延原時行歌集「命輝く」(第2098回)(桜もいろいろ:白いサクラ)

                  

       延原時行歌集「命輝く」(第2098回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(207−5)箴言二、三条の歌、一つ心の歌、祝福の日の歌、変貌論の歌、脱稿の歌、生涯の歌、箴言第四条の歌、この道の歌、箴言第五条の歌、箴言第六条の歌、宇宙知るの歌、箴言第九条の歌、皆の歌、幸の歌、我ら主と共の歌、歴史的変貌と笑み(あるいは形而上学的変貌)の歌、我が歌やの歌、説教大全企画聴くの歌、この定めはぞの歌、我や知るの歌、妻飛翔の歌、我らが書の歌、底の底の歌、その時の歌、結局やの歌、我悟るの歌、沈思の歌(2015年2月11〜20日)。

    2月15日
            箴言第五条の歌八条

   ノーちゃんに箴言作れ言ふ人は父さんしかや居らず嬉しも
(備考:忖度:妻箴言作れと我求めしこと、歓び感謝するが常なりき)

   それ思ひ我が心にぞ平安や満ち溢れるや如何に不思議ぞ(備考:忖度:これ著しき事なり。第五条:"My mind is always in peace thanks to your great encouragement, help, and thoughtfulness.")

   箴言を作りて君と共々に復唱の日々平安の日々   (備考:忖度)

   かくてこそ我闘病の日々の底神共にます恵み知りたり   (備考:忖度)

   朝毎にGod blessed the good dayとぞ君と共我復唱す如何に嬉しき   (備考:忖度)

   妻にとり絶後笑み増し往くやこそ御神祝福復唱の果て

   God blessed the good day
       Of
       Self-reflection
       And
       Self-dedication

   我妻の心忖度省みて箴言いのちなりにけり知る   (備考:でや、のーちゃん。ほんまや、父さん、おおきにさん)   

      延原信子英文箴言第六条「祝福存在」の歌十二首

   箴言いのちなりけり御神の佳き日祝せる言の葉やこそ
   (備考:忖度)

   祝福の我が身にこそや溢るれば我が尊厳を犯す者なし
(備考:忖度。第六条:"Nobody can touch me because I am blessed.)

   祝福や我が存在と一つ成すそれをしもぞや佳き日とや呼ぶ
   (備考:忖度)

   祝福を我が存在と離せばや「存在と時」現るや見よ

   かくてこそハイデガー言ふ死ぞ今や現存在の主とぞ成れるや
(備考:ハイデガー著『存在と時間』の前に書かれし重要著作『アリストテレス現象学的解釈ーー「存在と時間」への道』[高田珠樹訳、東京・平凡社、2008年]の一節:「死と『死を受け持つ』ことを、問題構制の手引きとして出発点の中に根本的に組み入れずに、事実的な生の対象と性格や存在性格を規定することのみが繰り返し試みられるなら、それは単に後から何をどう補おうとももはや挽回できない失策である。ここに挙げる死の存在性格は純粋に存在論的な問題圏を構成するものであって、不死や『死後に何が来るか』をめぐる形而上学的などとは何の関係もない。死を自分の前に立ちはだかるものとして受け持ち、死独自の仕方で生の現在と過去とを見えるようにすること(歴史的ということ)は、事実性を構成する要因であると同時に、人間的現存在の特殊な「時間性」を顕在的に浮かび上らせる際の起点とすべき現象である。歴史的ということの基本的な意味は、この時間性の意味から決まってくるのであり、けっして(たまたま)特定の(方向性をもつ)歴史記述の概念形成の形式的な分析においてではない」。32−33頁、参照)

   佳き日とは現存在と彼方との一なる事よ神祝します

   我悟る主イエス友とぞ呼び掛くる御声ありてぞ御国に一途(備考:これ我が新発見なり。初期草稿「友達づくりの神学」と「復活の省察」一直線に繋ぐもの、「友=共=父子ひらけ」なり。この地と天の一途の思想こそ、ハイデガーの「存在と時間」論に依り挑戦せるものなり。ヨハネ福音書15章15節:「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。」と同17章24節:「父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。」は一直線に繋がれるなり。これ、佳き日なり、祝福なり。これ、死を超ゆるなり。これ、我妻絶後笑み増し往ける所以なり。これ、恩師「イエスから導かれ、学ぶが、縛られはせぬ」とうそぶきたる自負を撃つものなり。滝沢克己『純粋神人学序説』272頁、熟読参照)

   この一途神祝さるる佳き日なり我妻絶後笑み往き示す(備考:マルコ福音書8章34−38節、熟読参照:「それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思うものはそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどくことができようか。邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう』」此処に在るは、「一途」なり。「命」とは「一途」のことなり。ハイデガーも滝沢も、この「一途」、この「命」見失ひたり)

   恩師がぞ「縛られぬ」とぞ言ひし時この一途をぞ破りたるなり
   (備考:『純粋神人論序説』272頁、熟読参照)

   一途をば破りて「イエスに学ぶ」時原事実死の鉄壁と化す
(備考:恩師言ふ:「それに対して、純粋な神人学は偶然的・一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない」『純粋神人学序説』72頁、参照。また:「インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みに置かれており、そこに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできもしないし、またしようともしないのである」同書274頁、参照)

   滝沢もハイデガーもやこの世底原事実死と見做し凝固す

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す(備考:復唱。真理、父子ひらけぞ「原事実・死」の破れたるその底にぞ待ち受けしなり。我妻絶後笑み増し飛翔しつつ、示せし如し)

            嬉しやもの歌二首

   嬉しやも復活省察第二巻God blessed the good dayをぞ基(もと)とし展びむ

   友とぞやイエス呼びます我が身こそ妻や笑み往く幸ほかならず


        ♯              ♯

上の「2月15日」の満載の歌に加えて、今朝も「風の便り」の「今日の歌」から次の十首を収めます。

        〇(4月1日)このところの歌十首

   このところ少しは交互宇宙をぞ生きる気宇ぞや生まれしか我

   我妻や笑み増し往きてこそぞこれ生まれ来れる新思想げに

   妻信子棺が焼けても思ひ出を天父奉献欣求せし人

   今更にその胆力やなかなかの逸材なると唸りおる我

   それにせよ箴言修行のなかりせば妻精神の練磨やなきぞ

   誠にや苦病も何も越へ行きて英文箴言苦吟三年

   父さんよカンファレンスをやしよと言ふ妻の声にぞ情熱滾る

   我のぞや鑑識眼に負けまいと門前小僧哲学文なす(備考:第七条:"I am living in the secular world. And yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan because Japanese society is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.”)

   父さんに褒められるのん好きやん誠この声歓喜妻なり

   生涯の不滅思想を高々と掲げ得たるや我妻や佳し
(備考:第一条:"God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.")


延原時行さんと延原信子さんとはお二人とも学生時代ーー時行さんは同志社大学神学部、信子さんは関西学院大学神学部の独身時代ーーの時からこの時まで、オモロイ御友誼・御厚誼・御交誼・御好誼・御高誼をいただき、「御友」にあって、益々佳き友として、日々新たな歩みをつづけていることは、まことにありがたき幸せデス。

それにいたしましても、延原さん御夫妻の生涯を貫く「復活の省察」の一歩一歩の進展は、ここにきて益々面白くなってまいりました。

このところ連日、春を告げる華やいだ花たち、とくに桜だよりをUPしていますが、今日もご近所に咲き誇る「桜もいろいろ:白いサクラ」を収めます。