延原時行歌集「命輝く」(第2104回)(花壇のチューリップなど)

                 

        延原時行歌集「命輝く」(第2104回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(208−1)妻ぽつりの歌、歌こそはの歌、復活歓喜の歌、ひらけ宇宙の歌、箴言第十条の歌、天が下時や在りの歌、嬉しもの歌、はての歌、箴言第十一条の歌、このところの歌、今朝の歌、変貌論の時代の歌、頭下がりぬの歌三首――復活省察物語の講評に就きて、驚きぬの歌、笑みと雪の歌、所得しの歌、新文明の調べの歌、一つ心の歌、主友なるの幸の歌。(2015年2月21〜28日)

    2月21日
            妻ぽつりの歌六

   妻ぽつり父さん看るのん誰かなあ言へる時ありいと静やかに
   (備考:2014年2月26日なり)

   父さんは皆やって呉れる言ひし妻その言の葉や慰藉限りなし
   (備考:2014年3月11日朝なり)

   最高に幸せや言ふ妻に我まされる宝なしとぞや言ふ

   それにせよ絶後笑み増し往くや汝神々しくも主の使ひげに

   つくづくと我思ふにや我らが書二度と造れぬ宝なるなり

   それなるが故にこそなり大切ぞそれ踏みしめて中下巻とぞ

            歌こそはの歌三首

   歌こそはこの時代のぞ声なるや回基たたかい止めよ言ふにや
(備考:西谷修「論考2015―対テロ戦争新潟日報2015年2月21日付より:「どこの政府も『テロリストとは交渉しない』と言う。それは相手として認めないからだ。だが、その段階であらゆる交渉は除外され、かたくなな拒絶と爆撃しかないことになる。これでは『人命救助』はできない。/ じつは、さまざまな主張や対立を封じ込め、出口なしの暴力の応酬に追い込むのが『テロリスト』というレッテルなのである。『テロリスト』と名指したとたんに、名指す方の攻撃や蛮行はすべて正当化され、名指しされた者たちは世界に存在を許されず『文明の威力』による殲滅の対象にされることになる。/ この年の初め、まずフランスの風刺週刊紙本社が襲撃され、続けて日本人人質事件が起きて『テロの脅威』が世界を覆った。だがこの『テロリスト集団』とは『文明世界』の火炎放射器に追いつめられ変異したモンスターではないのか。だとしたら、世界を恐怖から解放するのは決してそれに輪をかけた暴力、つまり『戦争』であってはならないだろう。むしろいかにして戦争の構図を排除するかを考えなければならない。さもなければ、世界は業火のような暴力の混迷のなかに沈んでゆく。それこそがここ十数年に及ぶ『テロとの戦争』の教訓である」)   

   佛基のぞ対話成熟嬉しもや妻の復活賛嘆御文

   この時代甦るには歌なくば常の文字では響き弱しよ

            復活歓喜の歌三首

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ復活歓喜日々歓喜

   笑みほどの確たる承認そもあるや甦りのぞ天父往く幸

   それをぞや思へば思ふほどにぞや妻が笑み見る歓喜歓喜

          インマヌエル成るの歌十七首

   恩師はぞイエスに在りて初めてやイマヌエル成る言ふバルト撃つ(備考:『カール・バルト=滝沢克己往復書簡:1934-1968』176頁、参照)

   主や祈る「太初栄を華やがせ父」この祈りこそ成るの姿ぞ(備考:これ『ヨハネ』17・5に基づく我年来の持論なり:この祈り(ひそかにささげられしが)、十字架上のエリエリ、ラマ、サバクタニにおいて(改めて公的に)辞世の歌として父にささげられしよ。父の聴聞ぞ復活なりき)

   成る姿イエス栄と父で成る三極ぞ滝沢理論常に二極ぞ(備考:神人の第一義の接触[インマヌエルの原事実]と第二義の接触[史的イエス]の二極なり)

   バルトがや成ると言ひたる所以にはイエスと「父子」の一途ありたり(備考:「父子」=父子ひらけ、「神と共なるロゴス」[ヨハネ福音書1章1節第二項])

   我らもぞ岸辺の主にぞ付き添はれ一途往くこそ甦りなれ

   この世をば去りても一途往く所ある人をこそ基督者言ふ   (備考:基督者「基督と共に往く者」の謂ひなり)

   一途往くその道こそやイマヌエル成るやこそなり甦り道

   イマヌエル成るとは何ぞ「神共に」徹頭徹尾今の今なり

   イマヌエル原初にあるを「栄」言ふ今の今成る「華やぎ」と呼ぶ

   栄がぞ華やぎてぞやあるものは主にも我にも甦りなり

   誠にや「イマヌエル成る」嬉しきや今の今なる我が事ぞこれ

   我妻や絶後笑み増すイマヌエル棺のうちでもイマヌエルなり

   イマヌエル成る尊しや尊しやイマヌエル成るげに尊しや(備考:恩師はぞ「イマヌエル成る」嫌ひたり。「インマヌエルの原事実」好みたり。されど、「イマヌエル成る」なくば、イマヌエル無し)

   原事実これ学問の仮説なり「イマヌエル成る」ありて実証(備考:インマヌエルの原事実「インマヌエルの原事実」(の概念性)非ず;故にインマヌエルの原事実インマヌエルの原事実成り)

   主の祈り父にぞ捧げ求めては栄華やぎ至らせ給へと

   主の祈りありてぞ宇宙進化ありその先端に甦りあり

   我妻や絶後笑みまし不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す   (備考:復唱。これ我が復活讃歌なり)

       ♯               ♯

今朝も上の「2月21日」の大量の延原さんの「短歌神学の歌」に加えて「今日の歌」の中から次の五首を収めます。聖書を新しく読み直す「朝の歌」です。

         〇(4月8日)我悟るの歌五首

   我悟るそも主イエスはぞ「友のため」命捨つ言ひ弟子愛したり
   (備考:ヨハネ15・13、熟読参照)

   この心マルコや書きし「多くの」ぞ者のためなる贖い窮む   (備考:マルコ10・45、熟読参照)

   かくしてや「友」ぞ「多くの者」とぞや含みや同じ言の葉如し

   マルコ言ふ「仕ふ」やヨハネ「友よ」言ふ復活助走示してぞあり   (備考:マルコ10・43−45=ヨハネ15・12−15、熟読参照)

   命をば捨つる者のみこれを得る贖いありて復活やなる
   (備考:マルコ8・35、熟読参照)

花冷えの朝です。六甲山は珍しく春の雪をかぶっています。昨日に続いてひんやりとシャキッとしています。

いま花壇のチューリップが綺麗です。今回はじめて植えつけたチューリップですが、道行く人たちにも大変人気のようです。ご近所のチューリップと共に収めます。