   これ奇蹟妻の病の快癒あり日々修行近き神見ゆ

   その模様我が忖度歌辿りゆくノーちゃん心ひらき示すも

今年も大丸神戸店のミュージアムで「いけばな神戸展」が開催されています。ご近所の知り合いから招待状をいただいて出かけました。春を先取りしたいのちの息吹きをいっぱいに漂わせていました。神戸らしく外国の方々の来場もあって、和みのひと時でした。会場は女性の皆さんに占拠されていて男性は肩身の狭い感じも致しましたが・・・。

この催しは明後日まで(4月14日)まで開催されています。神戸新聞の記事も添えて置きます。